第1回羽生結弦の才能に気づいた最初の指導者 1回転半「なんだ、これは」
羽生結弦のスケート人生は4歳の時、仙台市で始まった。
最初の指導者となったのが、山田真実さん(48)だ。
「仙台市のリンクで結弦のお姉ちゃんを教えていたのですが、その間、リンクサイドでずっと走り回っているやんちゃな子が結弦でした」
「当時は4歳。『そんなに動きたいんだったらスケート教室に入ってみたら』とお母さんと結弦に言ったのが始まりです」
「結弦は大変」と思った恩師。一方で才能の片鱗も見せていました
羽生が最初にリンクに入った時のことは今でも忘れられない。
「普通、初めての子はハイハイの姿勢になって、氷に慣れさせてからゆっくり立つのが基本なんです。ただ、彼はそれをぶっ飛ばしてリンクインしました」
オリンピック2連覇中のフィギュアスケーター羽生結弦。その強さの秘密を、彼の人生に寄り添ってきた6人の指導者や仲間が語る連載の1回目。6人のインタビューの一番の見どころを詰め込んだ本編動画は記事の末尾に。
「スケート靴で、走ったまま氷上に入っていったんです。『危ない』と思ったんだけど、そのままリンクの中央まで走っていって、バランスを崩して転んで頭を打ったんです。これはまずいと思って、あわてて、駆け寄って、『大丈夫』って声をかけたら、スラーッと立ち上がったんです。普通じゃないですよね。その時点で、すごいなと思いました」
山田さんにとって、当時の羽生はやんちゃな教え子だった。
「走り回っちゃうから、とにかく落ち着かせて『止まりなさい』と。そこから片足で滑る。バランスを取って滑るっていうスケートの基本を教えていきました」
「でも集中力が続かないんです。だから、その時のイメージは『結弦って大変』って感じでしたね」
一方で、才能の片鱗(へんりん)は見せていた。特にジャンプは天性のものを感じた。
「彼が幼稚園の年長くらいで、1回転ジャンプを跳べた時に、『シングルアクセル(1回転半)をやってごらん』って言ったんです。1回転から1回転半は早い子でも2、3カ月、大抵は半年から1年くらいかかります。なので、ちょっと面白がって言っただけだったのですが、彼は跳んだんです」
「着氷で転んだのですが、ちゃんと1回転半回りました。『なんだ。これは』と。教えていないから、軸はぐちゃぐちゃ。でも運動能力だけで回ってしまったんです」
もう一つ際立ったのが、演じる力だ。
「勝手に自分の世界に」
「今の結弦を見ていると、自分の世界に入っている感じがあるじゃないですか。あれは幼稚園の頃からでしたね。初めて、曲を与えたのは彼が5歳くらいの時。一応、どの子どもたちにも、その曲の物語や背景を教えるんです。だけど、大抵はジャンプを跳んだり、走ったり、スピンをしたりするのに必死で、そこまでいかないんです。でも、結弦は勝手に自分の世界に入っていました」
「みけんにしわを寄せて、苦しそうにやったり、笑顔で楽しそうにやったり。この競技は恥ずかしがっていては表現できません。自分を出さなきゃいけない。そこはやっぱり上手でしたね」
当時の羽生に指導し、その後も本人が続けたことの一つが、気づいたことをノートに書き留める習慣だ。
「子どもたちはすぐに忘れちゃうから、何でもノートに書きなさいって指導してきたんです。注意されたことでもいいし、それが面倒だったら、今日はどんな気分だったかでもいいし、何か書くといいと思うよって」
「中身はチェックしていません。自分の好きなように書いてほしいから。腹が立ったら先生の悪口も書いていいよと。それで解消するなら、とにかく書いてと生徒には言ってきました」
羽生が小2の時、山田さんは仙台を離れて実家の北海道に戻ることになった。羽生の指導を託したのは、自身が現役時代に師事した都築章一郎コーチ(83)だった。
「都築先生は私の100倍ぐらい厳しい。それで結弦がやめちゃうのは、まずい。上手に育てたら、結弦はいずれ、日本を代表する選手になるだろうなと思っていたので、『この子、すごいから。本当にすごいから、先生、潰さないでね』とお願いしました」
羽生にとって、運命の出会いだった。
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