賞金1000万、高視聴率を連発→死亡事故で番組終了…日本のテレビから“消えた”小林尊(46)が大食い界のレジェンドになるまで
2000年代のテレビの凄まじさ
――テレビをはじめとしたメディアは本当に無責任なところがあって、ワーッて持ち上げてはパッと離すみたいな、間をある種商品みたいに扱うところがあると思うのですが、小林さんがそこに与(くみ)しなかったのは「フードファイトを競技として広めたい」という軸があったからなんですね。 小林 当時のテレビの力は特にすごかったですね。ただ、爆発力はあるんだけど持続力が怪しいと思っていて。大食いをスポーツとして成長させたくても、テレビだと、番組が終わればそこでなくなっちゃうじゃないですか。テレビの影響で大きくなっていったものだから、早いうちに番組の枠から出てスポーツイベントとして広げていかないと、流行って捨てられて終わるんだろうなという感覚がありましたね。それでもだいぶ飲み込まれた気がしますけど。ジャイアント白田のほうがもっと現実的だった気がする。 ――『フードバトルクラブ』で小林さんとツートップだった白田信幸さん。白田さんは飲食業をやりたかったんですよね。 小林 白田はフードファイトを始める前も始めた後でもそこがまったくブレてないんですよ。僕の場合は「よし、これをスポーツにしよう」って思ったのもテレビにだいぶ影響されている気もします。当時の僕には大学卒業後の進路目標だとか、これといった将来の夢もなかったですし。
――2000年前後くらいのテレビだと、一つの番組にかけられる予算もすごかったのではないでしょうか。 小林 とある番組では、共演したフードファイター仲間が「プロデューサーに聞いたんだけど、あの番組の予算、億単位だって」って言っていました(笑)。 『フードバトルクラブ』では、1枚数万円するステーキとか普通に出てきましたね。それを「15分で食べろ」って(笑)。試合の会場もパシフィコ横浜だったり東京ビッグサイトだったり、そこにめちゃめちゃでっかいスクリーンを据えて。すごい規模だなと思いました。賞金も当時1,000万円でしたし、今だったらちょっと考えられないですよね。
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