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日本の茶道にあって、中国茶藝にないものは

2009年5月12日

  • 中国茶評論家・工藤佳治

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――「野にあるように」という日本的なるもの

 5年ぶりに、中国国際茶文化研究会の理事会が開かれ、出席した。会員代表大会でもあるので、いってみれば総会のようなもの。次の5年間の役員や行動方針などが決議された。

 この代表大会が開催されたのが、浙江省諸曁(しょき)市。大きな行政区分でいくと紹興酒の作られる紹興市の中に入る。日本人には、ほとんど馴染みのないところ。現代緑茶の銘茶「緑剣茶」が作られるところである。また、紀元前・春秋時代の傾城の美人「西施」。彼女の故郷といわれている。

 会議と同時に開催された展示会。その中で、ひときわ派手なデモンストレーションの茶藝があった。写真のとおり、「京劇」の雰囲気で迫った「茶藝」である。鮮やかなメイク、派手な衣装。今までいろいろ登場した「茶藝」の中でも、けっこう派手な部類だ。

 デモンストレーション的な「茶藝」は、今までにもいろいろ見た。清朝の「宮廷茶藝」というのもあった。大きな髪かざり、鮮やかな衣装をまとい、ハンカチを指に挟んで手を振りながら登場する。

 もっとも地味な感じがした「茶藝」は、古く多くの日本人留学僧が学んだ「五台山」で見たもの。お寺での茶藝といっていた。僧衣を身にまとい、まずお経が始まる。それが30分ほど続いた。そのあとお茶をいれ始めた。お茶がはいる前に、お経を聞き眠ってしまいそうであった。

 最近の「茶藝」は、状況や場面設定に凝るというより、日本の茶道に近いかたちで、動きの洗練さを重視するものに変わってきている。そういう中で、京劇風の「鮮やか」で「華美」なものを見たので、少し唐突な感じがした。

 日本の茶道のルーツは、中国の徑山寺での茶事である、というのが中国で定説となってきている。中国から伝わり、日本で「茶道」として完成された。その影響を受けながら、台湾で20年ほど前に始まった中国の現代「茶藝」。茶道と茶藝を比べてみると、違いがいろいろある中で、こだわり方が大きく違うものがいくつかあることに気づく。

その一つが「花」である。

 日本の茶道では、普段でも「花」は不可欠のものとして飾られ、重要度を持っている。

 伝説的な話も語り継がれている。正確ではないかもしれないが、千利休の庭の朝顔の花がきれいだということを聞いた秀吉が、「明日の朝、見にいく」と利休に伝えた。翌朝、秀吉が訪ねると朝顔の花などどこにもない。ところが茶室に入ったところ、そこには朝顔の花が一輪だけ飾られていた。利休は、庭の朝顔の花を全て切り去り、一輪を茶室に凝縮することでその美しさを伝えた、という。「朝顔の茶会」として有名である。

 このくらいの「花」へのこだわり、そして「花」をも精神性、芸術性まで高めた扱いをしている。

 しかし、中国茶藝では、今のところ花は飾られていない、あるいは飾られているとしてもただ形式的に「飾ってある」だけのように見受ける。日本の茶道でいう、「花は野にあるように」生けるといった「美学」やこだわりはないように見受けられる。

 中国茶藝がもう少しの熟成する中で、そのような「花」への精神性、芸術性が生まれてくるのかもしれない。それには、もう少しの時間、そしてそう考える「文人」のような人が現れることが必要なのだろう。あるは、中国茶藝では、そのような精神性を求めることは最後までないのかもしれない。

 このようなことを感じるのは、私が「日本的なるもの」のこだわり強すぎるからなのだろうか。

 次回は、「安くておいしいもの。評茶の限界」(予定)です。

中国茶メモ

緑剣茶(りょっけんちゃ・浙江省)

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 本文中にある諸き市で作られるお茶である。この地域は、唐代からお茶づくりがあったといわれる。このお茶として作られ始めたのが、1990年代になってから。現代の緑茶の銘茶にあげられるようになった。
茶葉が示すように、剣のように尖った茶葉が特徴である。
香りは、少し蒼さを感じるが、清らかである。味は、キレのよさが特徴で、すっきりした飲み口。飲み進むと口の中に甘さが残るが、爽やかな感じのものである。全体としては、爽快感のあるお茶だ。

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