親への恨みを引きずっていたら今の人生はない

今、兄が息子の勉強を見てあげているという。最近は自分たちの時代とは違い教え方が変わっているとか、必要ないことは削減されたとか嬉しそうに話す様子をみると、本当に勉強が好きだったのだなと思う。うまくいっていない時、私たちは選択しなかった方を選択すればよかったと思いがちだけれど、兄はそこへの考えを断ち切ったから今があるのだなとも感じる。

親への恨みばかりで後ろをふりかえり、立ち止まっていたら今の兄の生活はなかったと思う。兄のことだから、一年後に受験し大学に行っても、さらに良い会社に就職したかもしれないが、両親の支援がない状態で借金をして進学していたら、若くして家を購入することはできなかったかもしれない。兄の現在を見ていると、ないものを想像するより、目の前の事に全力で取り組み、今ある小さな幸せを喜び、満足しなければいつまで経っても幸せにはなれないと気付かされる。20年以上経った今も、兄は私のヒーローのままでいる。私も幼い頃には、兄ばかり母に愛されてずるいとうらんでいたが、同じ高校に進学したことで多くのことに気づくことができた。兄は両親の呪縛から逃れて幸せになれるロールモデルになってくれた。

学校で一番の成績でも進学を許されなかった。兄が自暴自棄にならずに自分の人生を生きたことは奈緒音さんも誇らしく思っている Photo by iStock
 

「親ガチャ」という言葉が広まっている。子は親を選べないと言うが、我が家の場合は親が子供だった時から同様の親ガチャ的悩みを抱えていたことが大きく影響していたように思う。自分がこうだったから子供には……と改善されるどころか、凝り固まった考えが継承されていったのだのだ。父は運動神経のいい実の兄弟と比較されながら「男として」と言われて育ったし、学歴そのもの父自身のコンプレックスだったからこそ「学歴はいらない」と言い続けたようにしか思えなかった。

そして私には母からの「将来の夢」を託され、自分のなりたかったバレーボール選手にするために異常なほど厳しくされた。同時に、「女として」「女なら」の沢山の言いつけがあり、女は台所でずっと立っているのが当然という環境で育てられたとずっと聞かされた。父の実家の親も同様で、以前もお伝えした通り、宴会のときに女はビクビクしながらずっと皿を洗っていなければならなかった。