母の暴力に幼少期から悩まされていた若林奈緒音さん(40歳・仮名)。自身の虐待の体験を、「同じような思いをする人を増やしたくない」と率直に綴っている連載「母の呪縛」。第8回は母には溺愛されながら、父親との確執があった兄の進路について伝えている。

前編では、成績優秀で大学に進みたいという兄の進学に厳しい姿勢で反対していた父親と兄とのこれまでのことを綴った。後編では、その後兄が選んだ進路と、それをみた奈緒音さんの決断をお伝えする。

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兄が父に心を閉ざすようになるまで

兄が父に対して心を閉ざしたその理由として、思いつくものはいくつかある。
まず強く印象に残っているのは、何回か海水浴に連れて行ってくれたときのこと、兄はまだ小学生で、プールで泳ぐことはできるのだけれど、海は怖いと言っていた。しかし父は何度も「男やろ!」と兄を海に放り投げていた。それで怖いものがなくなるはずだと。ところが兄はさらに怖がるようになっていた。

あるとき、父が海で足がつかないところにポイっと兄を投げた。兄はサンゴか岩だろうか、足を切ってしまった。
「もう海に行きたくない! ヤダ!」
このときから、プールは好きで泳ぐのは嫌いではない兄が、海には一切行かなくなってしまった。私や妹にはそんなことは一切しない父だが、「男だろ」という言葉は、なぜか父を暴力的に変えるように見えた

また、我が家では父の言うことは絶対だった。些末なことだが、テレビのチャンネルにもそれは現れた。兄は野球が好きだけれど、父はスポーツが嫌いだから野球中継が我が家でつけられたことはない。でも、みのもんたさんがナレーションをしていた「野球の珍プレー好プレー」は父は観ていた。それを見て、一度兄が母に言ったことがある「あれ、なんでなん?」と。珍プレー好プレーを見たいのなら、野球の試合でそれを楽しんだっていいじゃないかと思ったのだろう。

その兄に母はこんな風に答えた。
お父さんはいいの
我が家では父は絶対だ。逆らってはならないのだ。そうきっぱり言われたのだ。

決定的だったのは中学生のときだ。兄が部活のあと、足を血だらけにして帰ったことがある。部活動で「水を飲んだ」ことを理由に、先輩たちからスパイクで蹴られたのだという。今ではむしろ今は水を飲まなければ危険だということは知られているけれど、当時はそんな異常なことがよくあった。母は血相を変え、その先輩の家に行く!と言ったが、父は兄に対してこう言った。
「そんなのをいちいち母親に出てきてもらうのは男として弱い」
「男のくせに自分で解決せんか!」
「泣いて帰ってくるようじゃアカン!」

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妹がちょっと転んで擦り傷を負っただけでも病院に連れて行くような父だったのに、兄のことは一切心配をしなかったし、味方をしなかったのだ。
兄はこのとき父のことを、理不尽に蹴ってきた先輩の大人版のように思ったのではないだろうか。どうせ理解をしてくれない、ことあらば「男のくせに」を繰り返し、理不尽なことに向き合ってくれないと。そして、そんな「どうせ理解してくれない」という気持ちがあるまま、高校3年生の進路決定の時期を兄は迎えていたのだ。