父に対して委縮していた

兄が父に対して意見を言えないのには理由があった。兄は小さい頃から「男らしくあれ」「男の子は妹を守り、女の子に手を上げず、自分より弱いものに優しくしろ」と父に厳しく言われていたのだ。
だから兄は私の下の病弱な妹に本当に優しかった。私のことは自分より弱いものと認定していなかったのか、高校に入るまでは一切優しくなかったのだけれど……。

ただ、厳しく言われても、また別のコミュニケーションができていれば違ったかもしれないが、父と兄はいつもすれ違っていた。

父は末の妹を溺愛していた。父の日か何かに父子参観があった。しかし兄の時には「わしはええわ」と参加をしなかった。運動会でも父親が参加する競技に出たことはなかった。
兄が4年生、妹が1年生のときの運動会のことをよく覚えている。兄の時には決して参加しなかった運動会に、父は参加した。そして父子参観でも私と妹の授業は見に来たのだ。

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他にもある。例えば兄が小学校から始めたソフトボール。日曜日に兄が父とキャッチボールがしたいと言っても、父は疲れ果てて寝ており、兄は一人で壁に投げてキャッチボールをしていた。母が父にキャッチボールしてあげてと言っても、父は疲れているし運動が嫌いだからできないと断っていた。兄は父に甘えたくても甘えられず、壁を感じていたであろう。私が母に大きな壁を感じていたように。

兄は父に対して何かを言う時、声が小さくごもってしまうと、父が「男やろ、はっきり言え。しっかりしゃべれ」と頭ごなしに言ってしまう。兄が委縮して黙ってしまうと、すかさず母が兄を庇い、代弁するように話した。父からしても母がすぐに兄を庇っていたのが面白くはなかったかもしれない。母は心配のあまり、父と兄が直接コミュニケーションをする機会も失わせていた。その繰り返しでどんどん兄は父に話せなくなったまま、高校3年生になっていたのだ。

私は、中学生の頃までは、母が兄を甘やかし溺愛しているのを傍で見ながら、羨ましく見ていた。しかし父から怒鳴られる兄を見ると、複雑な気持ちを感じていた。男の子に生まれても、「男ならこうだ」というプレッシャー。女の子に生まれても、「女とはこうあるべき」と祖母や母からの押し付け。羨ましい兄が、私と同じような呪縛の中にいた。

◇父親からの「男らしく」の言葉は、「だからひとりでなんでもやれ」というメッセージでもあり、かたや「父親の言うことを聞け」という縛りにも聞こえたのではないだろうか。では大学受験はどうなったのか。後編「「学歴はいらない」男らしさを強要する父、進学を諦めた兄…子どもの人生とは」にて詳しくお伝えする。