自身が夢見たバレーボール選手の夢を背が高く運動神経のいい娘に託し、言いなりにすべく暴力をふるう……若林奈緒音さん(40歳・仮名)は幼少期、母親から身体的・肉体的暴力に苦しんでいた。それを虐待だと理解し、自分が悪いのではなくて自分は自分のままでいいのだと思えるようになったのは、30代での結婚がきっかけだったという。
自分のように苦しむ人を出したくない。そんな思いで実体験を綴っている連載「母の呪縛」、前回の記事では、高校1年生の秋、父の目の前で母から顔が歪むほどの暴力を受けたことをお伝えした。
しかし、呪縛に苦しんでいたのは奈緒音さんだけではなかった。優秀で母の寵愛を受けていた兄は、父の呪縛に苦しんでいたのだ。「男らしくあれ」の言葉に苦しめられた兄の進路について奈緒音さんが綴っていく。
「早く家を出たい」
小学生に入った頃から、母の暴力にさらされていた私。高校1年生の秋には、父が初めて私が母に殴られるのを目撃した。この時はジャムの瓶の入った買い物袋を顔にたたきつけられ顔の骨が歪むほどだった。しかし父は母を止めこそすれ、その後私にこう言ったのだ。
「親の言うこと、家のルールが全て。それが嫌なら家を出て一人前になるしかない」
この言葉は私を心から絶望させた。殴られた理由は、部活で帰りが遅くなると言いながら、実は18時ごろ高校の同級生の彼と会っていたのを母に目撃されたことだった。母は、自分ができないでいた「男女交際」を私に決して許さなかったのだ。翌日腫れた顔を見た彼は心から心配し、本当に優しく接してくれた。けれど、彼が駆けてくれる言葉や扱いは、自分とは住んでいる環境、今が楽しいならいいという気持ちの彼とは方向性や目指しているところが違うと感じ、すれ違っていった。私にとって高校生活で大切だったのは、楽しむとか青春ではなく、とにかくお金を貯めて家を出る、早く自立することだった。それだけを頭に、兄がくれた参考書を頼りに就活に有利になる資格を取ることを目指し、そしてバイトに励むことにした。
同じ頃、2歳年上の高校3年生の兄は進路を考えていた。学校内で先生たちが一目置くほどの優秀な生徒の兄。当然、私も、先生たちも兄は大学に進学するものだと思っていた。兄自身も関西では片手に入るとされる名門の大学受験を意識していた。
しかし兄は、そのことを夏ごろから父にどう話すかを悩んでいた。兄は兄で、私とは違うプレッシャーを父から感じていたのだ。