母からの暴力の歴史

母が目立って暴力をふるうのは、3きょうだいの中でも私だけだった。それが始まったのは6歳くらいのころだ。それまでも正座をしてお尻ぺんぺんということはあったが、痛くて体が固まるような殴り方をされたのは、小学校で地域のバレーボールチームに入ってからだ。

連載の1回目にも触れたが、母はバレーの選手になるのが夢だったという。だから背の高い私を町のチームに入れた。小学校4年生になってジュニアチームでアタッカーとして活躍できるようになると、自分の夢を託すために、中学はスポーツ推薦でバレーの強豪校に入れたいと熱望した。捻挫や指の骨折はしょっちゅうだったが、手当もしてくれなかった。母がコーチをつとめたこともあったので、失敗すると思い切り平手打ちされたし、髪を掴まれることもあった。

 

私が捻挫をしても骨折をしてもコートに立たせようとするほど、暴力は常軌を逸していた。私が平手打ちをくらい、足を殴られる様子を遠巻きに見た仲間から「親の暴力を受けている人」として変な目でも見られた。だからこそ私は中学に入ってからは決死の覚悟でバレーボールとは縁を切ったのだ。

しかし、高校受験のあと、この「バレーボール」というキーワードが私をまた絶望の淵に追い詰めていくことになってしまった。

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◇奈緒音さんの人生のはずなのに、叶わなかった「母の夢」を背負わせようとさせられていた。それが暴力に繋がっていたひとつの理由にもなっていたようだ。高校受験という節目をどのように迎えたのか。後編「母が薦めた看護学校は回避しても…高校の推薦入試合格の日に感じた「絶望」」にて詳しくお伝えしてく。