「親に褒められないと、自己肯定感って育たないんだと感じます」
こう語るのは40代の若林奈緒音さん。すらっとして涼やかな女性だが、近くで見ると、手にはケロイドの跡がいくつかある。実の母の手で受けた暴力の傷だ。顔も殴られたことで歪んでしまっていたので、形成外科で手術をしたばかりだ。
厚生労働省の発表によると、令和2年度の児童相談所での児童虐待相談は20万5044件で過去最多を記録した。また、別の資料によると、虐待死における主たる加害者は、「実母」が52.6%を占めている。実母による虐待の多さを物語っている。
いま、若林さんは30代で結婚後、初めて「自分は生きていていいんだ」と思えるようになったという。そして、自分と同じように苦しい目にあう人を生み出したくないと、体験談を共有することを決意した。その連載「母の呪縛」、前回は2歳年上の兄と若林さん自身が進路を考える中学3年生のときに勃発したことについてお伝えした。今回は中学3年生の若林さんが具体的に受験をするときのことをお届けする。
家事をしなくなった母
中学3年生の運動会で、私がいじめられたときにそれを笑いに変えてしまうような魅力を持った同級生の男の子が亡くなった。その同級生の死から立ち直れないまま、受験生だと言うのに時間だけが進んだ。
母は2つ年上の兄の受験が終わってからは、子どもの受験のサポートをしようとはつゆも思っていないようだった。留守がちで、帰ってくると姪からもらったのと服やバック、旅行のお土産など抱えられないほどいっぱい持ち帰った。それを段ボールに詰めると、私や妹の部屋に運んだ。天井の高さまで積み上げられていた。時々、母が無理やり中のものを取り出すためにひっくり返し、そのまま片付けず出かけるので、私たちはうんざりしながら詰め直して箱を戻した。妹は毎年お誕生日会を家でしてもらうくらい、小学校から友人が多かったので、お友達を家に呼べなくなったと辛そうだった。
荷物は兄の部屋には一切置かず、「お兄ちゃんはいいの」と言っては、兄には何かにつけてお小遣いも渡していた。幼い時とは違い、家にいることが多くなった父と母の間には重い空気があり、外食するとき以外は、家族で揃って食事を取ることはほとんどなくなった。厳密にいうと、私は食事を一緒にすることを避けた。彼が亡くなってから、食欲がぐんと落ち、体重も落ちた。