多くの中学3年生は、進路を決める大切な時期でもある。そんなとき、親に悩まされていたらどうなるだろうか。
母親の過干渉と暴力に苦しみ続けてきたのが、40代の若林奈緒音さん(仮名)である。母は幼い時に母を亡くしたため、進学ややりたいことを諦めて働き、父のもとへ嫁いだ。そして長女である奈緒音さんに、自分が我慢したようにすべてを我慢し、母の言うことを聞くようにと言い続けてきたのである。
厚生労働省が発表したデータでは、令和2年度児童相談所に寄せられた相談件数は過去最大の20万件を超えた。虐待は身体的暴力やネグレクト、心理的暴力や面前DVなど多岐にわたる。しかし奈緒音さんは暴力もネグレクトも、心理的暴力も受けてきた。虐待はする側のケアも重要になる。自分のように苦しむ人を増やしたくないと、そのつらい思いを振り返り、告白する連載「母の呪縛」5回目は「中学3年生」のときにエピソードをお伝えする。前編では兄が中学3年生のころの父方の祖母や叔母との修羅場をお届けした。後編ではいまもなお奈緒音さんに悲しみを与えている大切な友人との別れについてお送りする。
2歳違いの兄に続き、中学3年生に
兄と私は2歳違いである。兄が高校2年生になったその年は、私が中学3年生の受験の年だった。しかし、兄の時とは違い、私は母がしない家事と学校の往復だけで疲れ果てていた。母は私にバレー部の入部を熱望したが、私はバスケ部に入っていた。その部活も疲れてサボりがちになり、いじめっぽいこともあった。
それでも、初めて同じクラスになった男の子のおかげで、気にならなくなっていった。仮にA君とする。席が私の後ろだったA君は、成績優秀でいつもにこにこして、誰にでも態度を変えなかった。私に、勉強や宿題も教えてくれた。
ぽっちゃりしていて、体育をよく見学していたA君は、子供によくある「いじめ」を、前向きに「いじり」と捉えていた。私が何か言われているのを見たら、「今の若林が羨ましいから言ったんやで、気にしたらあかんで」と励ましてくれ、自分が「デブ」「ブタ」「ノロい」等言われても、彼は笑って「俺、いっつもおいしいもんばっかり食べてるねん!この腹、さわってみ!美味しいもんしか入ってへん。お前、俺に憧れてるんやろ、ほんま俺のこと好きやなぁ」と相手はそれ以上言い返すことなく、さらに「うちくるか? 触るか? どんだけ好きやねん!」と畳みかけて、笑わせていた。
私は3年生の1学期から、放送委員に所属した。母がお弁当を作らなくなっていたので、昼食の時間を教室で過ごしたくなかった。だからお昼休み時間中アナウンス室で、先生から指示されたその日の連絡事項をアナウンスし、その後好きな曲を流せる放送委員が気に入っていた。本来は当番制だったが、進んで代わると言い、お昼は毎日アナウンス室で過ごした。唯一ほっとできる空間で、聞いている人は声だけで私が見えない。それが私には心地良かったし、先生たちや同級生にも声を褒められることが増え、人生で初めて自信が持てる気がした。放送委員になったことで、アナウンサー、ラジオDJのような仕事に就きたいと思うようになっていた。
しかし、進路を決める最初の三者面談の前日、出掛けることが増え、会話が減っていた母が、姪の一人が看護師になったと言い、次のように口にした。
「結婚して子供を生むか、女は手に職。どの時代も仕事がなくならない看護師になりなさい。お母さんが言ったこと、一個くらいまともにできないの?」
こう言った目が怖くて、声を使う仕事をしたいとは口が裂けても言えなかった。母は志望校に高校の代わりに、准看護師の資格が取れる専門学校を書き込んだ。先生にも、私の意見など聞かず、母が一方的に意向を伝えて終わった。