「もう縁切ってもうてかまへん」

父は、泣き叫んだ母を止めようとした。祖母は驚きすぎて何も言い返せない様子で、代わりに叔母がヒステリックに怒鳴り返した。その怒鳴り声を聞いて、また妹が泣いた。父は静かに叔母と祖母に向かって言った。

「もう出ていってくれ。うちにはうちの生活がある。もう縁切ってもうてかまへん」

そして、車に祖母たちの荷物を運び、どこか別の場所に送っていった。それ以降、私たちは父方の親族との付き合いはなくなった。

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父が祖母から母を庇い、はっきりと自分の家族はここにいる私達だと言い、愛情を示してくれた。私はこのことが、母に伝わると思っていた。
 
ところが、父のその思いは母に一切届いていなかった。祖母たちが帰ってからの母は、また兄中心の生活。常にイライラして、母にしなさいと言われて畳んだ洗濯物やまとめた新聞紙の束も、何か気に入らないことがあるとひっくり返し、また一から畳み直す繰り返しだった。肌や髪、体型に気を付け綺麗だった母が、身なりを気にせず、日中も寝ている事が増えた。

今なら、震災の影響からくるPTSDだったのでは? 鬱なのか? と想像し、必要な対応ができたのかもしれない。その対応がないままに、私は母の八つ当たり対象であり、怒りのはけ口になっていた。

見宗教の勧誘にいそしむように…

元々母は外面が良く、PTAや地域の集まりなど頼まれたら断れない性格ではあった。その性格が、震災後、新聞や宗教の勧誘という形で発揮されるようになった。兄のために、母はあらゆる神頼みに走った。ある日突然我が家には神棚ができ、宗派が違う聖書が何冊も置かれるようになった。兄の受験が終わり、無事に志望校に入ることができたあと、母はたいてい家の事をせずに写経し、聖書を読み耽っていた。「私たち家族が大震災の中無事でいられたのは神様のおかげだ、お兄ちゃんが無事に志望校へ行けたのも、前世の行いやご先祖さまのおかげ」と言い、私達も聖書等を読むように言われた。
 
その行為は父と母との関係を悪くした。時を同じくして、家を追い出された祖母が母の姉に「あなたの妹に怒鳴られた、妹にどんなしつけをしているのか」とわざわざ知らせがきたと、姉や姪たちが母に連絡してきたのだ。母を叱るどころか、逆に姉や姪たちは母を気にかけたということだろう。こうして、前回の記事でもお伝えしたように、母は姪と頻繁に出掛けるようになったのだ。いつからか、元気を取り戻し外に出ることの方が楽しくなった母は、神棚や聖書、私たち家族の事も忘れていった。父が姪に苦言を呈したこともあったが、逆効果となった。

◇兄が中学3年生のときに若林さんが目の当たりにした家族関係の悪化。そのこと自体も若林さんの心に影を落としてしまう。後編「いじめをかばってくれた友人との突然の別れ…そのときの母の驚愕の言動」では、若林さん自身が中学3年生になったとき、救ってくれた同級生とその悲しい別れと母とのやりとりについてお伝えしていく。