止めに入ってくれた知人に母が言った言葉
この頃が何よりも苦痛だった。母は、本当に私が将来バレーボール選手になれるかも知れないと錯覚したのか、自らコーチを買って出た。小学校の地区大会でアタックが決まらなかったり、サーブミスをしようものならコートの外から怒鳴られたり、罵声を浴びせかけられた。コートチェンジになると、人目も憚らず駆け寄ってきて、頬を平手打ちされたり、頭を叩かれた。
母はプロではないが、真剣にバレーボールを続けてきた本格派である。その母が手加減なく、アタックのように振り切って私を殴る。今のように「体罰や虐待」と認識されて助けてもらえることもなかった。鬼の形相の母に殴られているのを見た同級生やチームメイトの中には、びっくりする子もいれば、笑ったり、母の真似をしたり、ひそひそ言う子もいた。母にみんなの前で叩かれることがいじめやイジリの原因になることを言ったことがあったが、「いじめられる方が悪い。いじめられる側にも原因がある」と言われた。
当時のバレーボール経験者ならわかると思うが、ミスをすると、自分自身で自分の利き手側の太ももの外側をパチンと叩いて、己に喝を入れたり、鼓舞する習慣があった。母は、私の頬にも太ももにも、真っ赤に手形が残るように叩いた。そして、自分が下手でできないのだから、自分で叩きなさいと言った。手加減して叩こうものなら倍にして叩かれるので、試合中、自分で自分を叩き、母の顔をちらっと見て機嫌を伺いながらプレーを続けた。試合に勝とうが負けようが、毎回太ももは手形が残るくらい赤くなり、青い斑点のようなあざが決まって数日残った。それが多いほど、母に、ミスして申し訳ありません、反省していますと示すことになった。
試合に負ければ、すぐに駆け寄ってきて「ちょっと来なさい」と髪の毛を掴んで、引きずるように校舎や体育館の陰に連れて行かれた。「なぜ言った通りにできない?」「あの場面で……」と執拗に責め立てられ、下を向いていると、「人の話を聞く時は、目を見て聞きなさい」と、前髪を掴んで顔をあげさせられるやいなや頬を叩かれた。その顔や目つきが気に入らないとさらに叩かれた。試合に負けて悔しいという思いより、恥ずかしくて、情けない気持ちで辛かった。母は私を叩きながら、「叩いているお母さんの方が痛い」と何度も言った。
一度だけ、母が姉のように慕っていた近所の幼馴染のお母さんが止めに入ってくれたことがある。「もうやめておき」といって、母に後ろから抱きつくようにして母の動きを封じようとしてくれたのだ。
しかし、母はこの一言で終えた。
「うちのしつけです」
そして私に「よそはよそ、うちはうちだから」と言って聞かせた。
私は絶望した。そして中学への進路を考えるにあたり、母の態度はさらにエスカレートしていったのだ。
◇中学時代の悲しい思い出については、後編「骨折した足にテーピングして…娘をバレーボール選手にしたかった母「驚愕の行動」」で詳しくお伝えする。