小学2年のときに「母の夢」を託される

「コントロール」で最も激しい記憶は、小学校2年生の時に地区のバレーボールクラブに入れられたことだ。母の小さい頃の夢がバレーボール選手で、ママさんバレーに参加するほどバレーボールが好きだった。しかし、母はバレーボール中にアキレス腱を切り入院し、プレーができなくなった。そこで、幼稚園生の頃から同級生の中で頭一つ抜けて背が高かった私に、自分の代わりにプレーさせようと思ったようだ。

それまでは、礼儀作法のためにと、兄と共に剣道をさせられていた。私はバレエやピアノを習いたいと言ったが、「習い事なんて必要ない」とさせてもらえなかった。それなのになぜかバレーボールクラブに入れられた。思い切ってピアノを習いたいとお願いしてみたが、バレーボールでで突き指したり、指が太くなったりもするので無駄だと言われ、させてもらえなかった。

 

私が住んでいた地区のチームは人数もぎりぎりで、強いチームではなかった。途中から妹も入った。地区のチームなので母親たちが交代で監督やコーチを担っていた。母がコーチだった時もあった。人数が揃ってくると、私は運動神経の良さと言うよりも、背が高く有利に動けたため、上手な選手と認識されるようになった。地区のチームはみんなが真剣に取り組んでいるわけではなく、楽しくワイワイしている子が多い。最初から誰も勝てるとは期待していないチームでだったけれど、少しずつ勝てるようになってきたため、小学校5年生くらいになると、他校からも来るジュニアチームにアタッカーとして入れさせられた。

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