「みんな麻雀がヘタクソすぎてイライラする」 天鳳、プロ雀士、高レートを経てきたアンザイさんの波乱万丈麻雀人生
アンザイさんは現在32歳。20代のときに天鳳十段の強者としてSNSで話題になり、その後、日本プロ麻雀協会のプロにもなったが4年で辞める。
最近になって、時々Mリーグや麻雀プロのことをやんわり批判する投稿をしているアンザイさんに、お話を伺った。
麻雀が強くてお金が無いなんてありえない
アンザイさんに会い、「お話を聞きたい」と言ったら、「お話って言っても、僕のこれまでの人生は全部ギャンブルですよ。いいんですか?」と言われた。
そこで今回は、過去にアンザイさんが関わってきたギャンブルの話を中心にお話してもらった。ここに出てくる「場」や「人」とは、今は完全に縁が切れているというので、あえて生々しいところまで話していただいた。
現在のアンザイさんのおだやかな生活については、後に少し触れる。
「本当に強い人がオンレート雀荘のメンバーをしていて、毎日麻雀を打ってるのにお金が無いなんて、ありえないんですよね。雀荘のメンバーって、勝てばお金が増える、負ければお金が減る、という単純なシステムなんだから、打ち続けていれば本当に強い人はお金が増え続けるはずなんです。それなのにお金が無いというのは、やっぱり、弱いということになってしまうんじゃないですかね。高レート麻雀は少し特殊で、お金を稼ぐためには、腕ももちろん必要なんですけど、他にも大切なのは『場』だと思っています。高レート麻雀で稼ぐために、僕は『場』がたくさん欲しいと思っていました」
アンザイさんが真剣に麻雀に取り組み始めたのは高校生の時。その頃からのギャンブル人生を語ってもらおう。
不良に憧れてた少年から麻雀店のバイトに
アンザイさんは千葉県出身。
お父さんお母さんと、3歳年上のお兄さんに囲まれて、裕福な家庭ですくすくと育った。
幼いころからスポーツ少年で、小学校に上がる前に野球を始め、将来はスポーツ選手になりたいと思っていた。勉強でもスポーツでも何でもでき過ぎるくらいできて、どこにいっても目立つ子供だったという。
しかし、中学生の頃から不良の先輩に憧れ、ヤンキーの仲間とつるむように。
「高校生の時は恥ずかしながら、悪いことがカッコイイと思っていた時期だったので、友達と一緒にグレて、ヤンキーのたまり場になっていたダーツ屋や雀荘に入り浸っていました。仲間に教えてもらって麻雀を覚えたのもその時です。
そんな生活をしていたので、ケンカをしたりする事もよくあったんですが、少し目立っていたある時、ケタ違いにケンカが強い不良に目をつけられてそのままケンカになり、目の前で友達がボコボコにされて血まみれになっているのに怖くて何もできかった事件があり『なんて怖い世界なんだ。そして自分はなんて無力で、ダサいんだ』と。
その辺りからは、調子に乗るのをやめました」
17歳の頃から千葉県下の雀荘でアルバイトを始めたアンザイさん。その後、裏メン(客と同様に麻雀を打つだけの仕事)もしながら、小岩や錦糸町あたりの高レートの麻雀に出入りするようになった。
「高レートは場代の比率がかなり低いんですよ。動くお金自体は大きいんですけど、場代の比率は低い。
例えばピンのフリー麻雀で1Gのゲーム代が600円だとしたら、ゲーム単価+6ptでチャラ。そこから1pt単価が上がる毎に、ゲーム単価+100円、+200円……となっていくわけですが、デカピンのマンション麻雀で1Gのゲーム代が1000円だとしたら、1ゲーム+1ptを出すだけでチャラになるんですよね。ピンのチャララインである+6ptなんか出したらゲーム単価+5000円です。東風戦なら1時間3〜4G打てるので単価+6ptなら時給+15000〜20000円という事になりますね。
つまり、本当勝てる人がお金を稼ぐ目的で打つんであれば、高レートで打った方が期待値的には得、ということになるんです。
ただしお客さんのお金も無限ではないので、勝ちすぎて周りの人のお金を奪いすぎてしまうと、その『場』自体が続かなくなります。だから高レートというのは一つの場がそこまで長く続かない事が多く、どこがいつ潰れてもいいように、打てる場はたくさん欲しいと思ってました。
小岩や錦糸町で行ってた場のレートはそれほど高くはなくて、時給換算すると大したことはなかったんですけど、その分お客さんが多くて割と続きそうだったから通っていました。
雀荘の裏メンをやっていたのは、高レート麻雀のリスクを担保するためです。最初の方はそれほど バンクロール(ギャンブルに使えるお金の総額)があったわけじゃなかったので。1カ月30日のうち、15日くらいは裏メンもして、バンクロールを貯めてました。
高レートを打っていると、いろんなマンション麻雀の情報が入って来るんです。初めの頃は相手がどんな人か、とかどんな場か、とか関係なく、何も警戒せずに、とにかく誘われたら全部行ってましたね」
22歳で500万円貯まったところで、裏メンはやめ、「専業」になった。「専業」とは、ギャンブルだけで生きていく人のことである。
初めて打ったサンマで圧勝資金が一気に増えた
「自分の持っている場が大体都内だったのもあり、専業になってからは新宿に引っ越しして、新宿、大久保、高田馬場、小岩、錦糸町、池袋、六本木、と、本当にいろんなところで打ってました。ちょうどその頃ポーカーも覚えて、ポーカーも誘われたらすぐ行ってましたね。当時はポーカーなんて全然強くなかったハズなんですけど、何故か結構勝ってました。とにかくツキまくってたんだと思います」
22~23歳のギャンブラーは、高レートの世界ではどんな存在なのだろうか?
「若いから、初見では相当なめられてたと思います。自分が出入りしていた場では、『若手』と言われる人でも30歳くらいでした。だから僕はずっと年上の人と打ってました」
アンザイさんのルックスは、とてもやさしそうで繊細そうだ。もちろん実際にやさしくて繊細で、極めて知的だ。
「僕は中高校生の時に不良に憧れていた子供だったので、イケてる年上の人たちのことをまず『カッコイイ』と思っていたんですよね。だから30歳くらいの半グレのお兄さんたちが相手でも、怖いとか思うことはほぼなくて、シンプルにこの人カッコイイなぁと思ったし、どんな人なのか興味もあったし、初対面の時から怖がらずに、明るくフレンドリーに接してました。
他にも、高レートの場にはちゃんと働いているお金持ちの社長さんとか、リタイヤしてお金と時間がたくさんあるおじいさんとか、謎の金持ちとか(笑)いろんな人がいましたけど、僕は誰に対しても『この人嫌いだな』とかは思わなかったんです。人間って、自分のことを好きな人のことって基本的には嫌いにならないと思うんですよね。僕は色んな人に興味があったし、そんな場で出会うほとんどの人のことが普通に好きでした。だから誰よりも若い僕でしたが、自分で言うのもあれですけど、基本的にはみんなに好かれて結構かわいがられていたと思います」
そんな環境で、アンザイさんは勝ち続けた。
「勝ち続けていく上で、年上の皆さんから、『強いね』と言われるのは当たり前でした。ずっと、自分でも信じられないくらい、永遠に勝ち続けてましたからね。なんだったんでしょうね」
そういう場に、いわゆる麻雀プロ団体に所属している人も出入りするものだろうか?
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