②松田亘哲投手(愛知県岩倉市、名大出身) 名大卒4年目、支配下登録に向けて必死…鍵は再現性 <逞しく 昇竜の志>
2023年5月22日 01時05分 (5月22日 10時21分更新)
中日ドラゴンズの育成選手、松田亘哲投手(25)=愛知県岩倉市出身=は、7月末が期限の支配下登録に向けて必死に腕を振っている。名大卒の異色の経歴で入団して4年目。試行錯誤を繰り返し「今は自信を持って投げられている」と手応えをつかみつつある。
―5月2日のソフトバンク3軍との練習試合で約1カ月ぶりに登板。一回を三者凡退に抑え、2三振を奪った
スライダーを腕を振ってストライクを取れるように練習してきたのを、そのまま出せた。初球でストライクを取れて流れに乗っていけた。狙い通り三振を取ることは元々、今年すごく自信があった。投げた試合は全てで三振を取っている。一時は「球もそんなに速くないし、打たせて取ろう」とか考えていたけど、細かい制球があるわけではない。もともと、速球とスライダーで三振を取るスタイルだったので、しっかり腕を振ろうと思った。
―登板がなかった約1カ月間は何に取り組んでいたか
試合のメンバーから外れたのは自分の実力不足。せっかくなら武器の直球をさらに磨こうと、体の使い方を大胆に見直した。空回りしてうまくいかない時期もあったが、岩崎(翔)さんや(岡田)俊哉さん、コーチたちと話し合いながら、自分なりのアプローチを見つけることができた。真っすぐを良くするには真っすぐを投げ続けるしかない、と思っていたけど、スライダーを投げている中で良い感覚をつかめた。今は自信を持って投げられている。
―高校時代はバレーボール部。プロの世界に戸惑いはなかったか
基本的には野球選手って強豪校でやってきた人の集い。僕は、そもそも野球歴が浅いし、育成の最下位で入ってきているので、みんなとは立場も違う。「何でもやっていかなきゃ」と、何にも抵抗を持たず全てを吸収しようとしてきた。最初は体力的にきつかったけど、それも1年で慣れて、肩も2年で慣れて。今は週6日で長い時間練習するのも当たり前にできるし、体力的な数値も他の選手に負けないようになった。試合では打たれたこと、抑えられなかったことばかりが思い浮かぶ。
―育成選手として4年目を迎えた
大卒だし、普通は3年で終わるところで、4年目の契約をしてもらえた。年齢的には1軍で活躍している選手が多いし、育成は少ないので、足踏みしていることがもどかしい。でも1年目にけがをして、2年目で試合に投げて、3年目で先発も中継ぎも経験して、球速も出るようになって。少しずつは進んでいるのかなと。(7月末の支配下登録期限まで)時間は少なくなってきているけど、諦めるつもりはない。
―高学歴だが頭でっかちにならず、体当たりで練習してきた
プロになるまでも、考えた筋道なんてなかった。野球やりたいって野球部に入って、少しずつ結果が出て、プロ野球選手になりたいと。じゃあ傾向的に「左利きで150キロ投げたらなれるかも」って、本当にそれくらいだった。それも行き当たりばったりだったと思う。
―現在の課題は
技術と再現性。ベテランや実績ある選手は試合でのブレが少ない。さかのぼって考えると、その前のブルペン、さらにキャッチボールもブレが少ない。もっと言えば、体の可動域や体調のブレが少ないから、いつも一定のパフォーマンスが出せる。そういう一個ずつを安定させられれば、結果も安定してくると思う。
―そのために取り組んでいることは
同じ生活することが退屈っていう人もいるけど、僕は毎日同じことをするのが好き。起きたら体重計に乗って、朝食はサケを焼いて、卵とブロッコリーを炒めて。ストレッチも同じことをして。そうすると、体の違いもだんだん分かるようになってくる。
―応援してくれる地元のファンへ
大きなことは言えない。毎日毎日、結果を残すために必死に考えて、必死に練習している。ファームで結果を残して、支配下になって、バンテリンドームナゴヤで結果を出すってことしかない。そこに立てることが恩返しになると思う。そのためにずっと頑張っているので、これからも必死に考えて、必死に体を動かしてやっていきたい。
まつだ・ひろあき 1997年5月16日生まれ。岩倉市出身。岩倉北小、岩倉中時代は野球少年だったが、県立江南高ではバレーボール部に所属。名大で再び野球を始め、育成ドラフト1位で2020年に入団した。176センチ、80キロ。
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