文春砲には、もともと日本の週刊誌にありがちな印象操作と不正確な噂話を交えた記述が多い。だが、フジテレビはその罠に引っ掛かって、対応を見誤ってしまった。
報道する側は、続報につぐ続報で微修正はしても、誤報の責任をほとんど問われず、決して謝らない。その過程でどんなに人権侵害をしようがどこ吹く風である。
「報道」はフェアゲームではない。もし詳細が違うなら、その細かな情報提供まで含めてこっちに教えろ、そしてまた好きに報道させろというのが「報道」という特異な権力のこれまでの振る舞い方だった。
テレビも週刊誌もその点でかわるところはない。フジテレビの失敗は、自分たちもやってきた「報道」が自社に向けられた瞬間、フェアゲームだと勘違いしてしまったということだ。
性接待などというおどろおどろしいことが仮に存在していなくても、社内に立場を利用したセクハラがなかったか、職場関係の延長線上に、問題視されるような「性の乱れ」があったかなかったかまでが、おそらく今では問われている。株主も要求しているようだし、遠からず第三者委員会立ち上げになるのだろうが、そこまで含めて社風に問題がなかったかきちんと調査した方がいい。
フジテレビは、文春砲の第三弾記事以降は世間の関心が中居氏事件に限定されないということを認識できなかったのだろう。おそらくいま問われているのは女性の扱いをめぐって、本当に過去に何も問題がなかったか否かであって、管見の限り、その問いに「ありませんでした」と答えられるメディアは新聞を含めて存在しない。
いまテレビを追及している新聞記者とて、政治あるいは警察とのあいだで女性記者に対する取材対象者からのセクハラを放置してきた過去がある。しかし、もうだいぶ危機感が芽生えてきて、彼らも変わりつつある。
今の日本社会ですでに「偉いポジション」にある人たちは、男女問わずそのような昭和平成時代を生き抜いてきた人々であり、世間の常識の変遷に追いつけていない可能性が高い。
もちろんフジテレビのスポンサーに名前を連ねる大企業だって、過去に遡れば脛に傷はあろう。しかし、現在上場企業はコンプライアンスを極めて重視しており、飲み会の設定ひとつとっても、若手に嫌がられないか、ビクビクしているほどだ。単なる不倫さえ、辞任の引き金になりかねない。
自分たちが急速に変革を求められるようになったのに、テレビだけがいまだに性に関して時代遅れで野放図である、そんな反感が向けられているということを、フジテレビ含むテレビ業界はよくよく理解しなければならないだろう。テレビはファン向け商売が成り立たず、スポンサーが全て。それが現実である。
フジ社員の皆さんは、報道機関たる自分たちの立場を踏まえ、ぜひテレビ業界の先陣を切って、自ら色々と変わる、変えるチャンスとしていただきたい。頑張ってください。
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