法華狼の日記

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北朝鮮の政治外交軍事を研究している専門家の宮本悟氏、大統領選挙の実現と大正デモクラシーを同等の民主化のように主張

 共和国どころか議会主義的君主国ですらなかった大日本帝国と、大統領を直接選挙で選べるようにした大韓民国が同じように民主化されているとはいえまい。


韓国が民主化したのは1987年で、日本で最初の民主化は1910年代の大正デモクラシーとされているから約80年の差があるんだが、日本の民主主義の経験が浅いというのは、自分が浅学なだけだよ。😝


大正デモクラシーと1987年を比べているのもよくわからんし、1960年(4月革命)は無かったことになっているのかしら。

 もちろん大正デモクラシーも当時なりに意義のあった民主化の動きであったとは思うが、民主化運動と民主化達成を混同させるレトリックは感心しない。皮肉のつもりであっても成立していまい。
 それなりの規模で社会を動かした運動を数えていいならば、韓国にしても1987年よりも前に複数の「民主化」があっただろう。日韓にかぎらず、どこの社会でも体制が変わる以前に体制を変えようと動いていた民衆がいたはずだ。


 ちなみに宮本氏は自民党の裏金問題を軽視するように、日本人は政策で投票しないという見解を語っていたことがある。
北朝鮮の政治外交軍事を研究している専門家の宮本悟氏のツイートをいくつかメモ - 法華狼の日記

政策で投票する日本人ってどれくらいいるのよ?あんまり聞いたことない。せいぜいイメージや印象で決めているんじゃない?だから裏金とか烙印的なメッセージが効いている。これは政策には何の関係もないし。

権力者の問題よりも、それを批判する市民の態度ばかり気にするという意味では、宮本氏にも一貫性があるといえるかもしれない。

 しかし宮本氏の主観が正しいならば、それこそ日本にまだまだ民主主義は根づいていないように見える。もちろんこれは皮肉だが。

  • s3731127306973

    長文失礼します。

    とうとつに思われるかもしれませんが、1987年というと、日本では「知の大衆化」現象がおきてすでに5年以上たった時点、ということになりますよね。(「桃尻娘」シリーズ(橋本治)が1977年からはじまります。)
    わたしは現在の日本の民主主義の度合いを勘違いさせる原因のひとつは、「知の大衆化」の罪の部分の位置づけをものすごくまちがえているからだと思ってます。「知の大衆化」が日本では小林よしのりと西村博之、それと宮台真司に地位を与えた、このことを自由主義とかんちがいしてたんじゃないか、と。

    いま、宮台真司氏の「終わりなき日常を生きろ」をあらためて読みながらそう考えています。

  • hokke-ookami

    「立憲君主国」を「議会主義的君主国」に変更しました。


    s3731127306973さんへ
    うーん、私は「知の大衆化」というものが謙遜などでなく、よくわかっていません。
    ただ高等学校に行かず体系的に学べない民衆でも独自に「教養」を学びあっていた時代は1970年代以前からあったと思います。そうして教養をもった共同体として政治に参画することもできた。
    1980年代の「大衆化」に「罪」があるとすれば、それは民衆の学ぶ教養から「政治的」な事柄が排除され、個々人の趣味性の追求はできてもひとつの目的に一致して行動する機会を失っていったことが問題だったのではないかと思います。今ここで思いついたことですが。

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