伊穂衝突事件とは、主にほのりん氏やソ共連界隈民とス連メンバーとの喧嘩それに伴う追放や戒厳令などの一連の騒動であり、ス連最大の事件である。
伊穂衝突事件 | |
年月日 | 2022年12月24日~2023年1月6日 |
場所 | ス連 |
結果 | ほのりん含むポムポム党員、マ創国民のス連からの追放 |
交戦勢力 | |
ポムポム党 | ス連議会 |
指揮官 | |
ほのりん お茶 マスおぢ しょきちょー | 伊吹 モン安倍 りょくちぃ 鎌月 |
損害 | |
党の解散 党員が全員追放 | グループが荒れる |
概要
序章
2022年11月15日、りょくちぃ氏は別グルでほのりんとの仲が悪く、ほのりんをブロックしていたろりぃや氏をス連に入れるべく管理者権限を使いほのりんを追放する。ほのりんはその後サブ垢を使い復帰するが、この処分はりょくちぃ氏への反感の原因となる。
12月11日、ス連内で大規模な爆破テロが発生する。
すぐさま捜査、復旧が始まり、犯人はヘリウム氏だと断定された。しかしその処遇はりょくちぃ氏によるものだった。ほのりんがそれに一石を投じ、伊吹氏がそれに反論し、ソ共系の国民とストライヒ系の国民でス連がとても荒れまくった。
始まり
12月23日、他グループでの確執が原因でほのりんと伊吹氏の喧嘩が再び起こり、当時のモン安倍大統領がほのりんを首相から解任した。しかしほのりんは同じくモン安倍氏やりょくちぃ氏とも仲が悪かったため謹慎に抗議しめちゃくちゃ荒れた。
当時議長だったりょくちぃ氏は、モン安倍大統領の許可を得て国家非常事態宣言を発出、一度全権限が議長に移り、臨時的に伊吹氏とほのりん氏を謹慎とした。しかし伊吹氏は1日謹慎、ほのりんは年明けまでという差もほのりんの不満に拍車をかけた。
この荒れ方は凄まじく、この事はス連のテレビ局全てが報道した。
当時の会話(時系列順不同)
選挙戦
さらに24日は大統領選が行われたため、復帰した伊吹氏が出馬する。
そこにいわゆるソ共界隈の人間で構成されたポムポム党からマスおぢ氏が出馬。また、ブリタニア氏も出馬していた。(伊吹氏とブリタニア氏は連立を組んでいた。)
管理者のりょくちぃ氏、モン安倍氏や伊吹氏などのス連参加勢、パタパタ氏やSYUM氏やもち氏などのス帝参加勢も伊吹を支援する一方お茶氏やしょきちょー氏はマスおぢ氏(ポムポム党)を支援する。ソ共界隈vsストライヒ議会の戦いの始まりである。
15時、ブリタニア氏が選挙を辞退し、連立を組んでいた伊吹氏に全ての票が移る事となった。
ポム党は「ストライヒの民主化」を推進するという公約を出したが、ポムポム党という名前がモン安倍氏やりょくちぃ氏を始めとする議会派の目に留まり文化侵略だという声が上がった。
(実際、マ創においてポムポム党員は「ストライヒにポムポム広めよう」などと発言しており民主化というのもストライヒをマ創に近い政治体制にするという思惑があったとされる。)
その後はお互いに「文化を守る(伊吹)」、「改革する(マスおぢ)」という公約を掲げ選挙戦を戦った。
追放
しかし時刻は午後5時を回った頃、突如として「荒らし防止法」「文化保護法」が施行され議長がりょくちぃ氏から鎌月氏へ交代されたのち、鎌月氏はいまだ発令中だった非常事態宣言を利用し、ほのりんを正式に追放処分とした後、りょくちぃ氏についての疑惑の捜査の結果、刑法8条が適用され、追放処分とした。その他見過ごされていた犯罪者たちやポム関係など、法律に違反したことのある者たちを罰して回った。
しかしお茶氏に過去かきすに氏と仲良くしていたことを指摘され、非常事態宣言を解除し退陣を余儀なくされた。
こうして臨時鎌月政権はあっけない終わりを迎えたのであった。
投票結果
肝心の投票結果、謹慎などで選挙権を失った者の票を差し引いて同数となったたため決選投票が行われる。しかししょきちょー氏は「伊吹氏の票の1つであるブリタニア氏の票がブリタニア氏本人への票と伊吹氏への票とで二重投票となっており、無効ではないか」と主張。一方ブリタニア氏本人はバグだと主張しここでも喧嘩が起きた。その結果しょきちょー氏も謹慎処分となり、決選投票開票1時間前の20時にポム党員はほぼ全員が謹慎となった。
最終的に伊吹氏が勝利し新首相に就任した。
延長戦
その後1月1日にお茶氏やしょちょー氏が復帰し、1月6日の大統領選に出馬するも「議長の民選化」という公約がモン安倍氏やりょくちぃ氏の反発を招きさながら延長戦のような様相を呈した。また、1月8日にはほんこんぼーる氏による内部告発によりほのりんがポムポム党を通じてス連に内政干渉を行っている疑惑が浮上し対策としてポム党員全員が再び謹慎、ポム党は強制解散とされた。
内部告発されたポムポム党の会話
また、この日唐突にカ国がストライヒから独立した。
大統領選挙はモン安倍氏の勝利となった。
現在
現在ではパタパタ大統領(当時)による2023年4月の法改正により治安維持法や文化保護法はス連国家法に統廃合され、2023年9月にはモン安倍大統領(当時)によりお茶氏としょきちょー氏が、2024年6月には伊吹大統領によりマスおぢ氏が恩赦された。
しかし相変わらずモン安倍氏・伊吹氏とほのりんの仲が悪かった事、ス連の友好国であるロリヤ連邦、香港維新、ソ狂連でも国家の敵扱いになっていた事、さらにお茶、しょきちょー、マスおぢ氏さえもほのりんを嫌いになっていたのもあり、ほのりんは恩赦されなかった。
また、同じくパタパタ大統領(当時)による2024年1月の法改正では議長職や国家非常事態宣言が廃止され、文化保護法に相当する条文は削除された。
この一連の騒動はス連において半ば黒歴史とされている。