和多志とは、
- 大山祗神(オオヤマツミ)の別名。和多志大神。現在の「渡し」にあたる意味と思われる。
- 「私」の表記の1つ。スピリチュアル界隈やJアノン界隈の一部などで使われている。これらの界隈で「私」の戦前での表記とされているが、実際には戦前の文献に発見されていない語。当記事で記述する。
概要
「『わたし』は本来『和多志』と書いていたが、GHQの強制により『私』となった」という風説がある。
しかし、戦前では実際には多くの文献で「私」「わたし」等と書いており、「和多志」と書いていた例は発見されていない。仮に「和多志」という表記が存在していたとしても用例はごくわずかであり、強制してまで変更するほどでもなかったと思われる。
そもそも2021年現在でも戦前から生きている人が存命している中で、その人たちからも「和多志」の話やそれが「私」に強制された話は一言も挙がっていないため(仮に全国的に強制されたとすれば、何らかの証言が断片的にでも残る)、強制したという話はデマであると思われる。
一例として、戦前に書かれた夏目漱石の小説『こころ』で「わたし」と書かれている記述を挙げる。
- 自分が好いと思い込んだら、なかなか私(わたし)のいう事なんか、聞きそうにもなさらないんだからね。(中・二)
- もっとも時々はわたしにも心細いような事をおいいだがね。(中・二)
- 私(わたし)もそう思うんだけれども、読まないと承知しないんだから、仕様がない。(中・十二)
- 私(わたし)はさっき二十分ばかり枕元に坐って色々話してみたが、調子の狂ったところは少しもないです。(中・十二)
- 「私(わたし)も実は驚きました」と妹の夫も同感らしい言葉つきであった。(中・十二)
- 道理で妾(わたし)が話したら変な顔をしていましたよ。(下・四十七)
そもそも「わたくし」と書く例も戦前からあり、ここから転じて「わたし」という語になったと考えられているのだが、「わたくし」の場合は漢字でなんと書いていたのかは無視されることが多い。
万が一にも「和多志」と書いていた戦前の文献の例があった場合は、下部掲示板までソース付きでの情報提供をお願いしたい。
関連項目
- 10
- 0pt