葛西伸哉

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葛西伸哉
@kasai_sinya
ラノベ作家。『封印魔竜が最強の仲間たちと~』(HJ文庫)ほか発売中! amazon著者ページはこちら。 amazon.co.jp/-/e/B004LP13GK
北海道Joined January 2016

葛西伸哉’s posts

「男がメインで女が少数のスーパー戦隊」と「女がメインで男は基本メンバー入りしないプリキュア」の両方があるのが多様性であって「戦隊もプリキュアも、どっちも男女同数。主人公やリーダーも均等に」が多様性ではないよな。
いわゆる「スポーツが好きな子」は反対するのだろうけど、振り返るに義務教育の体育で学びたかったのは「競技」よりも「コンディションを保ち、日常生活のクオリティ向上に寄与するための肉体の扱い方」だ。
前にツイッターで、こんな訴えを目にした。 「何故衛生に厳しいはずの病院で感染者が出るのかって? それは何故プロの軍人が死ぬのかと同じだ。最前線で仕事しているからなんだよ!」
友人の言葉。 「本という生き物は、棚できちんと管理しているうちはまだいいが、床で放し飼いにすると際限なく増えていく」
これは至言。 体調が思わしくない時は、食べ慣れたモンを喰って休むべし。得体の知れないスタミナメニューに挑むな
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伸びない絵師
@BADfavo
しんどい時は前情報なしに新しい作品を見るな 必ず昔救われた作品を反芻しろ 絶対に新天地で救いを求めるな x.com/nekochan_2800/…
「お前が低価格を覗き込むとき、低賃金もまたお前を見ているのだ。お前が無料を覗き込むときには、ただ働きがお前の足首を掴んでるのだ」
多分「サイゼで喜ぶ彼女」を反転させたものは「カップ麺で喜ぶイケメン彼氏」ではなく「デートの時彼女が近所のコンビニに買い物に行くようなすっぴんジャージで来る彼女を喜ぶ彼氏」じゃないかな。 そして「さすがにイヤ」じゃなく「それでもいい。それこそがいい」という男は一定数いる。
これはもう何度も言ってるけど、(非現実要素がある)漫画アニメの実写邦画でたいがい厳しいのは「衣装のコスプレ感」。 これ、デザインとか縫製とかじゃなく「着ててヨレた感」がないからコスプレっぽいのだ。
『岸辺露伴は動かない』、NHKの展示で衣装の現物もデザイン画も担当者のコメントも目にしたけど、漫画のビジュアルを再現する、形を寄せるんじゃなく「デザインに込められた意図、演出が必要とする表現」に基づいて再構築してるからこその成功なんだよな。 実写『JOJO』はそこで失敗してた。
鬱エンドの大傑作『ミスト』は「限られた情報の中で主人公が理性と良心の限りを尽くして〈主体的に下した決断〉が全て無意味だった」から効くんだよなぁ。 ただ外部の力で為す術もなく不幸になるようなのは概ねつまらない。
「好きな絵師や作家の私的言動に幻滅する」とか「消防士や郵便配達員が制服で食事や休憩を取っている姿にクレーム」とか「教師や医師にプライベートを捨ててまでの奉職を求める」って、全部ひっくるめて「他者を人間としてではなく機能として見る。機能としての純粋さを求める」って事なんだな。
むかーし見た学生ロボコンで「材料は渡したもののみを用いてください」というルールで、材料が入っていた箱はもちろんエアシリンダーのマニュアルまで構造材として用いていたのに、最初に感動したのだよなぁ。
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デゴチ
@degochiyakuri
たまに『ルールは破るためにある』とアホな事を言う人がいますが実は『ルールはシステムを運用するために守る必要がある』のです。 ちなみに高専ロボコンの常識では、ルール設定者や他の参加者が笑っちゃうような『違反では無いが想定してなかったルール解釈』を見つけると優勝する可能性が高まります
「大半のオタクはオタク社会に参加し、そこでの社会性を身につけている。それもできない奴はオタク社会からも排斥されてしまう」というのは当たり前の事実なんだけど、40年近く無視されてるよな。
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MSX研究所長
@yoshimatsuTUQ
これは誤解されがちなんですが「オタク要素が人間性の足を引っ張っている」のではなく「オタク要素のおかげで社会性を保持できていた」状況なので、オタク要素を排除すると人間としての社交性とかが壊滅します。そうなると誰も面倒見たくない人の完成です。 x.com/yoshimatsuTUQ/…
これはあまり言いたくない話だけど。 『SEED』~『Destiny』オンエア当時には「いくら何でも世界のトップが愚かすぎ、市民の命が軽すぎ。リアルぶってるのにリアリティがない」という感想は確かにあって、それがここ数年で「……うん、そうだったね、現実」という気分に上書きされてしまった。
「マナー講師に報酬や謝礼を渡すのはたいへん失礼な、許されざる行為です」という捏造新マナーを広めよう。
「本当に貧しい人はスマホ持たない、パチンコしない」「本当に善意の人はコミケの合間にはやりません」 「本当の日本人なら」 「本当のオタクなら」 「本当の女性なら」 他者の《本当》を判定できる、する権利があると考えるのは、非論理的で下品な行いじゃないかしら。
これ、怖いのはその文章を目にしたことによって「本当に自分が感じ、考えていた事」の重要な枝葉が切り落とされたり、下手したら幹が捻じ曲がったのに気付かず《上書き》してしまうケースがある事。
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ロボ太
@kaityo256
ネットで「頭の中でぼんやり思ってたことをきれいに文章化してくれた!」みたいなのを見つけること多いと思うんだけど、この時「自分には文章化できなかったことを、その人はできた」ということを少し考えた方が良いかも。頭の中身の文章化は極めて高度な知的作業で、訓練しないとできない。
「深夜アニメ」という概念。 それこそ20年前は「視聴者層を考えると深夜にしか流せない」だったけど、現在は「キッズやファミリーがターゲットでもどうせメインはネット配信なんだから、枠が取れない地上波では無理せず深夜で実績確保」にシフトしてるんじゃないか。
「マンガやゲームよりニュースが悪影響」みたいな揶揄はどうかと思うけど、さすがに「報道を参考にしたと思しき凶悪犯罪の、模倣しやすく効果的な手口」を詳細にテレビで読み上げるのは問題意識当事者意識が乏しすぎるんじゃないか。
繰り返し言ってるけどさ。 「誰も傷つかない表現がある」という思想は、人間の多様性をナメてるか、そうでなければ「私が許容する表現で傷つく者は《誰も》に含めないので、排斥か矯正の対象である」か、最低でもどちらかだよ。
ワシらは今、「資本主義から民主主義を守る」事を意識しなければならないフェイズに来ているのではないか。
液体ミルクの許可・普及で圧倒的に助かる人の中には「乳児を抱えたシングルファーザー」も存在する。
これも何度かネタにしているが。 ネアンデルタール人や縄文人どころかティラノサウルスやトリケラトプスにも「怪我をして当座役に立たない状態から長く生きた個体」の骨や化石がいくつも発見されている。 「労働力にならない奴は無価値」こそが、近現代の特殊な偏見なのではないか。
「なんで異世界なのにハンバーグがあるんだよ」と考えるより「大きなハンバーグが特別なご馳走」という描写から文化や経済のあらましを考える方が楽しいよな。
鉄腕DASHやブラタモリが心地よいのは(野次馬根性ではなく)知的好奇心と、専門家や地域に対する敬意があるから。「異者」を珍獣みたいに笑う文化とは真っ向逆。
根本的な問題は「AIに仕事を奪われる」事ではない。 「人間の労働力を必要としない方向に進んでいるのに、個々人は仕事しないと食えない社会」のままである事ではないか?
ロジハラがあるなら当然「過度の感情論で相手を追い詰めるエモハラ」もある事になるんだよな。 割と無視されるけど。
何度か言ってるけど、この辺「テレビアニメ放送と雑誌連載が時間的に同時でなければならない」という商売上の制約が消えて「連載が終わっても映像は続けられる」「本筋を無理に引っ張るより外伝やスピンオフで横に広げる」が基本になったのが大きいんじゃないかなぁ。
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早坂よもぎ
@yomogi0414
ワンピナルトブリーチの世代からすると、鬼滅ヒロアカ呪術が「ちゃんと終わる」の、時代変わったなーと思う
これ、引っかかった中に「少女を交えて3Pしようとする男女カップル」や「妻子持ちで、地域のボーイスカウトなどの指導者」がいるのも重要。 「非モテの童貞」を悪魔化しても問題解決は遠のく。
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🌹👠❤️‍🩹💄🌹
@ABnorma123
役者が12歳の少女になりきってSNSアカウントを作り、性犯罪者予備軍がどれだけ多いかを証明するドキュメンタリー キモすぎるけど有意義だし面白かったからおすすめです、加害側はすぐハニトラとか言い出すけど釣ろうとしなくても勝手にハンター気分で群がってくる奴らが多すぎるだけなのがよく分かる x.com/ABnorma123/sta…
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『スレイヤーズ!』の一行目「あたしは追われていた。」は「この小説は一人称で、語り手=主人公は女性である」「主人公は一見すると危機的状況にある(物語は既に動いている)」「しかしその実、彼女はその危機に冷静に対処ができている」という認識をたった十文字強で読者に与える技巧の塊。
あるフィクションが描いている内容を好む事は必ずしも「実行したい」「現実に起きてほしい」を意味しない。 サメに喰われたいサメ映画マニアは多分極めて少ない。
これ、フィクション作りで「取材」を怠ると定番の模倣が定番になっていくという一般的現象とも言える。
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Dellaverre🌗O'Driscoll
@dellaverre
神谷浩史がなんかラジオ出たときに「会社員のガヤになると俺達仕事内容何にもわかんないから『これコピーとっといて』ぐらいしか言えなくてやたらコピーばっかしてる会社になる」みたいなこと言ってたな
男か女かという話じゃなく、世の中ってそんなに「性欲・恋愛欲求を最優先に駆動している」人間ばっかりなの? 「群れにおける互恵のメリット」だとか「自分が善良な人間だと実感できる喜び」だとか「良心の呵責」だとか、そういう動機で日々のささやかな善行ってやらないの?
「フィクション内の喫煙描写」について。 ・昔は当たり前に(主に男性が)吸っていた。 ・今ではかなり厳しく忌避される。 この間に、ごく短い期間「女性のスモーカーは、男性に負けない、尻込みしない強さの表現」だったというのは忘れ去られそうだなぁ。
性欲も差別心も攻撃性も、まず自分にそれが「ある」のを認めないと管理もできない。 「私のは性欲じゃない、差別じゃない」という正当化の野放しこそが危険。
むしろ「存在しないもの」は「禁止されない」のよな。 例えば現在日本の法律に「超能力の悪用を禁じる」条文はない。
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小太刀右京/Ukyou Kodachi
@u_kodachi
さすがに思うことがあったのでコメントしますが、ある架空世界で同性愛が非合法化されているからその世界に同性愛はないはずだ、は差別的すぎます。現在も同性愛が非合法の国家で戦っている同性愛者はいますし、日本でも同性婚は非合法ですが「婚姻」している同性愛者はいますよ。
「差別に一切根拠がない事で、差別のおぞましさ、馬鹿馬鹿しさ、愚かさを描く」という点では『翔んで埼玉』という傑作があるからなぁ……。
ヴィーガンにせよベジタリアンにせよ、個人の思想としては尊重するけれど、それが「自然」だとか言われると、消化系にせよ代謝系にせよ歯列にせよ、ヒト種の肉体は動物を食べる方が効率的であるという事実を持ち出さざるを得ないのだよな。
『オデッセイ』や『シン・ゴジラ』への「主人公の障害になる無能・感情的なキャラがいないから心地よい」という称賛は「人格を持たない圧倒的な困難をどう乗り越えるか」というプロットだからであって、あらゆる映画・フィクションに適用できる黄金律ではない。
「誰も傷つけない表現」「それが存在し得る」という概念は「皆が受け入れてるコレで傷つくお前は間違っている、存在すべきではない」に直結してるのよね。
民主主義を守るのは「バカやクズが立候補できないように前の方でせき止める事」ではなく「万一バカやクズが当選しても、そいつがやりたい放題できる訳ではない制度を構築しておく事」ではないか。
『アフリカン・カンフー・ナチス』の監督が「ヒトラーの存在をタブーにして笑う事を許さない社会では、逆にヒトラーを神格化して崇拝する人間が現れるのを食い止められない」と言っているのは、実に正しいと思う。
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No-Marcy@フラットウッズの森のパブリックエネミー
@NoMarcy1225
Replying to @NoMarcy1225
歴史上の大事件をアンタッチャブルなものとして特別な位置に置くのは私的な範囲に留めるべきで、社会がそれを象徴化して束縛され、異論に対する「錦の御旗」として働くようなあり方は健全とは言い難いように思える。
「本物の性別違和」の人を軽んじたり侮辱したりする意図はない、と前置きした上で。 「中二病の新しいモードとしての、トランスジェンダー願望」というのは冷静に分析された方がいいと思う。 「前世はアトランティスの戦士」の変奏曲としての「私は心と体の性別が異なる特別な存在」。
フィクションは「関心を抱くきっかけ」として役立つべきで「正しい知識を教えてくれるもの」として扱っちゃいかん。 ワシらは嘘ついてお金を貰う、数少ない合法的な稼業なのだ。
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波島想太
@ele_cat_namy
「漫画で〇〇を学んだ」みたいな話が苦手で、確かに部分的に真実はあるかも知れないけど、フィクションなんていうのはミリネジ(真実)の箱にインチネジ(虚構)放り込むようなもので、もうそれはミリネジの箱の用をなさないんですよ。それを作者の責任にするな。好きに嘘をつかせろ。
もちづきさんが「ドカ食いを恥じて隠す」のってマンガ的な葛藤を産んでいる面白さの源だが、同時に「彼女の実態を知らないので、誰も治療を提案しない」という裏づけでもあるんだ。
「現実に児童買春や児童虐待をやった犯罪者」ってどの程度漫画やアニメやゲームを嗜んでたの? そういう調査ってちゃんとやってるの? 現実の子供に手を出すのは家庭・学校・宗教団体・スポーツクラブなど「他者が介入しづらい環境」での支配者・上位者という話はいろいろ聞くんだけど。
「猪と家族3人を乗せた車が事故」 「家族3人を乗せた車と猪が事故」 語順ひとつで誤読リスクはぐっと減る。 こういうのが記者や作家、テキスト屋の基礎。
「ほっときゃ誰だって子供作って育てるだろ」というのが実は当たり前じゃなかった(あるいは文化しての継承に失敗した)というのが現状なので「子供を産み育てても困らない、不利にならない」どころか「産み育てるとお得」くらいの制度設計に舵切る必要があるんじゃないかな、本気なら。
『チコちゃん』あたりでは未だに遺伝や進化に関して「~するためにこうなった」みたいな目的論的な表現がまかり通っているが、今Eテレの『なりきり! むーにゃん生き物学園』ではちゃんと「~という行動が何万年も繰り返された結果、この遺伝子が残った」と説明していた。
ラノベの講師してた時「江戸時代の日本人が、初めて目にするハンバーガーを食べる場面」という課題を出してたんだけど、その時に言ってたのが「トマト、レタス、肉食などについて《史実》と《大多数の読者がイメージする江戸時代》には大きな違いがある。そこで、どちらに則るかは自由」。
『シン・ゴジラ』がギリギリまで「私」を切り落とした「公」の映画。 『ゴジラ-1.0』がギリギリまで「公」をそぎ落とした「私」の映画。 こういう点でも対照的なのだ。
数多の失敗作が垂れ流される環境は、確実に当たると見なされた作品しか世に出てこない環境より優れている。 絶対に、圧倒的に、優れている。
テレビ局。コンテンツを新たに作る力が衰えているのなら、頼るべきは「莫大な過去の蓄積」ではないか。 NHKは割と自覚的にそれをやってる感がある。
『シン・ゴジラ』って「誰かが一度通ってみる必要があった崖っぷちのエッジ」であって「大通りのど真ん中」ではないよね。
やっぱり国家レベルの経営戦略としては「地方の国公立大学を出て、地方の高級官僚や教育・医療職が安定の勝ち確コース」というのを維持するべきなんだよな。 「上京して有名私大出て外資系の営業職がエリートコース」よりも。 少なくとも「再生産性」が高い。
『ダンバイン』の異常さって、国産ファンタジーが定着してないのに「異世界召喚された主人公は救国の勇者でも何でもなく、野心家の地方領主が国盗りのために呼びつけた多数の兵力のひとり」「現実世界のテクノロジーは異世界の文化を破壊する危険物」というあたりじゃないかな。
「何故日本はサメ映画(およびゾンビ映画)の一大消費地でありながら、サメ邦画は少ないのか」の話。「日本には低予算B~Z級映画のマーケットが貧弱」というのが原因であり、いわゆる「邦画つまらない問題」とも繋がってるんじゃないかしら?
本を焼く者はいずれ人を焼く。 恐らくこれは正確ではない。 本当は人を焼きたいけど許されてないから取りあえず本を焼くのだ。
ナウル共和国では「労働という概念のない世代」が現れて国の立て直しに困ったという話があるけど、「然るべき対価を払っていいものを買うと誇らしい」「パーっと散在すると気持ちいい」という『文化』が世代レベルで途絶えると、景気向上って難しいのかも知れない。
「負のご都合主義」「ご都合悪い主義」という秀逸な命名をした人たちがいるけど、特に必然性もドラマ的な機序もなく「より残酷無慈悲でえげつない方がリアルでシリアスで高度な物語なのだ」「それを味わえる自分は偉い」という錯誤がある。
仇討ちを合法化すると「仇討ちしたい家族がいる人」と「天涯孤独な人」「家族から疎まれている人」の生命が平等でなくなるのだよな。
まあ『北斗の拳』の頃には、作中でどんなにゲスな事ばっかりやっていても、見た目がよくて強いと人気が出てしまい、死に際に善人ムーブをかまして死後は「偉大なる強敵(とも)」扱いで許されてたのを思えば『鬼滅』や『忍極』の倫理観は高いと言える。