竹内英明元県議の自殺について
痛ましいことに、また自殺者であるが、これは竹内英明元県議のクーデターがうまく行き過ぎたことの結果である。斎藤知事は全会一致で不信任となり失職、社会的に抹殺され、街頭で1人で演説する状態になった。斎藤知事を孤立無援にすることに貢献したのが産経新聞であるし、(もしかすると署名が消されているかもしれないが)喜田あゆみという記者の記事は、竹内英明元県議から情報を得ていると思われる。斎藤知事は普通の人ならそれこそ自殺しているような状態に追い込まれたのである。そして、稲村和美候補にかなりリードされているとされたが、選挙終盤で逆転劇があった。そして、奇跡の当選の翌日に竹内英明元県議は辞職したのである。これまでの全体において(記事が残っているかわからないが)産経新聞の記事の検証も必要であろう。元県議を情報源として記事を書いていたことが察せられるが、あまりにも斎藤知事への恨みの度が過ぎる。喜田あゆみ記者が斎藤知事に私怨を持っていることはないだろうから、何らかの話を聞かされて強い反感を持ったのだろう。人生において、われわれはこういう目にあって困惑することがある。直接的に恨みを買ってないのに「何を吹き込まれたのか」と聞きたくなることがあるが、聞いても答えないしお手上げである。歴史でもこういう讒言(ざんげん)は繰り返される。元県議が情報源と思われる記事は産経新聞に限らないが、吹き込むのがうまいのかもしれない。さて、斎藤知事は辞職せずに粘っているのではなく、失職させられたのだし、そこからもう一度当選したという経緯は忘れないでいただきたい。間違いなく失脚、それこそ生きているのが不思議であるくらいの致命的なダメージである。元県議がすべての指揮を取ったわけではないが、憎悪の種を蒔いたのは事実であるし、それがあまりにもうまく育ってしまった。おねだりのデマでも、本来はそんなに大きな話ではなく、小さな種である。それを蒔いたら巨大に育った。斎藤知事についての報道は、小さなことは小さく、大きなことは大きく、という規律がなく、できるだけ大きく大きく拡大して描こうという意思が働いている。その聳え立つ威容に畏怖し、慄きが精神に根を張り、死を選んだと思われるが、稲村和美が当選していたら辞職もしてないし生きてるだろうから、たまたま巨大な怪物が彼の方に向かってきて圧死しただけである。