「人生をもう一度やり直したい」

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われわれは「増えた」「減った」というのを濫用し過ぎであり、今回のエントリーも、そういうものになってしまう。「増えた」「減った」というのは、われわれの限られた世界認識において、ザックリした印象を表現するためのものである。本当に増えたか減ったかよくわからないメクラだからこそ、そういう印象論を多用するのだ。正確な増減がわかっていれば、別の言い方をするだろう。さて、そういう盲人として世界を見渡すと、このところ「人生をやり直したい」という人が減った気がしている。おそらく理由は上昇志向の低下である。管理職になりたくない、というのはよく聞くだろう。出世してステータスを得ることへの意欲が低下しているから、人生をやり直す理由がないのである。どうしてもやり直したいという激しい上昇志向が人間から消え失せている。もし人生をやり直せるなら、初見ではないわけで、コツもそれなりに知っている。最初の人生の手探りとは違う。だが、何度やり直しても、根本的な差はないと思われる。たとえば数学が不得意だとする。やり直した人生では、数学から逃げずに地道に学んだとする。それによって、0点が60点になったとしても、本質的に数学の才能がないことに変わりはない。人間そのものは上昇しない。その限界にようやく気づいたのである。そもそも個人個人の限界だけでなく、人類そのものが、もはや進歩しない限界を抱えている。科学技術は積み重ねできるので、その足し算で生活が便利になっているのだが、その素晴らしさをさほど実感してないのもある。半世紀前より格段に便利な世の中になっているが、半世紀前の方が不便なりに活気があった。人間そのものは、もう上乗せするところはなさそうである。少子化も「人生をやり直したい」という願望の低下と関係している。子どもを作る大きな動機として、人生のやり直しというか、二周目の人生というのがあるが、最近はそういう教育熱がバカバカしくなっており、いろんな意味で限界を感じているのである。
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