1983年に発売されたファミリーコンピュータ(ファミコン)が作った「家でゲームを楽しむ」ムーブメントは、現在のNintendo Switchまで受け継がれてきました。
家庭用ゲーム機の歴史を語る上で欠かせない任天堂が、これまでに発売してきたさまざまなハードを振り返ります。
1970年代、アタリ社の「PONG(ポン)」をはじめ、アメリカのメーカーが「テレビにつないでゲームを遊ぶ」ゲーム機を販売。日本にも輸入販売されたほか、複数のおもちゃメーカーが同様のゲーム機を発売するなど、テレビに番組を見る以外の使い道を示します。
1977年、アタリ社が発売した「Video Computer System(通称:Atari VCS)」は、カセットを交換する方式を採用、「1台あればさまざまなゲーム(ソフト)を楽しめる」しくみは、北米で大ヒットします。しかし、やがてゲームの粗製濫造が目立つようになり、1982年の「アタリショック(経済的な混乱とゲーム市場の低迷)」を引き起こしてしまいました。
この時期の任天堂は、三菱電機との共同開発により、1台で15種類のゲームが楽しめる「カラーテレビゲーム15」と廉価版の「カラーテレビゲーム6」を1977年に、ハンドルコントローラー一体型の「レーシング112」を1978年に発売。1979年には自社開発による「ブロック崩し」を、1980年にリバーシができる「コンピューターTVゲーム」を発売しています。
中でも、「カラーテレビゲーム15」は約80万台を売り上げ、国内のテレビにつないで遊ぶゲーム機市場でトップに立ちました。
また、1980年に発売した「ゲーム&ウオッチ」は社会現象となり、かるたや花札の任天堂からゲーム機の任天堂へと変化していきます。
1983年7月15日、任天堂はカセット交換式の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売。同時発売されたのは「ドンキーコング」「ドンキーコングJR.」「ポパイ」の3本で、いずれも任天堂の自社タイトルでしたが、1984年にはハドソンの「ロードランナー」とナムコの「ゼビウス」というサードパーティー製のキラータイトルも発売され、自社タイトルと合わせてラインナップも充実。1985年にはアイレム、コナミ、エニックスなども加わり、質・量とも国内シェアを独占していきます。
そして、1985年9月13日、ファミコンブームを決定付ける「スーパーマリオブラザーズ」が登場。爆発的なブームは子供だけでなく大人も巻きこみ、最終的なファミコンの販売台数は全世界で6,191万台という空前のメガヒットマシンとなりました。
ファミコンの特徴として、意欲的な周辺機器が豊富だったことも挙げられます。1984年にはガンコントローラーの「光線銃」と、プログラミングを楽しめる「ファミリーベーシック」、さらにゲームに連動して動く「ファミリーコンピュータ ロボット」が発売されました。いずれも大きな需要を生むことはありませんでしたが、店舗に設置された専用システムで内容を書き換える「ディスクシステム」は、カセットを買うより安価に別のゲームを遊べたことから人気を集め、「メトロイド」「ゼルダの伝説」など、現在にも続く人気タイトルの第1作も生まれています。
1989年4月21日、任天堂が新ハード「ゲームボーイ」を発売します。モノクロ液晶におなじみの十字キーとA・Bボタン、単3電池4本で長時間駆動し、通信ケーブルをつなげられる小さなマシンは、場所を選ばず遊べるゲーム機としてメガヒットを記録。シリーズ累計の販売台数は1億1,869万台と、ファミコンを大きく超えるゲーム機となりました。
1994年11月21日、この年のクリスマス商戦に向けて発売された「ゲームボーイブロス」は、初代ゲームボーイの本体カラー変更版です。グリーン、レッド、イエロー、ホワイト、ブラック、スケルトンの6色で、発売から5年経過し、やや落ち着いていたゲームボーイ市場に一石を投じました。
初代ゲームボーイは手で持ってプレーするには本体が大きく、電池も多く使用するため重量もユーザーの負担になっていました。そこで、1996年7月21日に本体を小型軽量化、単3電池2本で8時間遊べる「ゲームボーイポケット」を投入。同年2月27日に発売された「ポケットモンスター 赤・緑」の大ヒットと合わせて、ゲームボーイが再び脚光を浴びるきっかけとなります。
1998年4月14日にバックライトを搭載した「ゲームボーイライト」を発売していた任天堂ですが、同年10月21日にカラー液晶の「ゲームボーイカラー」を投入します。反射型TFT液晶画面を搭載したことで、歴代ゲームボーイの「動きの激しいゲームに不向き」という欠点も解消。本体カラーはゲームボーイブロス同様6色でしたが、販売店限定カラー、特定タイトルの限定カラーなどが続々登場したため、ゲームボーイの中で最も色違いの多いハードとなっています。
ファミコンが他社のハードに押され始めた頃、1990年11月21日に登場したのが「スーパーファミコン」です。同時発色数を大幅に増やし、拡大縮小や回転、同時スクロールといった機能を実現したことで、ファミコンとは桁違いの表現が可能になりました。
ソフトの充実度はセガやNECを圧倒し、「スーパードンキーコング(1・2)」「スーパーマリオカート」「スーパーマリオワールド」「ストリートファイター(II・IIターボ)」「ドラゴンクエスト(V・VI)」「ファイナルファンタジー(V~VI)」「クロノトリガー」「スーパーマリオコレクション」と、国内だけで200万本を超えるタイトルが12本も生まれ、圧倒的な支持を集めていきます。世界の累計販売台数は4,910万台とファミコンには及びませんでしたが、対応ソフトは1,398本となり、ファミコンの1,047本(ディスクシステム対応ソフトは含まず)を上回りました。
スーパーファミコンの周辺機器はあまり多くありませんが、ゲームボーイのソフトをテレビ画面で遊べる「スーパーゲームボーイ」は相当数普及し、パソコンと同じ感覚で遊べる「スーパーファミコンマウス」とロケットランチャー型のコントローラー「スーパースコープ」も一定の需要はあったようです。
それらより販売台数は圧倒的に少ないものの、衛星通信を利用したゲーム配信やラジオ番組が聴ける「サテラビュー」は、時代を先取りしたシステムとして記憶に残る一台となりました。
任天堂で多くのハード開発に携わった横井軍平氏が、1995年7月21日に世に問うたのが「バーチャルボーイ」です。真っ赤なメガネ型の本体を脚立に載せてのぞき込むと、黒と赤のゲーム画面が立体的に広がります。
現在、世界のゲーム市場で最も熱いジャンルのひとつであるVRを、20年以上前に実現した先鋭的なマシンでしたが、いわゆる次世代機の画面に慣れていたユーザーには響きませんでした。
1994年のクリスマス商戦に合わせ、セガの「セガサターン」とSCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)の「プレイステーション」が登場し、それぞれ圧倒的な表現力をと強力なタイトルの投下でスーパーファミコンを圧倒していきます。任天堂の次世代機「NINTENDO64」は、両社に遅れること約1年半、1996年6月23日に発売されました。
セガとSCEが安価で量産しやすいCD媒体を選んだのに対し、任天堂は伝統のROMカセットを採用。素早いリピート生産を武器にコンビニに販路を築いた両社に対し、従来の問屋を通した取引を守ったこともあって本体の普及は進まず、世界累計で3,293万台にとどまり、家庭用ゲーム機市場の覇者の地位を追われてしまいます。
対応タイトルもサードパーティーの離脱や参加見送りが多く、結果として自社製の割合が高くなったため、対応タイトルも208本ときびしい数字となりました。それでも、「スーパーマリオ64」「ゼルダの伝説 時のオカリナ」といった、その後のゲーム制作に大きな影響を与えた作品や、今や任天堂の切り札的なタイトルに育った「ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ」が生まれるなど、ソフトパワーの強さはますます高まっています。
NINTENDO64本体の発表と合わせて存在が明らかにされていた「64DD」は、ネットワークを介してROMカセットに新データを追加・変更できることがウリの周辺機器。スクウェアの撤退などによる開発の遅れなどから何度も発売が延期され、2000年2月23日に発売されたときには、世間の興味は「プレイステーション2」や「ドリームキャスト」に移っていました。
64DD専用のネットワークサービス「ランドネット」も、本体の発売から約1年後の2001年2月28日に終了。対応タイトルも全10本と寂しいものとなりました。
「ニンテンドー ゲームキューブ」は、2001年9月14日に本体カラー1色(バイオレット)を発売、同年11月21日にオレンジとブラックを増やした任天堂4世代目の家庭用ゲーム機です。
松下電器との共同開発で読み込み速度の速い光磁気ディスクを採用し、先行していたSCEのプレイステーション2を上回る性能を持っていました。しかし、NINTENDO64時代に多くの有力サードパーティーが離脱していたことも響き、世界で2,174万台ときびしい結果となります。この数字は、世界市場において同時期に家庭用ゲーム機に参入した、マイクロソフトの「Xbox」を下回るものでした。
2001年3月21日、満を持して登場したのがゲームボーイと互換性を持つ最後のシリーズである「ゲームボーイアドバンス」です。32ビットCPUを採用し、同時発色も56色に増加、ステレオサウンドなど、据え置き機のスーパーファミコンを超える性能を持ち、ゲームの表現幅も大きく広がりました。
その後、2003年2月14日に折りたたみ型の「ゲームボーイアドバンスSP」、2005年9月13日には超小型の「ゲームボーイミクロ」も登場。シリーズ累計の販売台数は世界で8,151万台と十分な成績を残しました。
ゲームボーイアドバンスは国内と世界で順調に売れていましたが、2004年12月2日、まったく新しいコンセプトの「ニンテンドーDS」が発売されます。折りたたみ型で2画面、一方はタッチパネルというDSはゲームの遊び方を大きく変え、新たな層の取り込みにも成功。据え置き型で苦戦していた任天堂をよみがえらせます。シリーズ累計の販売台数は、世界で1億5,402万台と圧倒的な数字を残しました。
音声認識やWi-Fiの搭載を活かしたタイトルも続々登場。600万本を超えた「New スーパーマリオブラザーズ」を筆頭に、500万本超の4タイトル、400万本を超えた2タイトルなど、累計300万本売れても歴代売上トップ10に入らないほどの大ヒットとなりました。
ニンテンドーDSの後継機である「ニンテンドーDS Lite」は、2006年3月2日発売。当時は、初代DSも店頭に並んだそばから売れる状況だったものの、小型軽量化されスイッチの位置変更によって扱いやすくなったDS Liteは、DSシリーズで一番のヒットとなりました。
2008年11月1日にはカメラやゲームを共有できるペアレンタル機能を搭載した「ニンテンドーDSi」が登場。ゲームボーイアドバンスとの互換性はなくなったものの、特にカメラを使ったゲーム体験が人気を博します。さらに1年後の2009年11月21日には、液晶を大画面化した「ニンテンドーDSi LL」と、ユーザーがニーズに合わせて本体を選べるラインナップがそろいました。
2006年12月2日、リモコン型コントローラーによる直感的な操作ができる「Wii」が発売されます。難しい操作を必要としないWiiは、これまでゲームにふれてこなかったお年寄りや親世代にもわかりやすく、それを意識したタイトルも「Wii Fit」「Wii Sports」を筆頭に多数リリースされ、まさに“家庭用”ゲーム機として一気に普及。世界で1億163万台という強烈なヒットとなりました。
2012年12月8日、Wiiの後継機となる「Wii U」が発売されます。液晶画面を搭載したコントローラー「Wii U GamePad」が特徴で、テレビとの2画面、あるいはコントローラー単体でゲームが遊べることをウリにしていましたが、任天堂自身のタイトル提供もペースが遅かった上、サードパーティーもそろわず、思わぬ不振となってしまいました。最終的な出荷台数は世界で1,356万台です。
2011年2月26日、世界的にヒットしたDSの後継機として登場したのが「ニンテンドー3DS」です。2画面のひとつには裸眼で立体視できる液晶を搭載、タッチパネルやマイク、カメラなど、DSで好評だった機能は継続して採用されました。AR(拡張現実)を取り入れたゲーム、「すれちがい通信」を利用するゲーム、強化されたインターネットブラウザーなど、あらゆる面を強化した上で、DSのタイトルとの互換性も確保。ユーザーのソフト資産を活かせる仕様で、DSから乗り換えるにふさわしいマシンとなりました。世界での販売台数は、2022年9月時点で7,594万台となっています。
3DSは大ヒットとなり、2014年10月11日には大画面の「Newニンテンドー3DS LL」も登場。ライバルである「PlayStation Vita」が低迷する中、「とびだせ どうぶつの森」「ポケットモンスター X・Y」「モンスターハンター4」「妖怪ウォッチ2 元祖・本家」など、それぞれ300万本を超える人気シリーズにも恵まれ、携帯ゲーム機市場を独占していきます。
そんな中、裸眼で立体視という特徴をあえて取り去った「ニンテンドー2DS」が、2016年12月8日に発売されます(「ポケットモンスター」同梱版は同年2月27日に先行発売)。折りたたみもせず、音声もモノラルに落とした廉価版ですが、3DSの立体映像の評価は割れる部分もあったため、それらを必要としないユーザーに歓迎されました。その後、画面が大きくなった「Newニンテンドー2DS LL」も2017年7月13日に発売されています。
据え置き型で苦戦していた任天堂が、2017年3月3日に発売したのが「Nintendo Switch」です。Wii Uで取り入れたコントローラーへの液晶搭載=単体でゲームを遊べる機能は継続。液晶画面左右の「Joy-Con」は取り外し可能とし、Wii以来の感覚的なプレー体験もできるようになっています。
出荷台数は、初年度こそ国内60万台、世界で274万台とやや鈍かったものの、2年目以降に大ブレイク。発売から5年が経過した2022年9月現在で国内2,500万台、世界で1億台を超え、対応するタイトルも国内で1億5,000万本、世界では8億2,000万本を超える超メガヒットとなりました。
2019年9月20日には、Joy-Conを一体化させて携帯することに特化した「Nintendo Switch Lite」、2021年10月8日に液晶を有機ELに変更した「Nintendo Switch(有機ELモデル)」を発売。世界中で売れ続ける任天堂の現行機です。
Nintendo Switch待望の次世代機に関しては、2024年5月7日に任天堂株式会社(企業広報・IR)Xアカウントが、社長の古川俊太郎氏の名義でNintendo Switchの後継機種に関するアナウンスを今期中(2025年3月までと思われる)に発表するとポストしました。
スマートフォンの普及、VRの発展、ソニー・インタラクティブエンタテインメントやマイクロソフトの最新機の売れ行き、世界的なソフトメーカーの再編など、業界を取り巻く状況は日々変わっています。
ファミコン以来、世界のゲーム業界をハード・ソフトの両面でリードしてきた任天堂の次なるマシンがどのようなものになるのか。ここ最近の情報発信元となっている「ニンテンドーダイレクト」は、ゲームを作るクリエイターにとって絶対に見逃せないプログラムです。
ハードの成功と失敗は販売台数で語るとするなら、任天堂は大成功と大失敗を繰り返しているメーカーといえます。そして、低迷期であっても、さまざまなアイディアを実装し、意欲的に周辺機器を出すことで得た知見をハード開発に活かしてきました。
3DSとSwitchに代わるゲーム機では、どんな「遊び」を提案してくるのか。次なる一手に世界の注目が集まっています。
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