大河ドラマ「光る君へ」

躍動せよ!平安の女たち男たち! 創造と想像の翼をはためかせた女性 紫式部

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時代考証 倉本一宏さん ~紫式部や藤原道長が生きたのは平和な平安時代

「光る君へ」で描かれるのは平安時代中期。平安絵巻には優雅に暮らす貴族の様子などが描かれていますが、平安時代とはどのような時代だったのでしょうか。また、紫式部や藤原道長はどのような人物であったのか。時代考証の倉本一宏さんに伺いました。

――「光る君へ」では平安時代中期が舞台となりますが、この時代はどのような時代だとお考えでしょうか。

私が研究しているのは古記録(こきろく)といわれる男性貴族の日記ですが、これらを読んでいると、当時の仕事がいかに大変であったかがわかります。平安時代の貴族は遊んでばかりいて、迷信深いと思われている方がいらっしゃるかもしれませんが、それは文学作品に登場する男性貴族たちが遊んでいる場面が描かれているために、そう思われているのだと思います。紫式部が書いた『源氏物語』もよく読むと、光源氏はものすごい権力闘争をしているんです。迷信深いというのも実は間違いで、物忌(い)みや穢(けが)れを自分に都合よく使っているだけなんですね。現代よりも科学技術が劣るだけで、この時代の科学技術の範囲内では精いっぱい、冷静に、論理的に行動しています。
また平安時代は、基本的に戦(いくさ)の恐怖がなく、普通にごはんが食べられますので、平和な時代だと思います。上は天皇から下は庶民、農民に至るまで、奈良時代よりもずっと豊かなんです。律令制が崩れて平安時代となり、これが「とんでもない時代だったので武士が打ち破りました」というような書かれ方をすることもありますが、首を討ち取って持ってくるような時代と、戦いのないのんびりとした時代とでは、どちらがステキでしょうか。私は、平和な平安時代をもっと評価してもらいたいと思っています。

――当時の男性貴族の日記の特徴やおもしろさについて教えてください。

藤原道長が書いた『御堂関白記(みどうかんぱくき)』はちょっと異質で、直系の子孫にのみ見せるために書かれたものになりますが、藤原実資が書いた『小右記(しょうゆうき)』や藤原行成が書いた『権記(ごんき)』は、広く貴族社会に共有されるものになります。自分の子孫にだけではなくて、求められたら写して人にあげるんです。『小右記』については、貴族たちから集まった情報をまとめて書き記しているのではないかとも考えています。
彼らは日記を書くことによって、儀式と政務の具体的なあり方を後世に残しています。このため本来は感情的なことを書いたりはしないのですが、やはり人間のおもしろさが表れ、道長も実資も行成も感情を書きつけています。特に道長の『御堂関白記』の場合は自筆本がそのまま残っていますので、そこでなぜ書き間違えたのか、なぜこのような文章になったのかなどを、より読み取ることができます。千年も前の偉人たちと気持ちを通じ合わせることができますから、日記を読み解くのは非常におもしろいですね。

――日記を読み解くことで見える藤原道長とは、どのような人物でしょうか。

『御堂関白記』や『小右記』、『権記』から見える道長は、豪胆でありながら繊細、勇気があって小心、傲慢であって親切という、人間の持っている矛盾を一人で体現している人物だと思います。教養もかなりありました。絶大な権力を持っていましたし、彼の感情の動きが、周りの人たちにものすごい影響を及ぼしていたと思います。

――当時は女性の日記も残されていますが、女性の日記の特徴について教えてください。

紫式部が書いた『紫式部日記』や和泉式部が書いた『和泉式部日記』、藤原道綱母(「光る君へ」では藤原寧子)が書いた『蜻蛉日記(かげろうにっき)』などは、日記と呼ぶにはためらいがあります。特に『和泉式部日記』や『蜻蛉日記』は、筆者がかなり年を取ってから昔のことを書いていますし、その日にその事が本当にあったかどうかは確定できないんですね。国文学でも最近は『和泉式部日記』と呼ばずに『和泉式部物語』と言うようですし、物語としておもしろくなるように書いている可能性があるので、男性の漢文日記とは違うと思います。
ただし、『紫式部日記』に書かれている「藤原彰子のお産の記録」については別です。これはおそらく藤原道長に命じられて紫式部が書き記したのだと思いますが、かなり詳細に、それも男の漢文日記では表せないような細かな感情などとともに書かれていますので、これはすばらしい第一級の史料だと思います。

――日記などを読み解くことで見える紫式部とは、どのような人物でしょうか。

紫式部については、『紫式部集』という歌集から、ある程度ではありますが少女時代を復元することができます。そのあと『源氏物語』や『紫式部日記』を執筆しますので、彼女の第2の人生ともいえる時期を復元することができるわけですが、私はむしろ『源氏物語』を書き終わったあとのほうが長いと思っています。第3の人生ともいえるもので、これは『小右記』から復元できるんです。
『紫式部日記』には、各公卿(くぎょう)のお気に入りの女房がいて、その女房を介して彰子への取り次ぎが行われていることが記されています。『小右記』には、実資が彰子に何かをお願いしに行ったり、あいさつに行ったりするときに必ず取り次いでいる女房がいて、「越後守為時の娘」とあり、「前々(さきざき)からこの女を介して取り次ぎを頼んでいた」と書いてあるんです。つまり、実資のお気に入りの女房は、紫式部であったと考えられるんですね。これは長和2年(1013)の記事ですが、その前後に登場する女房もおそらく紫式部だと思っています。時には非常に感情豊かな会話が『小右記』に書かれており、紫式部が彰子の最側近として活躍していたことをうかがわせます。ドラマでどこまで描かれるのかはわかりませんが、『源氏物語』や『紫式部日記』を執筆したあとの紫式部にも注目をしていただければと思います。

 

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