閑話 彼の運命が転んだ日
明日には帰ると聞いたから———。
魔法使いの少年はダンジョンから戻るなり、何か彼女に渡せるものはないのだろうかと、町に下って店を探した。
あの時、年上の勇者の腕に飛びついた彼女の姿が、ずっと頭から離れない。
そして、ダンジョンのボス戦で、危うい所を助けてくれた後ろ姿も鮮烈に。
風に舞う赤紫のポニーテールが、どちらの記憶の中においても彼女の強い印象として焼き付いていて、思い出す度に心の中がざわざわする…と。少年は無意識にその髪色に似合うような髪紐を買い求め、己の魔法が込められる力ある魔石の一つを専門店で手に入れた。
これで彼女にお礼を込めたプレゼントを渡せると、少し浮ついた気持ちで居たのが悪かった。狭い町であるはずなのに、見事に道に迷ってしまって帰り道が分からない。
道行く人に聞こうと思うも、日暮れ前ゆえその足取りは迷い無く、家に急ぐ気持ちというのがはっきりと見て取れる。自分の用事に付き合ってくれるような、時間に余裕のある人がどこかに立って居ないだろうかと、心細くなりながら探していた時だった。
見知った女性が親切に声を掛けて来てくれたのは。
けれど、これで帰れると安心したのもつかの間に。雑踏の中に勇者を見かけたその人は、探しに来てくれたようですよ、と少年を彼に引き渡す。
勇者は勇者で「戻りが遅いからお祖父さんが心配していた」事を伝えると、どうして戻れなかったのかすぐに悟ったのだろう。これに道案内させると言って、わざわざ精霊を召喚してくれた。
だけど、どうして精霊を?と思っていると。
彼女の去った方向を見て「一人でも帰れるか?」と聞いてきた。
なんとなく、そんな場面で“無理”だとは言ってはいけないような気がして——実際、精霊が道案内をしてくれるというのなら、無事に帰れるのは分かりきったことだったので——肯定を返したら。勇者はすぐに彼女が去った道の方へと消えて行く。
何か急ぎの用事でもあったのかな?と少年は少し不思議に思い、首を傾げてみたけれど。気を取り直すと言われた通り精霊の後を追い、尊敬する祖父が待つ領主の屋敷へ先に戻ったのだった。
それから、やや時間を置いて戻った勇者と皆で夜の食事を囲み。部屋へ下がると、お祖父さんに飾り石への魔法封入の方法を教わって、納得するものができるまでその作業に没頭したという。
そして翌日。
「昨日は危ない所を助けてくれてありがとう…」
と、石を付けた髪紐を渡した時だ。
快くそれを受け取ってくれた彼女と共に世間話をしていたら、どこからか話が逸れて。
「このまま弟ができなければ、わたくしが責任を持って婿殿を迎えなければなりませんので」
そんな風に彼女が語り。
次には、彼女の中での理想的な男性像がどういうものか、なんていう話題に変わっていたりして。
「グランスルスの剣であるグラッツィア家に、弱い男の血はいりません」「殿方はやはり武器の一つも扱えなければ」
中でもそんな彼女のセリフが、まだ幼い彼の耳を強く捉えたのだった。
そして、涙目になりながら。
付き人と共に町を発った彼女の姿を見送って、黒耳を垂らした少年が隣の祖父に囁いた。
「ぼく、魔法使いになるの、やめようかな…」
と。
この日、少年の運命は大きく転び、ついでに、いつも柔和で落ち着いている白耳うさぎのおじいさんを、暫くのあいだ硬直させたのだった。