2024年後半、ある出来事をきっかけに、私は自分の人生を見つめ直す時間を持った。それは価値観が大きく揺さぶられ、そして再構築される体験でもあった
全てが終わったらこのことについて書き残したい
振り返ってみると、私たちは日々、無数の選択をしている。その選択を決めているのは、私たちが知らず知らずのうちにかけている「見えないメガネ」なのかもしれない。
幼い頃から少しずつ度が加わり、いつの間にか当たり前になった価値観というメガネ。「こうあるべき」「これが正しい」というレンズを通して、私たちは世界を見ている。
2024年、私はふとそのメガネを外してみることにした。すると、これまで当たり前だと思っていた景色が、まったく違って見えてきた。
本当に自分の目で見たかった景色は何だったのか。自分に合った度数は何だったのか。その「メガネの度数調整」の過程で、本来の自分が望む方向性が少しずつ見えてきた。これまでとは全く異なる未来が開けていくことを、身をもって実感したのだ。
同時に気づいたのは、このメガネは私だけのものではないということ。
家族や周りの人たちも、それぞれの「見えないメガネ」を通して世界を見ている。そして、私がここまで歩んでこられたのは、そんな異なるメガネをかけた多くの人々の支えがあってこそだった。
「生かされている」という言葉の意味を、理解した年でもあった。
それは、多くの人たちの異なる視点が、私の人生を豊かに照らしてくれていたことへの気づきでもある。
ふと考える。私たちはなぜ、この世界に生まれてくるのだろう。いつか必ず目を閉じる運命、死が確約されているのに。周りの人たちと共有するこの景色には、どんな意味があるのだろう。
おそらく、それは私たち一人一人の見方が重なり合うことで、より豊かな世界が生まれるから。異なるメガネを通して見た景色が出会い、予期せぬ化学反応を起こし、新しい色を生み出していく。それぞれの視点が響き合い、共鳴することで、一人では決して見ることのできない景色が広がっていく。そんな共創の過程そのものに、大切な意味があるのかもしれない
多くの人が人生の最期に「やり残したこと」を後悔すると聞く。それは、もしかしたら他人から借りたメガネを通して人生を見続けてきたからかもしれない
考えてみれば、人の一生はせいぜい100年。宇宙という大きな物語の中では、ほんの一瞬の光のように儚い。だからこそ、この限られた時間を、借り物のレンズではなく、自分の目で見た景色の中で、心躍るように生きることこそが、生命としての最高の応え方なのかもしれない
2025年は、自分の心の声により耳を傾けていきたい。そしてその声に導かれながら、創造的な人生を築いていきたい。
新しい年が、すべての人にとって、自分らしく輝ける素晴らしい一年となることを願って