多様性の時代といわれて久しいが、期待されて職場に入ったのに、いまひとつ評価が上がらない人がいる。理屈ではなかなか理解できない人たちの深層心理を分析し、その思考法を受け入れるヒントを提供する。今回は、すぐにパニックになってしまう人の特徴を分析する。日経プレミアシリーズ『「指示通り」ができない人たち』(榎本博明著)より抜粋。
接客中に他のお客に怒鳴ってしまう
落ち着いて対処すれば、どうということなくこなせるはずなのに、何かとすぐにパニックになる従業員に手を焼いているという管理職がいる。
「ふだんは特に落ち着きのないタイプというわけでもないんですよ。むしろおとなしいし、落ち着いてるほうじゃないかとも思うんですけど……でも、何て言うか、気持ちに余裕がないんですかね。ちょっとしたことでパニックになるんです」
ちょっとしたことでパニックになる。例えば、どういうことがあるんでしょうか?
「彼女の仕事は接客なんですけど、例えば、ひとりのお客の相手をしているとき、別の客から話しかけられると、『すみません、今、別のお客様の対応中なので』っていう感じで、突き放すような雰囲気になっちゃうんです」
でも、別のお客の対応をしているなら、それが終わるまで待ってもらうしかないですよね。言い方が突き放すようなきつい感じになる、っていうことですかね?
「言い方もそうなんですけど……えーと……例えばですね、お客の対応中に、別のお客からトイレの場所を聞かれたなら、ちょっと話を中断して、トイレの場所を教えればいいじゃないですか。それができないんです。服を手に取ってる別の客から、『この服のサイズはどこに書いてあるのかしら?』って聞かれたときも、別の客の対応中だからって対応しないんです。ちょっと中断してタグの場所を教えればいいじゃないですか」
なるほど、そういうことですか。
「臨機応変の対応ができないから困っちゃうんです」
今挙げられたケースなどに関して、簡単に教えるだけで済むのだから、ちょっと中断して対応するように、といったアドバイスはされたんですか?
「もちろんです。そういうことが同僚たちから報告されるたびに注意、っていうか、アドバイスしてるんですけど、一向に直らないんです。っていうより、前よりひどくなってるようなんです」
前よりひどくなってる?
「ええ。この前なんか、お客の対応中に別のお客から話しかけられたとき、『今、別のお客様の対応中なんです!』って怒鳴るように言ったらしいんです。それで、そのお客を怒らせてしまって、ちょっと大変だったんです」
両方のお客の対応をしないといけないと思うことで、パニックになっちゃったんでしょうかね。
「あっ、そういうことですか!」
同時に複数のことを考えるっていうのは、多くの人はある程度はできるんですけど、ワーキングメモリ(後述)の容量が小さい場合は、それがとても難しいんです。その人は、接客中でなく、何か机に向かって作業する際に、周囲の人の話し声が聞こえる状況だと集中できない、っていうようなことはありませんか?
「あります、あります。売り上げとかの入力作業をしてるときに、周りの同僚たちがちょっと雑談をして笑っていたら、突然『静かにしてください!』って怒鳴ったんですよ。私もたまたまその場に居合わせて、びっくりしました。日頃穏やかな人柄なので、みんなも相当驚いたと思います」
臨機応変が難しい
容量がいっぱいになっちゃたんですね。
「どういうことですか?」
学校に通う生徒だった頃、家で宿題や予習・復習をしているときに、テレビがついていたり家族がしゃべったりしていると、その話し声が気になって集中できないっていうことがありませんでしたか?
「あっ、それはよくありましたよ」
そうでしょう。教科書を読んでいるつもりでも、いつの間にか話し声に耳を傾けていて、教科書の内容が上の空になっていたり。
「そうでした。そんなことがよくありましたよ。それが、今回のケースと関係あるんですか?」
ええ。ワーキングメモリの容量が小さい人の場合、それに似たようなことがしょっちゅう起こっているのだと考えられます。その方について、他にも気になることはありますか?
「そうですね……実は、彼女だけではありませんが、接客の仕事に専念するだけでなく、別の部署への異動もあり得るので、そのためのトレーニングとして、販売現場の実情や課題について、他部署の人たちを前に説明する場をときどき与えているんです。いわゆるプレゼンみたいなものです。その際、用意してきた原稿を見ながら、パワーポイントの図解の説明をするのは、割とスムーズにできるんです。でも、説明終了後の質疑応答になると、まるで別人のようにパニックになってしまうんです。落ち着いて考えれば簡単に答えられるような質問でも、慌ててしまって、うまく答えられないんです」
前もって準備してきた原稿をもとに説明することはできても、その場で質問されるとパニックになって、どんなに簡単な質問でもうまく対応できなくなってしまう。
「その通りです。決して想定外の内容についての質問じゃなくて、説明した内容を確認する程度の質問でも、浮き足立って、うまく対応できないんです。
そこにもワーキングメモリの容量の問題が関係してそうですね。
このようなやり取りの後、その事例で問題となりそうなワーキングメモリの容量について説明し、今後の対策について話し合った。その概要は、以下のようであった。
問題となっている人物のケースでは、周囲の人は、なぜもっと柔軟に対応ができないのかと不思議に思うだろうし、いくらアドバイスしても効果がないことにいら立つかもしれない。
このケースでは、ワーキングメモリの容量が小さいことが関係している可能性がある。
ワーキングメモリというのは、ごく短時間、情報を記憶しながら、同時に何らかの課題遂行などの処理をする知的機能のことである。暗算をするときの頭の働きを思い浮かべれば分かりやすい。数字を記憶しつつ、同時に計算処理をしなければならない。その際、ワーキングメモリがフル稼働している。
先ほどの対話でも例示したように、聞こえてくる話し声が気になって宿題に集中できず、計算間違えや書き間違いをした経験がある人も少なくないのではないか。そのようなケースでは、宿題に割くべきワーキングメモリの一部が話し声に聞き入ることに費やされてしまったわけだ。
スマホが近くにあるだけで能力が低下
スマホが近くにあると認知能力が低下し、課題遂行の成績が低下することは、様々な実験で証明されている。その場合、スマホを気にするせいで気が散って集中力がなくなるだけでなく、気にしないようにしようといった努力に心のエネルギーが費やされ、本来は課題に費やすはずのワーキングメモリの一部がその努力のために消費される。その結果、本来の課題に振り向けることができるワーキングメモリが足りなくなり、勉強にしろ仕事にしろ支障が出てきてしまうのである。
先ほどのケースで言えば、目の前の客の対応をしているときは、その客に商品の説明をしたり、質問に答えたりすることにワーキングメモリのほとんどを費やしているため、別の客から声をかけられた際に、その言い分を聞いて適切な対処をするだけのメモリ容量が足りないのだ。
別の客にちょっとした案内をする気持ちの余裕もないように見えるのは、ワーキングメモリの容量が足りないため、相手の言い分を聞いて対応することができないからだ。それなのに、簡単な用件なら応対中の客とは別の客の問いかけにも答えないといけないと思うことで、パニックになってしまうのである。
2つのことは分けて考える
理由が分かったからといって、いきなりワーキングメモリの容量を増やすのは難しい。そこで大切なのは、同時に2つのことをしないようにすることである。
例えば、応対中の客には「すみません、少々お待ちください」と言って、その客のことはひとまず頭の中から追い出し、声をかけてきた客の問いかけに集中し、簡単な案内をする。簡単に済みそうにない場合は、「申し訳ありませんが、先客がいらっしゃいますので、しばらくお待ちいただけますか」と丁重な姿勢で断る。それから前の客に向き合い、応対をする。
万一、何を説明していたか忘れてしまったら、「申し訳ございません。どこまでご説明していましたでしょうか」などと問いかければ、必要な説明を向こうから求めてくるはずだ。このような手順をアドバイスしておくのがよいだろう。その手順を本人に図解式にメモさせるのも、頭に定着させる助けになるだろう。
プレゼンの場合も、相手の質問に耳を傾け、理解しようとしながら、同時にどのように説明するかを考えるとなると、ワーキングメモリの容量が足りなくなるため、パニックを起こすのである。その対処としては、前もって想定されるあらゆる質問を網羅し、その回答を簡単にメモしておくようにアドバイスするのがよいだろう。まずは相手の質問に集中してから、それに対応する回答の見当をつけ、それに近いメモを見ながら回答すればよい。
いずれの場合も、同時に複数の課題遂行をしようとせずに、まずは1つのことに集中すること、そのためにメモなど外部記憶装置を用いるのも有効なことを教えてあげるべきだろう。
榎本博明著/日本経済新聞出版/990円(税込み)