渡米視察で市場規模を悲観

#視察

山内溥氏は任天堂を「花札・かるた」の会社から「トランプ」の会社へと順調に変貌させつつあり、1956年に渡米視察した。だが、そこで全米シェアトップのトランプ会社の工場を訪問して「こんなものか・・・」という感想を抱き、任天堂をトランプに限らない会社に発展させることを心に決めたという。

タクシー交通・加工食品業に参入

#方針

1960年に任天堂は子会社として「ダイヤ交通株式会社」を設立してタクシー運営事業に参入した。ところが経営状況は芳しくなく、1969年に名鉄グループに事業譲渡した。

続いて、1964年に任天堂と近江絹糸の合弁で食品会社を設立して加工食品の製造に新規参入した。ディズニーキャラクターのふりかけや、インスタントラーメン、カレーなどを手掛けたものの、食品専業メーカーとの競争が激しく苦戦した。

この他にもホテル業(ラブホテル運営)などにも参入するなど、手広く事業を展開したが、いずれも競争優位性に乏しく主力事業育つことはなかった。

1960年
ダイヤ交通株式会社を設立
1963年
三旺食品株式会社を合弁設立
1963年
任天堂株式会社に商号変更

新規事業から一時撤退。全社業績も長期低迷へ

#結果

新規事業の推進にあたって最大のボトルネックになったのが、本業のトランプにおける販売不振である。1965年に日本経済が不況に陥ると、娯楽品であるトランプの需要が低迷。任天堂は市場シェア80%を確保していたものの、問屋などにおける流通在庫が増加し、需要低迷によって工場稼働率が60%程度に低下。押し込み販売を行ったため、PLにおける営業利益は高水準を持続したが、工場稼働率を維持できないという問題に直面した。

この結果、任天堂による「トランプの収益によって新規事業を育成する」という目論見が瓦解した。1969年にタクシー事業は名鉄グループに譲渡して撤退し、加工食品事業も撤退を決めている。

任天堂_製品別売上高
単位:億円
出所:株式会社年鑑.
1969年
タクシー事業を名鉄グループに譲渡
1969年
加工食品事業から撤退
証言
山内溥(任天堂・当時社長)

昭和40年代(注:1965年〜1975年)は日本の高度成長時代で、様々な企業が大変成長して躍進を遂げた時代です。私どもの任天堂は元々京都でトランプやカルタを作っていた家内工業でしたが、トランプやカルタが売れなくなりましたので、次第に他のことをしなくてはならない必要に迫られて転身を図ったのです。その40年代を振り返ってみますと、いろいろな企業が大躍進を遂げられたのに、任天堂は一向にパッとせず、トンネルの中から抜けられず長い低迷の期間でした。

内容の正確性、完全性および適時性を保証しません