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「五月雨の降り残してや光堂(ひかりだう)」 出典奥の細道 平泉・芭蕉(ばせう) 訳] 年々降り続いて、すべての物を朽ちさせてきた五月雨も、この光堂だけは降り残したのだろうか。その名のように、数百年を経た今も光り輝いているよ。 鑑賞 「光堂」は平泉中尊寺の金色堂(こんじきどう)のこと。初案は「五月雨や年々(としどし)降りて五百たび」で、芭蕉の脳裏には実景と五百年という歴史への感慨が二重映しになっているのであり、さらに、時間の浸食に耐える光堂のまばゆい姿は、直前に描かれた高館(たかだち)の廃墟(はいきよ)のさまと、まことに対照的である。季語は「五月雨」で、季は夏。 http://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%95%E3%81%BF%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%81%AE 光堂は本当はさや堂と言う覆いに守られて何百年ももったので、外からはよく見えないのだそうです。それで本当に芭蕉がこの句で表現したかったのは、光堂と言う、言葉の強さ、だったのだという説があります。五月雨の暗さの中で、光堂が輝いているというのはフィクションであり、言葉による強い表現そのものが芭蕉の真の気持だったというのです。光堂そのものは、さや堂と言う覆いをかける前に、すでに相当痛んでいたということです。それを鎌倉の7代将軍がこれを守るためにさや堂で覆ったと言うことです。しかし、この訳のように、五月雨に輝く光堂には五月雨はかからなかったのかなと言う、そのような素朴な印象で十分じゃないでしょうか。
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質問者からのお礼コメント
丁寧な回答ありがとうございました。
お礼日時:2013/11/20 16:35