※ネットで見つけたマレーシアの男性の母子相姦体験談です。
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過去記事です↓

 私が母を女性として意識するようになったのは大学を卒業したばかりの頃です。母は当時、39歳でしたが、滑らかな白い肌と張りのある豊かな胸を持つ、とても美しい女性でした。

 私たちはその頃、ケダ州(マレー半島北部西岸)の住宅街で妹とメイドと暮らしていました。父は連邦直轄地(Wilayah Persekutuan)で大きな会社を経営していて、月に1、2回しか帰ってきません。
 母は体型維持のために、エアロビクスと水泳、サウナの施設を備えた大きなジムに通っていました。母を施設まで車で送り迎えするのは当時の私の役目でした。
 
 車で母を迎えに行くと、母は施設の中でいつもぴったりした体操着を着ていて、とてもセクシーでした。母の美しい胸のラインや引き締まったお尻を見るうちに、私は母の体に少しずつ性的な魅力を感じるようになっていきます。

 母はジムでの運動を終えると、施設の脱衣場で体操着を脱ぎ、シャワーを浴びます。ある日、母を迎えに行くと、母はサウナにいて、そこで待つように言われました。なかなか出てこないので部屋を覗くと、ちょうど母がサウナ室から出てきたところでした。母は私と目が合うと嬉しそうに微笑みました。体のほんの一部をタオルで覆い隠しているだけで、タオルの下から覗く滑らかでセクシーな太ももや、胸の谷間を見て、私はドキドキしました。

「男性は禁止の場所よ。外に出て待っていなさい」

 母は私のそばを通り過ぎてロッカーの方へ歩いて行きました。後ろ姿を振り返ると、母はタオルで前しか隠していなかったので、揺れるお尻が丸見えになっています。

 母のお尻を見た途端、私の性器は硬くなっていました。この日の母のセクシーな姿を見ればそうならない男性はいなかったと思います。母が着替えを済ませ、私の車の助手席に座った後も、私は母のお尻が忘れられず、チラチラと母の姿を盗み見ては気持ちを悶々とさせていました。車を走らせ、でこぼこ道やスピードバンプを通過すると、その度に車が揺れ、母の胸が揺れているのがわかりました。母は少しタイトなジーンズを履き、カジュアルな服装でした。

「どうしたの?今日は静かね」
 
 黙り込んでいる私を母は不思議がっています。「何もないよ」と、私は緊張しながら答えました。
 母がサウナで時間を潰していたせいで、家に着いたのはかなり遅い時間でした。家に帰ると、母はまっすぐ自分の部屋に入り、すぐ眠りについてしまいました。

 私はジムで見た母の肢体が忘れられず、悶々としてなかなか寝つけません。気がつくと自分のコックを扱いていて、やがてどうにも自分を抑えられなくなり、起き上がっていました。

 夜の1時を過ぎていました。妹とメイドはすでに寝ています。気がつくと私は部屋を抜け出し、階下の母の部屋へ向かって歩いていました。私の脳は強く母の体を求めており、母の寝室のドアの前に立つと、その欲望が最高潮に達しました。心臓が激しく高鳴っています。

 ドアノブを回し、そっと部屋を覗くと、母がベッドの上で仰向けに寝ているのが見えました。
 母はタオルを体にかけ、ゆったりした下着をつけて眠っていました。私は母のところへ歩いて行き、ベッドの横でしばらく立ち止まって、眠っている母を眺めました。
 ペニスはすでにショーツから飛び出そうなほど大きくなっています。震えながら母のベッドに登り、母の白い太ももを撫でました。我慢ができずに大きくてふくよかな母の乳房にも触れました。もう自分の気持ちを抑えることが難しくなっていました。私は母の乳房を揉みながらペニスを握っていました。母はもちろん、私の愚行にすぐ気がつき、目を覚ましました。

「あなた…何をしているの?」

 目があうと、死ぬほど強いショックを受けましたが、不思議なことに私のペニスはおさまるどころかますます膨れ上がってしまいました。私は母の胸を揉みながら、母を無視して細い首筋に情熱的なキスを浴びせました。

「やめて。あなた気は確かなの?」

 母は私を押し返そうとしましたが、私は自分のしていることをやめませんでした。私のペニスが母の滑らかな太ももに触れ、強く圧迫されます。

「わかったわ。落ち着いて。あなたが何をしたいかわかったわ」

 母はため息をつきながら私をなだめました。私はまだ横たわっている母の隣にひざまずき、母を覗き込みました。母は体にかけていたタオルケットを退けると、体を起こして突然ブラジャーを外しました。私は母の美しい乳房を見た途端、また激しく欲情し、母の手を強引に掴み、乳首に顔を埋めていました。私が赤ん坊のように母の乳首を吸うと、母はまたため息をつきました。
 
「あなた、へんよ。こんなことして…」

 母は布団の上に押さえつけられると、諦めたように目を閉じ、体の力を抜きました。私が母のショーツを下ろそうとすると、呆れたように私を見つめ、自分から腰を上げてパンティを脱ぎました。私は母のショーツをベッドの下に投げました。目の前にとても美しい裸体が横たわっています。

 母の膣のラインがはっきりと見えました。私は母の太ももを開き、その美しい光景を見るだけではおさまらず、その割れ目に舌をつけていました。母のクリトリスを舐めたのです。母は急に大きな声でうめきました。

「こんなことは本当は許されないのよ」

 母は何度か腰をくねらせました。私の舌は母の膣の中で戯れ、母も私の行為に激しくもだえ始めています。

「ここに座りなさい」

 母は震える声で言いました。隣に座ると、母は首を持ち上げ、私の股間に近づいてきて、私のペニスを吸い始めました。
 私はもう我慢することができませんでした。気がつくと母の口に自分のものを射精していました。

「何するの!」

 母は驚いたようにそれを吐き出しました。

「バカね、あなたは……」

 母は少し悲しい目をして男根に着いた私の精液をタオルで拭ってくれました。私のペニスがまだ誇らしげに反り立っているのを見ると、急に笑い出します。

「このあと、何をすればいいのか知っているのでしょう?あなたの夢を叶えてあげます」

 母は裸のまま横になって脚を開きました。私のペニスを優しく撫でたり握ったりすると、自分の巣の中に私のペニスを入れるよう言いました。細かい毛で覆われた母の膣の表面にそっとペニスの先端を擦り付けると、母はおとなしく目を閉じました。私の手は震え、ペニスが一層激しく脈打ちます。すでに濡れていた母の膣の唇にペニスが触れると、それだけで強い快感に襲われました。

 気がつくと私は腰を前に突き出し、母の膣の中にペニスを入れていました。私は母のとても力強く激しい腰の動きに合わせて、腰を上下に動かしました。それから私たちは体位を変え、母が私の上に乗り、私のペニスの上で体を揺らしました。

 彼女の速くて激しい揺れと上下の動きが、私の体を強烈な快感へと導いていきます。母がオーガズムに達する瞬間が訪れ、うめき声がより不規則になりました。
 私も、母の動きに合わせて揺れる乳房を吸ったり揉んだりしながら、その感覚を楽しみ、絶頂を迎えました。

 私はそのまま母の中で射精したのです。

 母は弱々しくベッドに体を倒しました。精液が母の体外に流れ落ちます。私は言葉では言い表せない喜びから、母に抱きついていました。母は私を抱き寄せると、まるで恋人同士のように情熱的なキスを私に与えてくれました。あまりにも疲れたせいかその後、私たちは眠ってしまいました。

  朝、目が覚めると母はもうそばにいませんでした。私は服を着て、母を探しに行き、まだ当時学生だった妹と一緒に朝食の準備をしている母を見つけました。昨夜、セックスをしたにもかかわらず、母は昨夜私たちの間に何もなかったかのように振舞っています。
 私は混乱しましたが、夕方になるといつものように、母をジムへ送り届けました。その後、夜になって母をジムから連れ帰る時に、さりげなく昨夜のセックスについて尋ねてみました。

 母は私たちだけの秘密だと言いました。暗い道を走っていると、車を止めるよう言います。
 車を止めた後、母は私の手を取り、私の指を吸い始めました。それから私のズボンのファスナーを下ろし、硬くなっていた私のペニスを引っ張り出してその先端を吸いました。私は母にペニスを吸われながらすぐ絶頂し達しました。

 私たちはキスをして家路につき、同じベッドに寝て、昨夜と同じ「禁じられた遊び」を続けました。私たちはその後も数ヶ月間、その遊びを続けました。
 最初の性交から一年が経った頃、母はとうとう妊娠します。父に知られないよう、中絶をし、その後、私と母の関係も終わりました。

 今となってはとても懐かしく、切ない学生時代の思い出です。
 私は今でも母のことを愛しています。

(了)

※写真はネットからの拾い物です。

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 身内と見せかけた女性や男性と動画配信をし、近親相姦を匂わせてアクセスを集めるインフルエンサーが増えているそうです。近親相姦は今やエンターテインメントの世界で人々の関心を集めるキラーコンテンツの一つになっているのかもしれません。2021年にアメリカのニュース配信サイト「Business Insider」がこの問題を取り上げています。その内容を少し紹介します。

↓以下記事の抜粋部分です(長いので要約しています)。

 インスタグラムやTikTokアカウントでは、男女で近親相姦カップルを演じるなど、タブーとされる表現を使ってフォロワーを増やし、大成功を収めているインフルエンサーたちがいる。彼らのページでは「偽近親相姦」の動画が何十万回も再生され、フォロワーたちが2人が本当に近親相姦の関係にあるのかを熱心に推測しながら、動画が更新されるのを楽しみに待ち続けている。「近親相姦」は人類が好むタブーの一つで、ソーシャルメディアは今やその「偽近親相姦」コンテンツの肥沃な土壌になっているのかもしれない。

 ジェイク・マスターソンは2020年1月にTikTok動画の投稿を始めた。彼は、もう一人の新進気鋭の若者、彼のボーイフレンドであるジェームズと一緒に、TikTokダンスやチャレンジをしたり、ゲイコミュニティについてコメントしたりする自分の動画を撮影した。 その後、マスターソンは、ジェームズが自分の兄弟であると主張して視聴者を驚かせた。最終的にこのカップルは自分たちの噂を否定し、自分たちは兄弟ではないと釈明したが、今でも近親相姦を題材にした動画をのんきに投稿し続けており、動画1本あたり数万回の再生回数を獲得している。「私と彼が兄弟みたいだってコメントをもらって、それを逆手にとって兄弟だと言ったのがきっかけでこれは始まった。すべて冗談からスタートしたんです」とマスターソンさんは自分たちの人気について分析する。
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 彼らのようなインフルエンサーの成功は、アダルトエンターテインメントで長年人気を博してきた「近親相姦」というジャンルをより新しい方向性に導こうとしている。他のタブーとされる性的ファンタジーと同様に、近親相姦(血縁者との性的関係を持つこと)というジャンルも、その不法な性質からエロティックな魅力を感じる、人気を集めやすいコンテンツの一つとして人気を集めてきた。そんなポルノの世界観を模倣したTikTok のインフルエンサーたちは、近親相姦という極秘のファンタジーを演じることによって、飽和状態のプラットフォーム上で視聴回数、コメント、共有数を簡単に増やすことができることに今更ながら気付いたのだ。

 チェコを拠点とするウェブサイト「ベル・アミ」には、モデルのイライジャ・ピーターズとミロ・ピーターズが登場し、2人が「双子近親相姦」ポルノを撮影した後、サイトのアクセス数が月間150万人に倍増したと報じられた。キンゼイ研究所の研究者で『Tell Me What You Want』の著者であるジャスティン・レーミラー氏は近親相姦のようなタブーな妄想が人々を興奮させる理由は単純だと話す。「つまり、してはいけないことをするのは気持ちがいいからだ。我々はタブーに惹かれる傾向があり、人々がタブーなことに従事しているのを見るのことで興奮し、刺激的に感じるのだ」。レーミラー氏は、以前行ったアンケートで回答者の5人に1人が人生で少なくとも1回は近親相姦の妄想を抱いたことがあると答えたことを振り返り、「今ではソーシャルメディアが、偽近親相姦のルネッサンスをもたらしている」と語った。

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 日本でも様々なSNSで、おそらく偽物であろう、エンターテインメントな近親相姦カップルが多数活躍しています。僕も最近、TikTokやYouTubeで配信されている「ドッキリ兄妹」の配信をニヤニヤしながら見ていたりします。兄が近親相姦匂わせなシチュエーションを妹に仕掛けて妹の反応を楽しむという内容の動画ですが、すごく面白いです。ブラコンやシスコンに興味を持つ人たちのツボを突くような絶妙な企画がたくさん用意されています。

 一例を挙げると、

 「妹をだましてドライブ中にお〇ぱい触ったらヤバいことになった
 「Tinderでホテル待ち合わせしたら妹が待っているドッキリ」
 「10歳差の兄妹が混浴できるのか兄が検証した結果...」
 「妹にドライブすると思わせてラ〇ホに連れ込むドッキリ」

 などなど……。あえてリンクやURLは貼らないので皆さんでも「ドッキリ兄妹」で動画検索して二人のパフォーマンスを楽しんでください。
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 あと、アメブロに「幸せのあしあと〜兄妹婚 2人でひっそり生きています 静かな毎日は幸せです」という女性の方が更新している近親相姦の日記サイトがあります。実の兄妹の内縁関係、内縁生活を綴ったブログです。お兄さんが大好きな妹さんの日記という感じなのですが、サブタイトル通り、二人の密やかな夫婦生活が静かな口調で語られています。長文ではなく、短い文章で日々更新されているのでとても読みやすいです。エンタメなのか実話なのかはわかりませんがおすすめです。内容も妙に生々しいです。

 2019年6月8日の「自己紹介⭐︎」と題した日記が初投稿で、ここから順に1日ずつ読むと二人の馴れ初めなどがわかりやすいです。過激な表現は一切ないのに読んでいるうちにドキドキさせられます。

 「兄と一緒に暮らして7年。もちろん肉体関係もあります。この恋が叶い、好きな人に抱かれて毎日幸せです」
 
 2022年で更新が止まっていますが、最初の日記から最新の日記までサクッと読めます。楽天などのアフリエイト記事が2、3回に一回差し込まれますが、気になった人はチェックしてみてください。

(了)

※写真はネットからの拾い物、イメージです

※Irish Mirror、Daily Starなどのニュース記事を元に作成しています。
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 2016年、イメージチェンジに焦点を当てたスペインのリアリティテレビ番組「Cambiame」に出演中の姉と弟(アナさんとダニさん)が、生放送中、突然、お互いが恋愛関係にあると宣言して周囲を驚かせました。

 二人は異父姉弟で、成人するまで別々に育ってきたそうです。しかし、その後、ソーシャルメディアを通じて互いの存在を知り、連絡を取り合うようになります。やがて実際に会うようになると、特徴の似たお互いの容姿に惹かれ合うようになったといい、友達関係から恋愛関係へと仲を発展させます。

 「Cambiame」は髪型や服装などのイメージチェンジを出演者に施し、出演者の人生を変えようというリアリティ番組ですが、番組中、27歳のアナは客席の最前列で番組を傍聴していた父親を前に突然カミングアウトを始めます。「私たちは見た目を変えるためだけではなく、人生を完全に変えるためにここに来たのです。ここは私たちが言いたいことを言うにはとても良い場所だと思います。私たちは実は愛し合っています」。

 23歳のダニさんも姉に続いて自分たちの関係を告白します。「私たちはただの姉弟というだけではありません。驚いたことに恋人同士でもあるんです」。客席の最前列に座っていたそれぞれの父親は二人の告白に困惑し、唖然とした表情を浮かべましたが、やがて、二人の関係を認め、拍手をしました。

 番組に出演していたペラヨ・ディアスも放送後、「愛は何より優先されます。私たちが彼らの関係を判断する資格があるでしょうか?」とツイートし、二人の関係を支持しました。

 スペインはヨーロッパの中で、比較的近親相姦に寛容な国です。アナとダニはその後、バルセロナで同棲生活をはじめたそうです。

(了)

※写真はネットからの拾い物です

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 金沢医科大学の発行する十全会雑誌 第48巻(昭和18年4月10日)に掲載された論文「富山縣下二於ケル血族結婚ノ頻度二就テ 農村衛生二關スル調査報告 第5報」(富山縣産業組合病院 豊田文、倉本政雄)には、昭和17年に富山県で行われた産婦人科医による近親婚の実態調査の結果が載っています。これによると、1197人の婚姻者を調査した結果、従兄妹婚の夫婦が63組、三親等の叔父と姪の間柄で結婚した夫婦が2組いたと書かれています。

 この論文には比較対象として各地の近親婚の実態調査の結果も掲載しており、香川県は調査した2553人中261人が近親婚者、鹿児島県が1770人中55人、京都府が19390人中1187人、東京都も5118人中243人がそうであったと報告しています。この時代の日本はまだ田舎や山村で近親婚がそれなりに行われていたのです。

 現在の日本では三親等にあたる叔姪婚は禁止されていますが、戦後も叔父と姪が事実婚のような形で夫婦として暮らした事例がいくつかあったことがわかっています。平成19年(2007年)3月8日に、昭和33年ごろから叔父と内縁関係にあった女性の遺族厚生年金の受給が認められる最高裁判所の判決が出て、ほぼ事実婚のような形で山村で容認されていた叔姪婚の実態にスポットが当たります。

 この判決の女性は、12歳年上の叔父と前妻との間に生まれた幼児の面倒を見る目的で、叔父との内縁関係を始め、一族の長であった祖父の勧めをきっかけに夫婦になることを承諾します。しかし、民法第734条の近親婚禁止規定に抵触していることから、二人の住んでいた町の役場は婚姻届を受理せず、町長が結婚を認める証明書を出すことで、事実婚が成立しました。

 姪の女性はその後、叔父との間に2人の子供を出産します。そして2000年12月に叔父が72歳で死亡するまで、42年間も彼と内縁関係を続けたそうです。

 2007年、最高裁は農村部で農業後継者の確保等の理由から叔父と姪など3親等間の結婚が受け入れられていた社会的背景を考慮し、事実婚の形であった彼女の遺族年金の受給権を認めました。

 現在のエンタメで出ている叔父と姪の萌え話とはほど遠い、社会背景を含んだ叔姪婚のエピソードで、当時の日本人の結婚観や、人生観が今とは大きく違っていたことがわかります。現代生まれの僕はこのエピソードを聞いて、少し切ない気持ちになりました。

(了)

※写真はネットからの拾い物、イメージです

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  数年前くらいからパキスタンの近親婚事情を西側メディアがよく取り上げるようになりました。パキスタンはいとこ婚、はとこ婚が多いようです。英語圏のニュースをチェックしてみると、それによって遺伝性疾患に苦しむ人々が多くいるという内容を伝える記事が多く見つかりました。

 西側メディアは、自分たちと対立する国、または従わない国の人権問題を、印象操作の道具にし、重箱の隅をつつくように過剰に吹聴する傾向があるので、パキスタンも同じように槍玉に上がっているのかなという印象を受けました。というのも近親婚の問題を抱える発展途上国は、別にパキスタンだけではないからです。

 インフラの整っていない国々では、婚姻圏の狭さや、コミュニティの未成熟さから、近親婚の割合が自然と高くなる傾向があります。パキスタンに近い地域で言えば、サウジアラビア南部や、カルナータカ州をはじめとする南インドでも近親婚の割合の高さが社会問題になっていたりします(※2022年、プレシデントオンラインの記事より)。これらの地域もパキスタン同様、近親婚の割合が50パーセントを越えていると言われています。2010年の日経バイオテクのある記事を読むと、イスラエルの砂漠地帯などに暮らすベドウィン族も近親婚の割合が高く、65パーセントに達していると報じられていました。

 以前僕もコラムに書いたように日本でも古くは山村地域の近親婚が多く存在した時代があります()。近親婚は世界的に減少傾向にあり、発展途上国の一部では罰金制度などを取り入れてこれを防ごうという動きも出ています。ベトナムでは近親婚を行うと最高3000万VND(ベトナムドン)の罰金が科せられるそうです。いとこ同士の場合も300万VNDの罰金が科せられます。

 パキスタンも少しずつ婚姻の多様化が進んでいくのではないかと思います。
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 近親婚のニュースとは全く関係ないのですが、パキスタンの情報で最近ほっこりしたニュースがあったので、ここでも紹介します。
 
 少し前に韓国メディアや中国メディアで取り上げられていたパキスタン出身の范梓鹤(ファン・ズィーへ)さんのニュースです。

 彼女は中国でインフルエンサーとして人気になっていて、最近ではTikTokやYouTubeでも少し話題になっています。パキスタン出身でなぜ范梓鹤という中国名を名乗っているかというと、この方は、幼い頃にパキスタンの路上に捨てられた捨て子であったという過去を持ちます。その後、たまたまパキスタンを仕事で訪れていた中国河南省の農村に暮らす中国人夫婦に養子として引き取られることになり、中国で中国人として暮らすようになります。

 20歳前後の頃から彼女は、河南省の方言を使いながら、河南省の料理や観光地を紹介するビデオを公開するようになり、インターネットで話題を集めます。パキスタン人の風貌で、かつ美少女、中国語を流暢に操る姿がニュースサイトなどでも紹介され始めると、彼女はその後ウェイボーで50万人以上のフォロワーを集める人気インフルエンサーの仲間入りを果たします。

 「私の家族は裕福ではありませんが、両親は私をひどく扱ったことはありません。両親は私を愛してくれています」と彼女は語ります。インフルエンサーとして今は月4000元ほどの収入を得られるようになったそうです

「私はまだまだ家族のために戦うつもりです。両親に市街地に家を買ってあげるのが夢です」

 と彼女は両親や自分のために今後も頑張り続けることを目標に掲げていました。

(了)

※写真はネットからの拾い物、イメージです

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