小田急線の奥地に住む若者として、不可解なことに、「なぜ複々線化の反対運動が起きたのか?」というものがある。
当時保育園児くらいだったはずで、複々線化完成後も小中は徒歩圏内、高校大学も複々線化区間から外れたところに通っていたから、当時ほとんど興味なかった。
だが父は小田急線のひどい混雑に悩まされていた側なはずで、複々線化に反対するということは父を身体的に痛めつけるようなものだから、当然に反感は持っていた。
最近になって、具体的に当時を知る切っ掛けとして朝霞市議会議員のこのブログが参考になった。
http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2004/11/115.html
来月、小田急線の複々線化の9割方完成にともなうダイヤ改正に改正に対して、小田急線の高架複々線化反対運動のメンバーがダイヤ改正差し止めの訴訟を出したという。
大方の市民運動に共感する私が、小田急線の複々線化反対運動に全く共感するものがない。
第1に、小田急線のひどい混雑と、この複々線化区間に該当する世田谷区の住民の被害と比較すると、あまりにも混雑による被害のほうが大きく、1時間に30本以上運転している小田急線の現状を考えると複々線化以外に解決法がない。この被害の大きさを考えると、ここで白紙に戻すことが妥当なのか疑問である、第2に、沿線住民は、小田急線開通後に小田急線の線路沿いの土地を買った人ばかりである。当時の電車は今の電車より騒音が大きく、便利さと騒音との比較はされていたはずである。そして、この人たちは、比較的恵まれた経済状態におかれた人たちである。小田急線の混雑に耐えているのは、安価な住宅を求めて長距離通勤をする、町田、厚木、伊勢原といった地方の住人である。第3に、裁判闘争一本槍という手法の問題である。一般人には参加できないような法律テクニックや専門的技術に議論を持ち込み、通勤地獄に耐えるだけで精一杯の人たちには全く議論に参加できないようにしていることである。
世田谷区民にとって騒音などの環境問題は重要であって、田舎の方の通勤地獄を考える余裕がなかった、ということなのだろう。
もっとも、こんな劣悪な通勤電車を作ってしまった政策のミスリードもある。
一番大きいのは、通勤手当の税控除上限を5万円にしていることである。このことで、多くのサラリーマンはどんなに遠くに住んでも通勤手当は無税になる。そうなると小田急線のような長大で住宅地として人気のある路線は、どこまでも開発されていくことになる。その結果としての長距離通勤者の増大、乗数効果的に混雑率が上がる、ということになる。
国税で交通に使われる財源のうち、大半が、道路、その残りのわずかを新幹線と地下鉄にバラまかれ、民営鉄道の整備には一切、税金が使われなかったこともある。その結果として、民営鉄道の通勤輸送は、その設備条件に対して、多すぎる電車を走らせて解決している。そして、速度の低下や遅延などの問題を日常的に発生させている。
この差し止め訴訟で迷惑する利用者側にも問題がないわけではない。町田、厚木、伊勢原の住民たちが、通勤地獄で生活の大半を浪費しているにもかかわらず、我慢し、沿線不動産屋のただのカモになっていることだ。利用者がきちんと声を挙げ、組織化し、公共交通機関や政府にものを言う自治が必要だ。これができて、初めて世田谷の阻止運動とフェアに対抗できる。
ここである。
これを見て、私は次の梨泰院事故について解説したまとめブログを思い出した。
このようにソウルは
その中にノマドのように移ろっていく街があり、
そこに地下鉄で通えるタワマン暮らしのソウル市民たちで成り立っている
韓国で先日おきた戒厳令時のようなあんなデモを日本でも起こせるか、と考えたときに、私は1時間近い移動時間の上終電があるから無理だと悟った。
タクシーで移動するにも限度がある。1万人規模の人間を、越谷から、柏から、日野から、町田から、東京都心の国会議事堂前に運ぶタクシーはないし、
国民はそのタクシー代を払う度量はないだろう。もしそんなことを日本人が許容するのなら、タクシー業界に与える経済効果はとんでもないことになる。
きっとタクシーの組合は積極的に国民を怒らせるよう国に働きかけるはずだ。
私がリベラル政党の指導者なのであれば、多分、この状況を恨めしく思うはずだ。
港区とは言わないまでも世田谷区や北区のタワマンに住めば、国会議事堂前にすぐ集合できるはずなのに、何が好きでそんな町田の更に遠く、本厚木なんてところに住むのか。
自民党は、都会の住民を都会に働き口を残したまま田舎に住まわせることで、「実質的には都民だが政治的には田舎者で保守」という状態を作り出そうとしているんじゃないか、と。
交通政策に詳しいリベラル政治家は一瞬でもよぎるはず。上の市議会議員の発言では「不動産屋に騙された」とオブラートに包んでいる。しかし、本音では「田舎で保守やって自民党に投票している癖に東京都心のリベラルな空気と経済の恩恵受けてるんじゃねえよ」みたいなことは、私も思うし、内心思うのでは。
90年代の頃は生まれていないからわからないしご教授願いたいが、やっぱりその頃は「本来都会に住んでリベラル市民であるべき人々が大手私鉄の力で田舎に住んでいるので自民党が有利」という状況が起きていたんじゃないかと思うし、それをアンフェアだと思う人々も多かったんだと思う。だからこそ、その刃は小田急の神奈川県民に向いた。
都会に住んでリベラルになった世田谷区民の騒音問題は重大なことであって、政府政策に乗っかって遠くに住んで保守的であることを選んだ連中の「通勤地獄」など変人奇人の自己責任。どうせデモをやるだけのタクシー代も出さないのだから蔑んで良い。
でもこの妄想に怒りを覚えた。
私が住んでいるところは小田急沿線の田舎だ(こないだ自民系の市長に革新系の市長が勝利して、自民の大物代議士が降ろされ立憲の候補が勝った街だ。なので最近はリベラル化している街だろうと思う。また福祉で有名でもある)。だからか、自分が妄想した相手の言い分に怒りを覚えた。
その小田急の田舎に住むという選択肢は自己責任として見捨てられるべきことなのだろうか?
東急線沿線住民にとって、中央林間は「最果ての地」とのことだ。私は最果ての更に先に住んでいる。そして生まれ育ったこの街を愛している。
そう考えると、下北沢の再開発された路線跡の町並みが急にグロテスクに見えてきた。
複々線化によって空いた下北沢の地上の路線跡は、今ではおしゃれな町並みが広がっている。ここは反対運動を行っていた世田谷区民が小田急に要求して、"協力して"作り上げたものだと聞いている。しかし、あの路線跡が単なる住宅街になっていれば、その予算は我々神奈川都民に振り向けられていたかもしれない。
ここまでほとんど妄想だし、ハンロンの剃刀を当てる場所も幾分かありそうだと思う。
でも政治的にはリベラルな自分が改めてこの街に住むことを考えたときに、そんな田舎住んでんじゃねーよという気持ちと、それに対するふざけんじゃねーよという気持ちが両方起きたので、それを書き留めざるを得なかった。