DXの必要性は十分認識しながらも、民間企業と比べて自治体の取り組みは遅れているといわれる。そんな中、東京都渋谷区はいち早く大胆な行政改革を進める自治体の1つだ。職員の業務のデジタル化と同時に、「住民票の写しをLINEで請求できるようにする」といった利便性の高い区民サービスも創出。人々のWell-Beingを実現するため、多様な領域でデジタルを戦略的に活用している。
地方公共団体による行政サービスのデジタル化は、社会全体のDXを加速する上で欠かせない取り組みの1つといえる。同時に、自治体職員の業務負担を軽減するためにも、積極的なデジタル化は不可欠だ。そんな中、自治体DXのトップランナーとして注目を集めるのが東京都渋谷区である。
同区では、2019年1月に移転した新庁舎に先進的なICT基盤を整備。職員にモバイルPCを配付し、オンラインでのコミュニケーションやリモートワークをしやすい環境を整えた。同時に、紙ベースで行われてきた手続きの多くを電子化。区民が窓口に足を運ばずに済むよう、日ごろ使い慣れたLINEで住民票の写しを請求できる仕組みなどを整えている。
「自治体はサービス業の一種です。サービスを向上するには、区民をお客様ととらえ、UX(ユーザーエクスペリエンス)とUI(ユーザーインタフェース)の両方を改善しなければなりません」と渋谷区副区長 CIOの澤田 伸氏は語る。同氏は、長く民間企業でマーケティングに携わった経験を基に、住民視点のデジタル変革を推進している。
取り組みの軸の1つがマイナンバー活用である。
例えば、LINEで住民票の写しを請求する際は、マイナンバーカードのICチップをスマートフォンで読み取って本人確認を実施。手数料をLINE Payで決済すると、申請した書類が自宅に郵送される。区の各種施設を予約するときも、同様の手続きで本人確認をすれば、窓口に書類を提出することなく、いつどこからでも申し込むことが可能だ。「このような仕組みは職員の業務負荷削減、およびペーパーレス化にも大きく貢献しています」と澤田副区長は続ける。
もちろん、スマートフォンを持たない住民を取り残すことはしない。デバイスの貸し出しや、デジタル支援員による機器・アプリの使い方のレクチャーなどを実施することで、デジタルデバイド(情報格差)解消を目指しているという。
「これらは、マーケティングの視点に基づいた利用者本位の画期的な行政サービスだと思います」と話すのは、同区の取り組みをサポートするデロイトトーマツ コンサルティングの松永 康宏氏だ。同社の澤田 滋氏も、「まさしく『誰一人取り残さない』デジタル化を目指す渋谷区様の姿勢は、ほかの自治体様にとってよい手本となるはずです」と語る。
一方、DXを進める際に立ちはだかるのが人材不足の壁だ。この難題に渋谷区はどう対応しているのか。
「単にソースコードを書ける職員を増やせばよいわけではありません。求められているのは、デジタル技術を使って組織や地域の課題を解決し、新しいカルチャーを生み出そうとする人です。DXのD(デジタル)は手段にすぎません。渋谷区が欲するのはX(トランスフォーメーション)を推進できる人材です」(澤田副区長)
DXに向けては専門的なスキルを持つスペシャリストを外部から登用する組織も多い。だが同区では、デジタル人材は「リスキリング」によって組織内で育成できると考えている。公務員が本質的に持つ「住民に喜んでもらいたい」という思いを引き出すとともに、それを実務につなげるための仕組みや学習機会を提供するのである。
分からないことを教え合う組織文化を醸成することも大切だ。例えば渋谷区では、業務上の疑問を庁内のチャットに書き込むと、それを見た別の職員がすぐにアドバイスをくれる流れが定着している。不安なく働ける環境で、次世代を担う若手職員がどんどん育ちつつある。
「我々がお手伝いするプロジェクトでも、若い担当者がリーダーに抜擢されるケースが多くあります」と松永氏は言う。新しいことへのチャレンジには失敗のリスクが伴うが、その経験も含めて成長機会ととらえている点が渋谷区の特色といえるだろう。
当日のセッションでは3名による熱い議論が展開された(左奥はモデレーターを務めた日経BP 総合研究所 小林 暢子)
渋谷区は小中学校における教育のデジタル化にも意欲的に取り組んでいる。文部科学省がGIGAスクール構想を発表する前の2017年度から、約1万人の児童生徒と教職員にタブレットPCを配付。いつでもネットにつながる教育モデルを整えてきた。
「とはいえ、その導入は簡単ではなく、『教育は紙の教科書を使って行うもの』という考え方からの脱却には苦労しました。突破口になったのは、成果が出始めたことです。子どもたちのライフログを分析することで、いじめの兆候などを早期に捕捉できるようになりました。事例が増えるにつれて、教員の意識も徐々に変化していったのです」と澤田副区長は振り返る。
現在、渋谷区の小中学校では児童・生徒のライフログの分析結果を教育に役立てている。今後はスタディログの分析結果も活用するほか、さらに多様な分析ツールや教育コンテンツを、SaaS型で提供できる仕組みの整備にも注力する方針だ。
「学習と生活、両方の指導をしなければならない学校の先生の負担は増す一方です。デジタルの力で学習指導を効率化し、空いたリソースを生活指導に充てられるようになれば、先生のためにも児童・生徒のためにもなるのではないでしょうか」とデロイト トーマツ コンサルティングの澤田 滋氏は期待を寄せる。
さらに渋谷区は、様々な人と組織が連携して互いに高め合う「コ ラーニング エコシステム」を提唱。区民が区内の大学で単位制の講義を受講できる仕組みを整えるなど、長期的な視点で見た人々のWell-Being実現にも貢献しようとしている。
「社会には経済的な成長だけではなく、非経済的な成長も必要です。それを根底で支えてくれるのがICTであることは言うまでもありません」と澤田副区長は語る。同区の取り組みは、これからの都市サービスを考える上で、よい参考になるものといえそうだ。