出会うために生きている。
東京在住の女性R様から「自分は二重人格なんじゃないかと思う」と連絡をもらった。心が晴れている日もあれば、どんよりと曇る日もある。思い悩むパターンには種類があって、経済的なことを悩む時もあれば、精神的なことを悩む時もある。精神的な時は、確かなものが欲しいと思う。自分の考えや自分の人生を薄っぺらく感じてしまって嫌気が差す。R様は、そのようなことを言った。
私は、体調不良で寝込んでいた時を思い出していた。動きたくても動けない、何かをやりたいのに何もやれない自分に嫌気が差して、叫びたくなったり、誰かに救ってもらいたくなった。痛みに悶えて、歩くことも、立ち上がることもできない。悔しくて、情けなくて、自分のことを無力で無能な役立たずのように感じていた。私は曲を作るから、曲を作れた日は有意義な一日に感じる。曲を作れない日々は、何も生産的なことができていないダメな日々だと感じる。元気があれば、曲を作れる。今の自分には、ギターを握る力さえない。
今はゆっくりすればいいと頭では思っていても、体が軋む。ごまかせない痛みと、打ち消せない孤独に苛まれて、自分がダメになっていく感覚に襲われていた。その時に、ふと思った。痛みが私の体を奏でている。今の私には、奏でることができない。だが、痛みが、孤独が、私の体を奏でていた。歌い出すのは、私ではなく、私は奏でられていた。この痛みが、この孤独が、あなたの歌であった。この時、生きる方向が変わるのを感じた。
自分のことばかりをじいっと考えている時は、光に背を向けている時だと思う。光に背を向けているから、自分とよく似た影を延々と見続けることになる。光に目を向けた時、影は消える。確かなものが欲しいとか、自分の考えが薄っぺらく感じられて嫌気が差す時は、光に背を向けている時だと思う。家の中でひとり考え事をしている時は、深刻になりやすい。家を出て、外を歩くと、近所の人との挨拶や、草花の存在に慰められる。心が軽くなり、世界は自分だけではないのだと思う。
希望は自分の外側にある。自分の内側はからっぽのままでいい。君に会った。それだけで、生まれた甲斐があった。君と生きた。それだけは残る。何もない。それでいいのだと思う。自分の内側に確かなものを築こうともがくほど、大事なものから切り離されて、一人になり、嫌気が差す。好きなものを思い出す時、生きる方向が変わる。自分は薄っぺらいままでいい。薄っぺらいまま、好きなものに、好きだと言う。「こんな自分」という影から自由になって、君に会えただけで生まれてきた甲斐があったと、清々しい愛をリリースすることができる。何のために生きるかなんて、君に会うためだけでいいのだと思う。嫌気に差されるか。光に差されるか。希望は自分の外側にある。
おおまかな予定
1月19日(日)東京都品川区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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