ストライヒ関連の歴史を記す。
先史時代(2021年)
2021年9月23日 ストライヒ帝国の実質的な母体である「PB界隈の民度を上げようプロジェクト」が発足。
プロジェクトは順調に(?)続いたが、11月17日、飯塚軍の生き残りを名乗る集団(村塚組)に荒されプロジェクトは爆散。メンバーはまた別の活動を始める。(この時の水面下での活動やストライヒを除く派生グループなどを含めると2022年8月15日まで存続していた)
その年の12月6日、プロジェクト創始者のかぼにー(現在のちゃべぷー)氏がストライヒ帝国の前身となるグループを間違って作成。かぼにー氏はその後即抜けした。その後タービン氏がグループ名を「ハイル・ストラナー」に変更。これがストライヒの歴史の幕開けである。
ストライヒ国家の系譜
2022年
ス帝時代
3月1日(正確には2月28日) ストライヒ帝国、建国
5日には「ス帝春秋」が創刊される。過疎が強調されており、その後ストライヒを代表する文化となる過疎文化の始まりとなった。
同日 ストラナー語録bot(お茶はリアス式海岸)がストライヒ帝国初代首相に就任
ス帝歴代首相 | |
1代目 | ストラナー語録bot(3.5~3.12) |
2代目 | ゆうぼー(3.12~3.19) |
3代目 | タービン(3.19~3.26) |
4代目 | タービン(3.26~4.2) |
5代目 | タービン(4.2~4.9) |
6代目 | ほのりん(4.9~4.16) |
7代目 | タービン(4.16~4.22) |
8代目 | タービン(4.23~4.30) |
9代目 | もち(4.30~5.7) |
10代目 | もち(5.7~5.14) |
11代目 | ゆうぼー(5.14~5.19) |
12代目 | ほのりん(5.19~5.21) |
13代目 | SYUM(5.21~5.28) |
14代目 | SYUM(5.28~6.4) |
15代目 | もち(6.4~6.11) |
16代目 | SYUM(6.11~6.18) |
17代目 | ブリタニア(6.18~7.2) |
18代目 | パタパタ (7.2~7.16) |
19代目 | ほのりん (7.16~7.31) |
20代目(最期) | りょくちぃ(7.31~8.5) |
3月30日 ストライヒ帝国がソ共界隈インターナショナル(国連)に出席。過疎の深刻さを訴えた。
同日、国連は解体された。
現在のストライヒの文化はほぼすべてがストライヒ帝国時代に基盤を固めたといっても過言ではない。テレビ産業や過疎文化など、多くの流行が生まれた。
5月14日、秘密裏に二カマラスキツ臨時政府が樹立されたことをス帝国民はまだ知らなかった。
5月28日、エンゲージリングニート氏(現在はアカウント消去済み)とほのりんがストライヒ初の喧嘩を始める。
ス民時代
7月1日からかきすに氏が高浮上となり、下ネタや他のメンバーをイジる発言を繰り返していた。多くのメンバーはその行為を否定しつつ概ね楽しんでいたが、のず氏はその行為を快く思ってなかったため、崩壊までかきすに追放を唱えていた。
当時の会話、のず氏のメッセージは現存しない
7月3日にそのス帝の平穏を根幹から揺るがす事件が起きる。
かきすに氏がお絵かきチャットに乱入し、荒らしに荒したのである。
当時の絵チャ
これによりス帝内は反かきすに派の巣窟と化し、国内は混乱を極めた。
同日、ストライヒ反かきすに派の筆頭、ブリタニア氏がス帝東部で反乱を起こし、「ストラ民主共和国」通称「ス民」を建国する。
蜂起の瞬間
これによりかきすに擁護派のス帝と反かきすに派のス民が同時に存在する情勢的にとても危険な状態となった。(なお、当時のス帝首相は反かきすに派だった。)
最初期のス民のグループ名
一方、ス民では独自の文化が花開き、ス民側に着いた放送局などでス民は大いに盛り上がった。
ス民独立宣言
ス民側に着いた放送局の例
戦国時代
2022年8月5日12時42分、
ストラ民主共和国が突如としてス帝を侵攻したのである。もち。氏のリアル用アカウントがス帝DMに投入され、かきすにとス帝公式アカウントを退出させた。
その後、お茶氏によってス民の革命派と交渉が行われ、正式にストライヒ帝国を解体、及び帝政を廃止することが決定された。
侵攻直前にス民DMで行われた作戦会議
こうして、8月5日12時53分、3月1日の建国から約150日続いたストライヒ帝国は崩壊したのである。
ス帝崩壊の瞬間
その後、蜂起の兆しを今か今かと待ち望んでいたニカマラスキツ臨時政府(のちのカレロフィン王国)にとどめを刺され、ストライヒ全土は、ス民、二カマラスキツ、タビオグラードやアラビアナやインディアナ、サギディエムなどの有象無象が乱立した。
また、入国管理局グルや議会グルなどもス民軍に接収され、議会グルはその後カ国に関しての臨時作戦会議所として使用された。
ここまで早くス帝が崩壊した原因としては、当時の高浮上勢のほとんどがス民の主要メンバーだった事と、当時の追放権限を持っていたアカウントがロックされていて誰もログイン出来なかった事が挙げられる。
ス民とカ国はストライヒ帝国の領土を分割し、ス国の独立を認める形でストライヒ戦国時代は幕を閉じたものの、未だ三国の対立は激しかった。
8月14日、ス民首相選挙で鎌月氏が勝利(無投票当選)
同日、ス帝最後の首相であるりょくちぃによりス帝跡地にストライヒ国が建国される。
8月15日、カ国がス民への同君連合の樹立を提案、なんやかんやあってカ国=ス民二重王国が成立。カ国はストライヒのほぼ3分の2を支配するに至った。
8月18日、ス国で選挙が行われ、もち氏が首相に就任した。
同日、ス民亡命政府がス国に設立される。これ以降、ス民とス国は密接な協力関係を築く。
9月2日、ス民とカ国の同君連合が解消。
ス連時代
9月7日、ス民とス国が合併を宣言しストライヒ連合共和国が成立。カ国は当時加盟せず。
9月10日、カ国がス連に加盟し、旧ストライヒ帝国領が再び一つの国家に統一される。
9月16日、なんとス帝崩壊の原因の一つであるかきすに氏が、鎌月氏やパタパタ氏の賛成を経てス連に入国した。
しかし10日後の9月26日に再び追放されてしまった。
10月中旬ごろからス連の憲法や法律(旧法)などが整備され、ス連は再び息を吹き返した。
10月30日、ス連で初の選挙が行われ、パタパタを首相とする第一期政治局が発足。
11月20日、カ国のフィン・ウラル州にてライ氏が反乱を起こし、フィンランド連邦共和州として州内でも特殊な州内自治州として独立した。
しかしライ氏は自警団と名乗る独自の軍隊を作り始めたため、カ国も異例の軍拡で対抗した。
12月4日、ほのりんがライ氏にブロ解された事を巡って喧嘩となり、その結果ライ氏がス連を追放されたためカ国軍がフィン・ウラル州に進駐。領土を奪還。しかしその過程でライ氏はス民DMから退出せず、さらにス連国民のほとんどをブロックで追放したためス民はライ氏に占拠されてしまった。
12月11日(23日ともいわれる)、ヘリウム氏(男)によって大量爆破事件が起こり、ス連内は混乱を極めた。その際に当時大統領であったりょくちぃ氏の対応にほのりんを始めとするソ共界隈勢の反感を買い、それがその後の悲劇を孕むのであった。
そして12月25日、伊吹氏とほのりんが大喧嘩となり、ス連が大いに荒れた。(伊穂衝突事件)ス連中央議長であったりょくちぃ氏は重大な荒らし行為として国家非常事態宣言を発出、関係者を一度蹴り、議長は鎌月氏に交代となった。
しかし。
鎌月氏は解除されていなかった非常事態宣言を使い、見過ごされていた犯罪者やソ共界隈民、アンチソ共界隈民、ポムポム等関係で旧法に違反していた人物を次々に追放していったのである。本人によると法律に従ったまでだそう。
しかしその後お茶に過去危険人物であるかきすにと仲が良かったことを追及され、鎌月議会は退陣を余儀なくされた。(怒涛の議長会)
12月26日、ス民DMに残っていた鎌月氏のサブ垢がライを追放しス民を奪還する。
年越しを迎え、ス連のテレビ文化は絶頂を迎えた。
(ス連放送連盟主催の年越し企画)
2023年
1月6日、ポムポム党のお茶氏が大統領選において議長の民選化などを主張するも、それに反対するりょくちぃ氏やモン安倍氏との間でちょっとした喧嘩が起きる。その後お茶氏はポムポム党を通じたほのりんによる内政干渉の疑いから他の党員ごと追放となった。
1月8日、法整備や忖度した裁判に嫌気がさした鎌月氏によりカ国がス連を脱退。当時忙しかった中にこの一報が入ってきたのでス連政府は相当な精神的ダメージを負った。以後、カ国はス連脱退をちらつかせながら立ち回るようになる。
1月15日、モン安倍氏により自由民主党が設立される。
2月19日、ス国でお茶によるクーデターが発生し、グループが爆破され、占領される。
3月14日頃、pavid19が流行、メンバーのアイコンがパタパタになった。
3月16日、カ国がス連に復帰。
4月2日、ス連国家法施行
4月10日、ほのりんが凍結する。また、香港共和国が崩壊し友好国の香港維新政府主導で香港が統一され、香港第二帝政が建国。
9月18日、お茶としょきちょーが恩赦され、ス連に再入国
11月23日、他のグループでのいざこざや普段の言動などですっかりほのりんを嫌いになっていたお茶と元々嫌いなりょくちぃの間でほのりんへの悪口が飛び交った(ほのーりん批判)
11月29日、お茶に爆破され、占領下となっていたストラナー州がス連の管轄下に復帰。
12月17日、パタパタが政党「パタパタ進歩党」を設立。お茶、SYUMが参加した。
12月19日、自由民主党が自主解散する。
2024年
1月20日、ストライヒ国家法が改正される。
2月18日、かきすにの本グル入国が議会に承認され、かきすにが再入国した。かきすにの入国にはもち、パタパタ、SYUMが賛成した。
6月27日、ブタネルグループによる攻撃が発生。
同月28日、上記攻撃の影響でグループを移行する。
同日、追放されていたマスおぢが復帰する。
11月27日、新ストライヒ国家法が施行され、国名を「ストライヒ・ロシア自由帝国連邦」へと変更する。また、大統領と首相が統合され宰相職が新設される。任期は実態に法を合わせるべく1ヶ月となった。
11月29日、総統の希望と国民投票によりメインの活動拠点をDiscordに移行する。
11月30日、Discordでマイクラをやっていたところ、ブタネルグループにマイクラを荒らされる事件が発生。ス連でリンクを貼ったせいだとマイクラの鯖主とトラブルになったため、参加人数を絞った新しいDiscordサーバーに移行する。
12月28日、かきすにが再入国する。
2025年
Discord時代
2025年1月5日、今までTwitterグループが依然として使われていたが、この日をもってDiscordへの移転が完全に完了する。
1月8日 新刑法が公布される。
1月12日、ノキア連邦なる国が国交締結を提案してきたが、設定上の領土が被っている事、フィンランドを意識した国名、領土、国旗が過去のトラウマを思い出させること、公式垢の連投が酷い事から拒否された。
1月15日、PBプロジェクト及びス帝の創設者であるかぼにーが入国する。
当時の議会
1月18日、かぼにーにより新テレビ局「KB2」が設立される。