名鉄三河線“海線”のいま2…廃線跡探訪(32)
2022年1月20日
前回は、名鉄三河線の“海線”で廃止された区間のうち、廃線跡が整備されて「碧南レールパーク」となっている区間を紹介しました。全2.3キロで碧南駅東部に広がる街をグルッと半周するような形でした。
ここまでは碧南市内ですが、この先は矢作川を越えて西尾市となります。2004年の廃止当時は、西尾市・幡豆郡一色町・同吉良町を通る路線でしたが、その後「平成の大合併」により矢作川を渡った先の廃線跡全てが西尾市になっています。
その市境を流れる矢作川は川幅が広く、上の写真に見るとおり、実に長い立派な橋を渡っていました。橋梁上に架線柱がありますが、電化設備を放棄してレールバスと呼ばれるディーゼルカーを導入したため、柱があるだけで、この時には既に電化線はありませんでした。
これだけ立派な橋なので、何らかの痕跡があるかと期待したのですが、廃線後の設備撤去とは別に護岸工事も行われたようで、痕跡はまったく見つけられませんでした。
さて、西尾市内の線形をみてみましょう。
次の地図は、スタンフォード大学が公開している昭和5年の日本古地図からこの付近をピックアップしたものです。当時はまだ三河鐵道の路線でした。
左上の青線で囲んだ部分が、前回紹介した「碧南レールパーク」になっているところです。当時は碧南駅を大浜港駅と呼んでいましたので「おほはまみなと」と書かれています。
矢作川を渡ると、中畑駅・三河平坂(へいさか)駅と進み、いきなりほぼ直角に右に曲がると、当時走っていた西尾鉄道平坂線…後の名鉄平坂支線をオーバークロスします。
昭和初期に、この付近で鉄道同士が立体交差していたのは、とても先進的な事例といって良いでしょう。ただし、その築堤はすでに崩され、廃線跡には新興住宅が建っています。平坂支線の廃線跡は県道43号になっていて、立体交差していた様子はほぼ分からなくなっています。
三河線はさらに南下すると、三河楠駅を経て寺津駅に至ります。このあたりで、概ね廃線跡の中間になりますので、今回はここまでの現状を記します。
冒頭にご覧いただいた矢作川橋梁を渡り、西尾市に入った三河線廃線跡は、矢作川の堤防まで登る築堤が崩され、跡地にソーラーパネルが敷き詰められていました。上の写真がその様子です。
左上は、同じ場所にかつてあった築堤を、矢作川の堤防へと駆け上る三河線のレールバスです。この築堤はご覧のとおり大規模だっただけに、いまも残っているかなと思っていたので、更地になっていたのは予想外でした。この築堤を降りたところに中畑駅がありました。
その先、廃線跡には民家が建ったりして、残っている部分も多くあるものの、並行する道もなく、距離のわりに廃線跡歩きには時間がかかりました。やがて三河平坂駅跡に出ますが、駅構内の碧南側は更地になって残っているものの、駅付近から先は住宅が建っていて、これまた思うように廃線跡を楽しむことが難しい区間となります。
それが一変するのは、前述の平坂支線との立体交差跡を過ぎた先になります。ここの三叉路で、いきなり廃線跡が現れます。廃線跡は立ち入り禁止になっているため、周囲の道を迂回しつつその様子をみていくと、やがて立派な高架コンクリート橋が現れます。
ご覧のとおり実に立派な高架橋で、なにかに使われているかのように見えますが、実は単なる廃線跡です…。この寺津高架橋は、2005年に中部国際空港ができることから、その開港時のアクセスルートとして道路整備を進めるなかで、三河線の踏切が交通の支障になるとして建設されたものです。ここは県道ですが、150メートルほど西で国道247号になります。完成したのは1998年ですが、2004年に三河線が廃止されてしまいました。目的だった中部空港の開港は翌2005年です…。
結果として、税金の無駄遣いとなってしまった高架橋ですが、その原因は冒頭にご覧いただいた矢作川橋梁にありました。老朽化していて、三河線の運行を存続するのであれば、架け替えるなど大規模な設備投資が必要と分かったのでした。
廃線から18年、完成からでもまだ24年の高架橋ですので、当面はこのまま放置されるのでしょう。
寺津高架橋を過ぎ、さらに廃線跡を追っていくと、戦時中に休止となり1969(昭和44)年に廃止された北寺津駅跡に気づきます。不自然に更地となっているだけのところですが…。そこからさらに500メートル強進むと、寺津駅跡にでます。…といっても並行する道が無いので、公道をジグザグに歩くことになります。
昨年(2021年)1月に訪れた時には、ご覧のとおりホームが残っていて、かつての駅前の様子なども感じられました。
ところが、同年に整地されて、いまは宅地化が進んでいるようです。かろうじて記録することができた、寺津駅ホームの末期の姿となりました。
以上で、廃線跡の中間付近となる寺津駅までやってきました。ここまでの区間は、文中にも記している通り並行する道が少なく、路線距離のわりに歩行距離が伸びがちです。そのため、無理せず、何度かに分けて歩くと良さそうです。幸い、廃止代替バスとして名鉄バスが碧南~吉良吉田を日中1時間に1本程度、走らせています。しかも乗り切れ制200円と格安です。
また、西尾市のコミュニティバス「六万石くるりんバス」と「いっちゃんバス」も走っています。「六万石くるりんバス」は旧西尾市内、「いっちゃんバス」は、旧一色町内を循環しています。これらを使うことで、各自の体力に合わせた廃線跡巡りをしていただけるでしょう。
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