イチローさんが憂う野球の未来 データと感性は共存可能
野球データアナリスト 岡田友輔
スポーツにおけるデータ分析の進歩は著しい。とりわけ「記録のスポーツ」といわれる野球ではデータの存在感が飛躍的に高まっている。
データが多種多様になれば、プレーの幅だけでなく観戦の楽しみ方も広がる。一方で数字ばかりがクローズアップされ、肝心の選手のパフォーマンスへの関心が相対的に下がってはいないか、との懸念が広がっているように感じる。そうした不安は、ファンよりも現場の人たちの方がより強く抱いているかもしれない。
昨年12月、TBSの「情熱大陸」でイチローさんと松井秀喜さんがデータ全盛の現代の野球に警鐘を鳴らした。松井さんが「今のメジャーの試合を見ていてストレスがたまらないですか」と尋ねると、イチローさんは「たまる、たまる。めちゃめちゃたまるよ。退屈な野球」と答えた。
イチローさんは「すべてデータで管理する」ことの弊害について、本当に必要な時に使うのはいいが、今は「(データが)常にある状態。見えるところにあるので(選手が)頭を全然使っていない。まさしくMLB(米大リーグ)の野球がそうなっている」と話した。大リーグの中継で、ベンチで選手がタブレットを見るシーンが頻繁に映し出されれば、確かに選手がデータに縛られている印象を受けてもおかしくない。
近年は投球の回転数や回転軸、打球の射出角度など1球ごとにあらゆるデータが分かり、このコースに投げればこれだけの打球速度で打ち返されるという具合に、様々な傾向を子細に把握することができる。データ分析の精度の向上によって野球という競技の構造の理解が進み、試合に勝つための戦略立案のレベルは格段に上がった。
かつて日本のプロ野球で配球の鉄則とされたものに「困ったら外角低め」がある。確かに安打になる確率が低いコースだが、分析技術の進歩で持ち球の特性や打者のスイング傾向から投手ごとに最適な配球を組み立てることが可能になり、「鉄則」が通用しないケースが増えた。むしろ今では大リーグを中心に、伸びのある速球なら高めに投げて空振りを狙うのが効果的、という考えが常識になっている。
打順の概念も変化している。以前は足が速く出塁率の高い選手を1番に置き、2番にはバントなどの小技が上手な選手を据えるのが理想とされたが、今ではOPS(出塁率と長打率の合計)などを重視し、優れた打者を1番から集中的に並べるのが高得点を狙う上では有効というデータが出ている。大谷翔平(ドジャース)が4番ではなく、打席数が最も多くなる1番を任されるのはこの考えが根底にある。
かつては限られた人数のスコアラーが担っていた対戦チームなどの分析を、今では最新のテクノロジーや外部から招いたアナリストらの力を駆使して球団を挙げて行う。他チームに差をつける手段として、戦力の整備に加えていかにデータの分析力を上げるかが重要になっている。
投手のレベルが上がり、打者は得点を挙げるうえで重要な出塁がままならない状況になった。そのマイナスを補うために長打を増やす「フライボール革命」が起こり、そのトレンドが流行すればどのチームも我先にと飛びつく。そのようにして皆が最先端のスタイルを追い求めることでチーム間の違いがなくなれば、どの試合も同じようなものになり、イチローさんが「退屈」と感じるのも無理はない。
得点を挙げるうえでOPSが重視されることで、打者は体格にかかわらず長打を狙い、選手間で個性の違いが生まれにくくなったことも、究極の「安打製造機」という個性を放ったイチローさんの目には寂しく映るのだろう。
それでもデータの効用は計り知れない。イチローさんは大切にしたいものに「感性」を挙げる。確かに、データ全盛の時代になってもプレーする選手の感性が大事なのはいうまでもない。だが、感性は言葉では表現しにくいため、選手同士、あるいは指導者と選手の間での共有が難しく、どう磨けばいいかを知るのも至難だ。
そこでデータが役に立つ。スイングスピードや投球時の腕の角度などの様々な数値によって自分にはどういう特徴があり、どこをどう改善すればいいかが見えてくる。理想の数値に近づくことでプレーの感覚が研ぎ澄まされ、ひいてはその人なりの感性が磨かれていく――。結果的に選手の成長の一助となり得るのがデータだと考える。
投球に関しては、むしろデータを利用することで投手の感性を生かしやすくなっている。配球の検証や球種の開発などでは、投手の感覚として投げやすいか、投げにくいかをデータで確かめられるまでになっている。必ずしもフォーシーム主体で投げる必要がなくなった現在は画一的な球種の配分は薄れつつあり、個人に合った投球スタイルを確立していく方向に進んでいる。
もちろん、データへの過度な依存のリスクはある。打席で様々な投手たちの球を目やバットで体感し、自らの力で攻略法を築いてきたイチローさんらと比べると、あらゆるデータを労せずして得られる今の状況は、それこそ選手が「頭を使わない」でプレーできてしまう環境ともいえるのかもしれない。
だが、それにあぐらをかき、単にデータ通りにプレーすればいいという安易な姿勢が通用するほどプロは甘くない。結局のところ、より試合を左右するのは、データ通りにいくと見せかけて裏をかくといった不断の駆け引き。そこでものをいうのが感性ということになる。データを「餌」にして感性が生きる側面があることも思えば、感性とデータは十分に共存できるもので、決して対立するものではない。
データが野球を支配しているという主張もあるが、むしろデータで分からないことの方が多いというのが、データ分析を手掛ける者の実感だ。野球というスポーツの深奥に迫ろうと選手が感性をよりどころにアプローチする中、データを使うことで別の角度から本質に近づけることもあるのではないか。データはあくまで道具に過ぎず、それを脅威とみるか利器とみるかは扱う人間次第だ。
ゴルフはクラブの種類が増えることでプレーの幅が広がり、将棋や囲碁は人工知能(AI)を研究に用いることで新たな地平が開かれてきた。野球でもデータ分析の深化でもたらされた発見は枚挙にいとまがない。これからも球界発展のための有効なツールとしてデータの存在価値に光が当たればうれしい。
【関連記事】