第3話 捻くれ者、ファミレスで提案を受ける

 場末のファミレスチェーンは空き空きで、奏真たちは奥まった窓際のテーブル席に陣取ってフリードリンクを頼んでいた。

 遠慮せずに食べて、と八千代が言うので奏真はさっきまで贅沢にもチキンステーキのグリル&ライス・スープバーセットを頬張っていた。彼にとってはたかが千二百円のグリルメニューとライス、スープのセットでさえご馳走だった。普段はとにかく切り詰め、業務用スーパーのパスタを折って茹で、それを麺つゆで食べるような日も少なくないからだ。彼にとってはコンビニ弁当が、今となっては唯一のお袋の味である。


 皿を下げた店員は、ごゆっくり、と、これっぽっちもゆっくりしていけなんて思っていないような顔で言って、去っていった。

 八千代はひらひら手を振って、水で薄めたカルピスを啜る。

 奏真はスープバーのコーンスープを啜りながら、八千代の顔色を伺った。


 奏真が食事をとっている間、この女はずっとパフェを食べていたのだが、「最近、食べ物の味付けが濃く感じたり、香料がキツくてムカムカしない?」とか聞いてきた。

 思い当たる節が多かった。特に、十六、七の頃からそれは顕著で、もともと薄味好きだったが、最近自炊する時は塩すらあまり使わない。モヤシを素で痛めて卵で閉じて食べることもザラにある。


「なんでそんなこと」

「〈隠憑おぬつき〉って知ってる?」

「知らない。おぬってのが鬼の語源で、目に見えない瘴気や病の類を大昔にそう呼んでいたらしいってのは、オカルト好きの知り合いから聞いたことがある」

「そう、その隠。〈隠憑き〉っていうのは、神域や溟界、霊界に住まう霊的生命体であるはずの妖怪が現世に干渉し、実態を得るために人間に取り憑くことをいうの。あるいは、その状態にある人間をそう呼ぶ」

「俺がそうだっていうのか?」


 カルピスをストローでかき混ぜながら、八千代は頷いた。落ち着いたジャズ音楽が、店内の暖色系のライトに熱せられ、溶け落ちていく。

 奏真は震える息を吐いた。


「アヤカシになれってあいつは……。俺もああなっちまうのか。人間を襲う化け物に。だから、人間の食い物が受け付けなくなると?」

「正確にはその前段階にあなたはいるの。アヤカシは人肉しか受け付けないけど、あなたは違うでしょう?」

「人肉……」


 誰かの両親や兄妹、弟妹、あるいは子供を喰う化け物に。ああなるのか。

 嗤っていた。あの、狐男のように。


「律する方法がある。己の内にある妖怪を制御し、己の力とするの。そのためには強靭な精神力と、物理的に乗っ取られない肉体がいる。幸いあなたは肉体強度が高いから乗っ取りを弾いているけど、精神面でいつ妖怪に喰われるかわからない。だからそうなる前に、犠牲となる同胞を減らすためにやってきたの」

「同胞?」

「私たち忌術師はみんな〈隠憑き〉よ。みんな、自分の中の妖怪を制御し、その力を引き出して戦っている。人間社会に、決して少なくない被害をもたらすアヤカシとね」


 こごってしまったコーンスープをスプーンでかき混ぜて、奏真は残っていたぬるいそれを一気に飲み込んだ。妙に香料が強い。鼻の粘膜が痛みを発した。


「天城民間特殊警備会社ってやつか。なんだか、傭兵稼業をやってそうな名前だが」

「似たようなものよ。アヤカシを狩り出してドンパチしてお金もらってるだけだからね。でも、人間社会を警備する特殊な仕事なのは本当だから、嘘はついていない」

「言葉遊びだろ、そこまでいくと」


 口直しにお冷を飲んで、奏真はそこで一旦、呼吸を整えた。


「俺が今の生活を望むとしたら?」

「遠からずアヤカシになるから、なるべく、人里離れたところへ移住することを勧める。いざとなれば、私が祓う」

「……あんたたちについていけと?」

「決して強制なんてしない。でも放置するのは危険だと忠告しておきたいの。まさしくこの口ぶりが、あなたみたいな状況の〈隠憑き〉には脅しに捉えられるんでしょうけどね。でも、仕方ないの。こう言うより他ないから」

「そもそも何をどうすれば〈隠憑き〉になる? 誰彼構わずなるわけじゃないんだろ?」


 窓の向こうは雨が降り始めていた。雨粒が窓をたたき始め、景色をいびつに、水彩画の滲みのようにガラスというキャンバスに夜景を染み渡らせていく。


「心に壮絶なストレスがかかったものが、妖怪に憑かれる。〈隠憑き〉になったまま心が——魂が死ぬと、アヤカシに堕ちる。だから私たちはそうならないために、〈隠憑き〉に声をかけて、どうにか精神と肉体を強く保たせようとしているの」

「健全なる力は健全なる肉体と、健全なる精神に宿るってことか?」

「いいわね、その言葉。これから引用していい?」

「ご自由に」


 雨が強い。今朝見た予報では、二日ほど雨が続くらしい。二日目には、もしかしたら去年より一週間早い初雪になると目されていた。

 世界技術開発管理機関WTMOによって世界中の科学技術が日本でいう平成末期ほどに制限された二〇七二年現在、悪化の一途を辿る地球環境に警鐘を鳴らした世界各国は環境の回復と維持に舵を切っている。

 一時期は人種がどうのこうのとか、性差別がどうとか、見た目がああだこうだと騒いでいたが、いざ自分たちの暮らしが危うくなればそんなものはあっという間にほっぽり出した。


 如何にも人間的で、近視眼的。未来を考えると言いつつ、目の前のことにしか集中できない。大昔に流行ったマルチタスクが脳に過負荷をかけるということは、マルチタスク仕事術のノウハウが出てあっという間に証明された。

 世界中の識者気取りが手のひらを返し、瞑想だのマインドフルネスだの、シングルタスク術だのの本やハウツー動画なんかを出し、小銭を稼ぐのに躍起になっていたらしい。

 あの頃はとにかく恐怖や不安を煽り、社会の視線を一点に集中させてまるでこれから起こる大転換を肯定する下準備を始めているような、一種の、人類全体で巻きおこった躁状態のような熱気に包まれていた。


 奏真は確かに十九の餓鬼だ。去年成人したとはいえタバコも酒もできないし、未だに童貞である。女を愛したことも、愛されたこともない。

 それでもなお——自分は、人間のおぞましさと、恐ろしさと、醜さを知っている。

 心などとうに壊れている。そう思っていたが、違うのだろうか。

 だとしたら、何を拠り所に、自分は人間というレゾンデートルに固執しているのだろう。


 あの日。

 夕陽とヒグラシの声を背負って、狐男は嗤っていた。

 ああはなるまいと。自分は、たとえ満足に「人間」が全う出来ない、出来損ないの人間未満であったとしても、正しく生きるべきだと——それが、その誇りが粒ほどでもあったから、自分は……。


「少しだけ考える時間をくれないか。いきなり結論を出せって言われても、無理だ。ただでさえさっき、襲われたんだ」

「……そうね。家まで送っていくわ」


 八千代はそう言って伝票を持って立ち上がった。奏真も後ろに続き、そのスタッフが調理したわけではないだろうがご馳走様と告げ、店を出て、車に乗り込んだ。

 自分が知らない世界は多数あると思っていた。

 だがこんな、漫画みたいな世界がすぐそばに横たわっているとは、夢にも、カケラほども思っていなかった。

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忌術戦域 — 玉兎に吼えれば真神の疵は癒えるのか — 夢咲蕾花 @RaikaFox89

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