「ワシよりうまいやつはおらんと思っていたけど、いたよ」――。サッカー日本代表で長年「10番」を背負った木村和司さん(62)が出身地の広島弁で「負け」を認めた相手は、25日に60歳で亡くなった元アルゼンチン代表ディエゴ・マラドーナさんだ。同じ時代にプレーした「10番」を称賛する木村さんは、こうも言う。「日本にも出てくると思うよ」
「神の子」の察知する力に衝撃
木村さんが初めてマラドーナさんのプレーを見たのは1979年、日本で開かれた世界ユース選手権(現U20ワールドカップ=W杯)だ。マラドーナさんは既にアルゼンチンのフル代表。当時21歳の明大3年生でこちらもフル代表に入っていた木村さんは「すごい選手がいる」と聞き、東京・国立競技場に駆けつけた。
すぐに目を奪われた。「ボールを保持しながら、対峙(たいじ)する選手の体重移動などの動きを感じられる。あれがすごい。そして(相手に)ボールを取りに来られても、(相手の)足が出ない(届かない)ところにボールを運んでいく」。そうした何気なく見せる高い技術が、今も脳裏に刻まれている。
初めて対戦したのは82年1月。マラドーナさんが所属するアルゼンチンのボカ・ジュニアーズと日本代表が3試合の親善試合を行った時だ。その2試合目、神戸での試合で木村さんは得意のフリーキックを直接決めて先制する。日本は前半に2―0とリードしたが、後半に3点を奪われ逆転負けした。その1点目と決勝点を挙げたのが、自身より2歳下で当時21歳のマラドーナさんだった。
「右から来たボールを胸で止めて、上に上げて、オーバーヘッド。それを見た時、本当にポカーンとして見ていた。衝撃だったよ…
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