ジモコロ編集部の柿次郎です。
突然ですが、問題です。
この人は何をしているところでしょうか!?
いきなり答えを発表しちゃいますけど、実はこれ、看板を描いているところなんです。
彼が手に持っている長い棒はモールスティックという専用の道具。彼はこれで腕を支えながらフリーハンドでグラフィックや文字を描きます。この技術を英語圏では「サインライティング」と呼びます。
言葉で説明するよりも見てもらった方が早いですね。というわけで、ここから彼の作品をいくつかご紹介します!
以下、すべて手描きです。
めちゃめちゃ味があって、最高じゃないですか??
これを描いているのは、サインライティングの本場イギリスで修行を積んだKAZUSIGNSこと綱島一裕さん(以下、KAZUさん)。約2年前に帰国し、現在は千葉県八千代市にスタジオを構えて、オリジナルの看板やロゴ制作などさまざまなサインライティングの仕事を請け負っています。
実は僕が2024年10月に長野・飯綱町に立ち上げたお店「パカーンコーヒースタンド」の看板もKAZUさんにお願いしたものです。
色味は「田舎町の風景に馴染むようにしたい!」という僕のリクエストを汲んで、KAZUさんが塗料を混ぜ合わせてオリジナルに調合してくれたもの。落ち着きのある渋いトーンでまとめてくれて、めちゃめちゃ気に入ってます。
お店づくりって中身にこだわりがちだけど、実は看板が一番大事なんじゃないか?というのは、全国を取材で渡り歩いてきて思うことのひとつ。いい看板のお店はいいサービスを提供するお店が多いんですよね。
「パカーンコーヒースタンド」もこのすばらしい看板に見合ったいいお店にするぞー! 唯一無二の看板をつくってくれたKAZUさんには大感謝です!!!
それにしてもKAZUさんは、どうしてデジタル技術全盛の時代にフリーハンドで文字やグラフィックを描くサインライターというアナログな仕事をしようと思ったのでしょうか。仕事を終えたばかりのKAZUさんとお茶を飲みながらあれこれとお話をしてみました。
綱島一裕
KAZUSIGNS 代表。サインライター。千葉県出身。 サインライティング修行のため渡英。イギリスの主にロンドンで師匠@Signwritingjackと共に数々の作品を街に残す。修行をしながらKAZUSIGNSとしての活動を開始。単独でロンドンに作品を残し、帰国後、千葉県八千代市にスタジオを構え、日本での活動を開始する。
弟子入り試験は「紅茶の淹れ方」。イギリス人師匠との出会い
「KAZUさん、この度はありがとうございました! すごくいい感じの看板に仕上げてくれて嬉しかったです。ほんとに全部手描きでやるんですねぇ」
「そうですね。カッティングシートを使ったら多分一瞬で終わると思うんですけど、僕は手描きにこだわってます。その方が温かみがあって好きなんです」
「KAZUさんはイギリスでこの技術を習得したんですよね。渡英されたのはいつ頃なんですか?」
「2019年です。ネットサーフィンしててたまたまその後の師匠になるジャックの作品に出会ったんです。それがめちゃくちゃ良くて、自分もその技術を身に付けたい!と思ってロンドンの彼にコンタクトして」
「今調べたんですけど、Jack Hollandsさん(@signwritingjack)という方ですね。まさにコロナが大流行してたときですけど、すぐに来ていいよ、という感じだったんですか?」
「タイミング的にちょうどロックダウンが明けるところだったんです。新しい現場も始まるから来たら?みたいなことをジャックは言ってくれて。親からは大反対を受けたんですけど」
「反対を押し切って! ビザはスムーズに取れたんですか?」
「それが幸運なことに抽選が当たったんですよね。英語も好きで勉強してきていたし、行けばどうにかなるだろうみたいな感じでロンドンに渡りました。それで彼に会ってその仕事を見させてもらったらもう、完全に虜になっちゃいまして」
KAZUさんの「師匠」であるサインライターのJack Hollandsさん
「すごい行動力だ! 職人的な世界だと思うんですけど、ジャックさんはすぐに教えてくれました?」
「いや、なんか最初にジャックの工房に行ったときは給湯室みたいなところで、なぜか『Tea(紅茶)』の淹れ方を教わったんですよ」
「Teaの淹れ方!」
「はい。それ以外特に技術的なことはレクチャーしてもらえなくて放置されてたんですけど、3時間後くらいに『KAZU、Teaをつくってきて』って言うんですね」
「え、完全にお茶汲み係じゃないですか?」
「はい。で、さっきのやり方を思い出してTeaをつくってジャックに渡したら、一口飲んでこう言ったんですよね」
「合格だよ」って。
「それが入社テストだったみたいです」
「えー! めちゃめちゃドラマチックな入社テスト!」
「イギリスはTea文化なので、僕がそれに順応できる人間かどうか見たかったんだと思います。そこからはジャックも色々なことを教えてくれるようになりましたね。ジャックが納得するTeaを淹れることができてよかった(笑)」
「本当ですね〜。現地ではどういう生活をしてたんですか?」
「ジャックに雇ってもらって、彼の現場で一緒に仕事をしてました。それ以外の時間はワークショップやイベントで学んだり、フリーハンドで棒線や曲線を描き続けるストローク練習をしたり。ジャックの家にも居候させてもらいながら、そういう生活を1年半くらい続けました」
「まさにサインライティング漬けの生活だ」
「住んでいたロンドン中心部には、各ストリートに一つはサインライティングがあって。自分にとっては街自体が美術館のようでしたね。ロンドンのシンボルである赤い2階建てバスに乗って、街を眺めてました。バスの2階はちょうど看板と同じ目線なんです」
「身の回りにすごい学びが溢れてますね! ジャックさんとはどういう仕事をしていたんですか?」
「いろんな仕事がありましたけど、特に印象的だったのはChelsea Football Clubのサインライティングですね。写真を見てもらったら分かると思うんですけどこれ、めちゃくちゃデカいんです」
「これを手描きで!? どのくらいで仕上げたんですか?」
「1週間くらいです。クレーンを使ってふたりで描き上げました。夏場で気温が40度くらいあって大変でしたけど、すごく楽しかったですね。イギリスではサインライターとしてフットボールの仕事に関われることって名誉なことなんですけど、ジャックは日本人の僕に手伝わせてくれたんです」
「おお、最高の思い出だ。ジャックさんってどんな人なんですか??」
「誠実な人ですね。めちゃくちゃ勉強家でいつも本を読んでます。性格はフランクで、僕にとっては頼れる兄貴みたいな感じ。何より心の広さがすごいです。僕みたいな日本人を受け入れて働かせてくれたことを本当に感謝しています」
“Dying Job”に魅せられて
「サインライターって日本ではなじみの薄い職業ですけど、イギリスではどういう風に認知されてるんですか?」
「日本で言うところの伝統工芸の職人さんに近いと思います。イギリスだとKingやQueenなどの皇族が自国の文化として認めているような仕事ですね。皇族がパレードに使う馬車にもサインライティングが用いられていたりするんですよ」
「おお、すごい! じゃあサインライティングってイギリスが発祥国なんですか?」
「そう言いたいところなんですけど、実はよく分からないんです。他のヨーロッパの国々にもある文化なので。ジャックにも聞いたんですけど、そのあたりはいろいろな説があるみたいですね」
「なるほど。ということは、ヨーロッパ全土で同時発生的に広まっていった文化なのかな」
「そうかもしれないですね。ただ、イギリスが文化的な源流であった可能性は高いです。というのも、サインライティングって金箔を使うのが特徴的ですよね?」
「ああ、確かに。文字に金の縁取りがされていたりしますね」
「これは『ギルティング』というもので、産業革命以降に流行った手法なんです。金というのは富の象徴。つまり、産業革命で世界の覇権を握った当時のイギリスに、たくさんの金が集まっていたというのは言えるんじゃないかなと」
「信憑性高そうですね。京都にも昔ながらの金箔屋さんって多いけど、経済の中心に金の文化が広まるっていうのはあるのかもしれないなあ」
「あとサインライティングがこの時代に広まったのは、産業革命によって識字率が向上したことも理由のひとつに考えられています。みんなが文字を読めるようになって、サインライティングの社会的な価値が高まっていったのかもしれません」
ギルディングに用いる金箔。これをガラスなどの表面に貼り付けて文字やグラフィックのレタリングを行う
「産業革命の影響力ってすごいなー。今はその始まりから200年以上経ってるわけですけど、サインライターとして仕事をしている人ってイギリスではどのくらいいるんですか?」
「正確な数は分からないですけど、めちゃくちゃ少ないです。『Dying Job(死にゆく仕事)』って言われてるくらいなので」
「Dying Job!! 確かにあらゆる看板やサインがデジタルプリントに置き換わってる時代だもんなー。サインライティングの本場でも状況は同じってことですか?」
「もちろんイギリスにもデジタルプリントは広まってますけど、昔のサインライターが描いた古い看板もたくさん残っていますね。イギリスは古いものを大切にする国柄で、サインライターという職業の歴史的な価値も広く認められているようなところがあります。
だからイギリスで職業を尋ねられて『サインライターをやっている』というと、『すごいじゃん!』と一目置かれることもあって。Dying Jobではあるけれど、イギリス社会では大切にされている仕事のひとつではありますね」
イギリスではサインライターのためのイベントも。2024年7月に開催された「Letterheads」にはKAZUさんも参加。サインライターが集まり、数日間かけてその場でサインを完成させ、最終日にはオークションに作品としてかけられる。そのお金は児童養護施設などへ寄付されたそう
食事と睡眠以外はすべてサインライティング
「ジャックさんの作品を知って、イギリスに渡る以前は何をされてたんですか? サインライティングの経験とかは?」
「まったくないですね。大学では福祉の勉強をしていて、卒業後は広告の制作会社で働いてました。普通にウェブサイトとかをつくってましたね」
「え〜!? かなりぶっ飛んだ転身じゃないですか」
「そうかもしれないですね。ただ、字は昔から好きだったんです。実は祖父母が千葉県の書星会で賞を取るような人で、生活の中に書が身近にありました。母の字を見るのも好きで、母が申込書に住所や名前を書くのが面白くてずっとそれを眺めているような子ども時代で」
「書のサラブレッド!? どういうところが面白いなーと思っていたんですか?」
「文字に人それぞれの個性が現れるところが面白かったんでしょうね。一つひとつの文字のバランスの取り方とか人によって全然違いますし、性格もすごく現れるなと」
「性格……。僕、昔から『女偏(おんなへん)』を書くのがめっちゃ苦手だったんですけどあれはなんで?」
「いや、わからないです(笑)。でも、そういう書いてる人の苦手さが滲み出ちゃってる字もいいですよね。僕は昔から字のうまい下手ってよくわからなくて」
「確かに、全部『味』と言えなくもないですからね」
「ただ、仕事としては何でもありっていうわけにもいかないので、自分なりに色々な書体やレイアウトを勉強して引き出しを増やすようにしています。決まったデザインを落とし込むこともありますが、まったくオリジナルなものを僕から提案させてもらうこともあるので。まだまだ修行が足りないところもあるんですけど」
KAZUさんのノート。日々いろんな書体を描いて研究している。ちなみにKAZUさんは、ロンドンにあるサインを見れば誰が書いたかわかるか、予想できるほどだそう
「いやいや、フリーハンドでここまで描けたら相当すごいですよ。それなりに描けるようになるまでにはどのくらいの練習が必要なんですか?」
「個人差はあると思いますけど、イギリス時代の僕はジャックとの仕事以外でも毎日5〜6時間は練習してました。食事と睡眠以外の時間はほとんどサインライティングですね。好きでやってたんですけど、狂ってたかもしれない(笑)」
「狂った“書のサラブレッド”だ(笑)」
「多分、今サインライターが少ないのって、こういう地道な練習に耐えられなくなっちゃう人が多いからだと思うんです。僕は字が好きだし練習を楽しめたから、今こうしてサインライターとして仕事をするところにまで来れたのかもしれません」
「才能もあるけど、めちゃめちゃ努力もしてきているんですね」
「まだまだ全然足りてないです。イギリスではジャックのほかに凄腕のサインライターに何人も出会ったんですけど、その人達ですら日々学び続けていました。一生学びが終わらない奥深い仕事だと思ってます」
看板が変われば、街も社会も変わるはず
「サインライターって社会的には『Dying Job』であり、かなり珍しい仕事ですよね。特に日本ではまだ文化的な理解も薄い。それで生計を立てることをどう考えているのかもぜひ聞いてみたいです」
「確かに難しいことですね」
「要は今の時代、デジタルでクオリティの高いものが安くスピーディに作れちゃう。でもサインライティングってその世界線とは違うアナログな価値観を提示しているもの。そこにどうやって値付けをするか。初期段階の面白さと難しさが両方あるような気がするんです」
「そうですね。世の中にサインライティングを広げたいという思いはあるんですけど、あまり安売りをするとサインライティング自体の価値を下げることにもなると思っていて、お金に関するやりとりは正直いつも悩ましいです。ただ、柿次郎さんの場合は異常にスムーズでしたけど(笑)」
「僕はKAZUさんに頼もうって決めていたからですね。ものすごい努力と才能の人だっていうのは作品を見てすぐに分かりましたし、KAZUさんが『この値段で』って言ったらそれはそのまま受け入れようと初めから思ってました。もちろん予算はありますけど、その範囲内だったらいくらでもと」
パカーンコーヒースタンドでは店先の看板以外にも、店内用のミニ看板やトイレなどのサインを担当。その場の会話からその場でデザインして施工する、師匠のジャック譲りのスタイルで書いていったそう
「たぶん、柿次郎さんは“文脈にお金を使える人”なんだと思います。これまでの歩みやこれからの関係性など、見えないストーリーのようなものに想像力を働かせているんだろうなと。それって結構イギリス人の思考に似ている気がします」
「日本人はそのあたり、苦手な人が多いかもしれないですね。そういう気質が街中の看板のセンスにも現れてる気がします。例えば新宿とかもうグッチャグチャじゃないですか? それが面白いと言えばそうかもしれないけど、ちょっとカオス過ぎるなとは思っていて」
「日本は移り変わりが激しいですよね」
「都市部は特にそうですね。地域の文脈や歴史を無視した消費型のデザインがあふれていて、それがスクラップ&ビルドを繰り返している。そういう刹那的なあり方で、いい美意識って育つんだろうか?というのはずっと疑問で」
「僕はイギリスが好きだから贔屓目で見てしまいますけど、イギリスは古い建物が街中にたくさん残っていて、それがすごく情緒があっていいんですよね。本当に絵本の世界に入り込んだような街並みなんですよ。地震がないっていうのもあると思うんですけど、ずっと変わらない景色なんでしょうね。それがすごくかっこいいなって思っちゃうんです」
「僕は日本が好きですけど、街で見かけるオンデマンド印刷のツルツルな看板は国策で禁止した方がいいと思ってます(笑)。安くて便利かもしれないけど、ああいう量産型の看板を増やすと街の個性が死んでしまうのでは!!??と」
「めっちゃ怒ってる(笑)。でもサインライティングみたいなハンドメイドの個性的な看板が街の至る所で見られた方が、風景としてはやっぱり楽しいですよね」
「絶対そうです。看板が変わればお店も変わるし、街も人も社会も変わる。看板っていろんな変化の入口になるものだと思います」
「そうですよね。僕は全国どこでも行くので、気軽に相談してもらえたら嬉しいです」
「ジャックさんのことも誰か呼んでくれないかな。日本でも看板描いて欲しい〜」
「それはいいですね! 僕の夢はいつかジャックと一緒に日本でも仕事をすることなんです。日本好きの彼なんで、きっと来たらすごく楽しめると思う。
彼が教えてくれたイギリスの文化と僕が生まれ育った日本の文化がひとつにつながるような仕事ができたら最高ですね。その日が来るまで、僕は日本でしっかりとこの腕を磨いていきます」
KAZUさんに看板をお願いしたいと思った方は、HPから連絡を。KAZUさん、ぜひたくさん看板を描いて日本の街の景色を変えてください!
☆KAZUSIGNS HP
https://www.kazusigns.com/
構成:根岸達朗
撮影:小林直博
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この記事を書いたライター
株式会社Huuuu代表。8年間に及ぶジモコロ編集長務めを果たして、自然大好きライター編集者に転向。長野の山奥(信濃町)で農家資格をGETし、好奇心の赴くままに苗とタネを植えている。