NHachiya

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NHachiya
@Khachaturian
都内に勤務する勤労者。 社会に向けた狭いのぞき窓的に利用。RPメイン。呟きは「全方位素人」の素人考えによる感想みたいなもの。
神奈川県川崎市Joined March 2010

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ある産業医が「メンタルの病気は誰でもなる。仕事を離れて自分の自由になる時間を持つことが大事。ただし家族と一緒の時間は自由になる時間ではない」と言っていて、納得。(笑)
「31日までに、県内外から100件近い電話やメールが殺到。「感染した人間はクビにしたのか」「従業員の指導がなってない」といった本人や会社を攻撃する内容が多かった。」 日本人の「民度」がどうとか言っていた政治家はどう受け止めているのかねぇ。
テレビをつけたらたまたまテレ朝で、そのまま何となく珍しく情報バラエティー番組を観ていたら、元首相銃撃事件のことを伝えてある中で、街の声を拾っていたが、その中で、比較的若い女性が「リンカーンの暗殺を思い出した」と言っていて、J.F.ケネディじゃないのかと驚いた。
某テレビ局から届いた「番組で使いたいから、商品を無償で送れ」という内容のメールについて、断ったら常識離れの返信メールがきた… iinee-news.com/post-12497/ / テレビ局関係者もいい加減、心しないと今後、ますますこういう内幕暴露が当たり前になっていくだろう。
ツイッター上での「大手新聞社は「どこも報じない」とするツイート」は無視でいいと思っている。以前はたまに「報じられている」と反応していたが、意味がないと思えたのでやめた。
そういえば先ほど(多分)報道ステーションを観ていたら、安倍総裁に対しては、麻生さんが「来年の参院選までは自衛隊、外交、憲法には手を付けるな」と助言したと伝えていた。参院選を考えればまともなアドバイスだが、裏を返せば、参院選に勝てば満を持してこれらをやるということだ。
元受給者が語る生活保護から抜け出せない5つの理由 togetter.com/li/313161 / 自分が不慮の事故や病気でやむを得ずそうなった場合を可能な限りで想像しながら熟読した。これほどに知的な人による実体験の告白は貴重だ。
「誰かに腹を立てることは、その人の支配を受けることなのです。」  まさにその通りだと思っている。
それでもまだルトニウムが恐いへ。とても平易で理解しやすい、ある科学者による説明。/「震災支援:プルトニウムが怖い方へ」 http://bit.ly/hbnOp0 (意外と近くにいらっしゃる)医学者、粂和彦 ( )さんのブログ(3月28日)
すばらしいまとめ。最低限、ここに記載されている知識ぐらい押さえておかないと、気弱な私などはついつい原発や節電についての発言をためらってしまう。「エネルギー需給の今から将来を考える」(東京大学政策ビジョン研究センター)2011.05.11 http://p.tl/yCzs
文学部が自らその存続の必要性を訴えなければいけないようになるなら、もうそれは社会の側の論理に乗っかって政治の中に降り立ってしまっているのだろうから、そこから事態を変えるのは難しいのではないかと思ってしまう。そういう心配をしなければいけない環境下で文学を研究するのは難しいだろう。
既にRTされているが、「海外メディア万歳」の方にもぜひご一読いただきたいお勧めの記事。/ 「“コーンウォールと香港の放射線量は原発事故の恐怖に包まれる東京を上回っている” 米ブルームバーグ記事全訳 4月1日付」 http://bit.ly/i86Db3
これもそうだが、名言がいっぱいあったなぁ。 RT 今はないアカウント: 大学の先生方が24時間態勢で呟き続けているのを見ると、「ツイッターはインテリのパチンコ」という言葉が頭をよぎる。
神戸製鋼所といいスバルといい、数十年前からやっていたとなると、リストラや経営合理化ばやりになってからではなく、もともと高度成長期から企業の現場の品質管理はずさんだったということになるのか。 最近もてはやされていた「ものづくり」という日本の数少ないプライドの源泉も危うくなるのか。
昔、宮島に行った時、シカがうろうろする海岸沿いのベンチに若いカップルが穴子飯の折詰を持ってやってきて座ったのだが、すぐにシカが寄って来たので男性が、シカから遠ざけようと折詰を頭上に掲げた瞬間、それをトンビが奪って行った。 一部始終を見ていてその連携(?)の見事さに感心した。
バブル期以降の日本の社会インフラの豊かさの象徴は公共のトイレのきれいさだと思っている。
ロジを考えないことは、その組織の個人への過大な「頑張り」に期待することと裏腹の関係なんだろうな。だから私は(理不尽な状況下でそれを強いようとする)「頑張れ」という言葉が嫌いだし、頑張らない生き方を目指してる。マネージメントの欠損を個人が埋めるのは組織の資源の無駄遣い。
生きることが大事だから抵抗をやめて降伏しろって、誇りを踏み躙られ、自由と自尊心を奪われながら生きろというのは、言われた当人たちにとっては聞きたくもない言葉だろう。大日本帝国ななぞらえていたが、こちらから仕掛けた戦争と一緒にしていたのにも呆れた。
誰が革命を肯定的に捉えているのか知らないが、歴史上あるいは現在の他国での革命(=内乱)の様子をリアルに思い浮かべてみればよい。自国民が一人亡くなっただけでも多くの人に衝撃が走るほどに人命を重く見ることのできるわが国で、その惨さに耐えられる人はそう多くない。その感覚を大事にすべき。
生活保護費の削減自体が目的だとしたら、なぜごく一部の不正受給の人たちにことさらに焦点を当てて正当な受給者への憎悪•嫌悪を煽り、ただでさえ肩身が狭くて反論し辛いそれらの人たちにさらに窮屈な思いを強いたのだろうか。水準の適正さの議論以前の、そういう世論形成手法が恐ろしい。
今、NHKで、ワタミに就職して2カ月で自殺してしまった女性のことを採り上げている。1カ月の残業は100時間を超え、業務上では、仕事の手順を丁寧にノートにつけて必死で覚えようと頑張っていたのに…。入社当日のノートにはこう書かれていた。「とても熱い人たちに出会った! 素晴らしい!」
子供の頃、留守番中に体温計を割ってしまい、まずい、怖い父に怒られると体温計をケースに戻し、飛び散った水銀を必死でかき集めるもどうにもならず。 帰宅してそれを見た父親の第一声が「これが表面張力やで。」だった。
しかし、ツイッターで、身の丈を超えて特に政治や社会問題に果敢にも発言している人には、「自分以外の一般人はバカだ」と思い込んでいる人が目立つ気がする。自信を持って何かを断じ、あまつさえ他人(できれば著名人?)をバッサリ切り捨てられる「蛮勇」が、一体何に立脚しているのかは興味深い。
RT 鍵: 原発…止める止めないよりも非常電源等の設備がちゃんと稼働するかどうかを確認する事の方が遥かに重要だと思いますがね。どの途、停止しようがしまいが原子炉は冷却し続けないといけないようなので。尚、地震そのもので原子炉が壊れる事態になったら、止める/止めないのレベルじゃない。
今、テレビを付けて映ったNHKを見ていたら、聖火のトーチは、取り壊された復興住宅の廃材(集められたアルミサッシの窓枠)を再利用して作ったという話が語られていて、普通ならこういう感動話が他にもそこそこあったんだろうなぁと思った。
「メディアを疑うこと」を疑うこと 北田暁大(Webマガジンen) http://bit.ly/mTRbQh 疑うことに自足するメディア・リテラシー論は、さまざまな狡知でもって罠をしかけてくる権力に足元をすくわれかねない。/ 旧態依然としたメディア批判への疑問を呈しているコラム。
せっかく一度役所の使う表記が西暦になりそうになっていたのにいつのまにかまた元号になっていて、不便極まりない。日常生活では許される限り西暦で表記するようにしているが、相手が元号で書いてきた書類に西暦で日付などを記入するのは少しためらわれて、その心理的葛藤が生じていることが煩わしい。
そもそも私は、どんなにエラい学者先生であっても、その弟子たちが師に心酔し、その教えを無批判に受容し、かつ、師がその状態を容認してよしとしているとき、そこには学問はなく、(カルト的な)宗教が発生していると見なす。学問上の師弟関係は、本来、そのようなものであってはならないはずだから。
今回の厚労省の長年の不正は、政治による統計法の一部改正を機に、組織の枠を超えて(統計に最も強い)総務省が事務局となった統計委員会(一部改正で機能強化された)が省庁の枠を超えて各府省庁の統計を精査検討している中で発覚したと聞く。こうやって地道に少しずつ変えていくしかないのか…。
以前にもつぶやいたことがあるが、10年以上前に、ある精神科医の講演を聴いた際、「心の病になりやすいのは学校の先生と福祉現場の人。どちらも相手が人間なので仕事の際限がないことと、個人で働くから周囲との助け合いの態勢が作りにくいから」と言われたことはとても強く印象に残っている。
今朝はフジもテレ朝も原子力の発電コストを(テレ朝は水力、火力と比較しながら)安いか高いかを紹介していた。その中で、テレ朝では立命館大の大島教授、河野太郎氏のVTRを紹介したほか、リポーターは「言われるままに安いと信じてきたわれわれマスコミにも責任がある」と述べていた。
今回のトラブルについて、どんどん戦線が拡大して、各地で各々がやり合っていてグダグダが拡大している様子、「応仁の乱」感があるとのツイートを見て思わず笑ってしまった。
今の若者は自ら自由を捨ててなどいない。私自身まさに86年新卒の年次だが、「入社式はこの服装が有利」とされていればやはり靡いていたと思う。今の若者を安直に批判するのではなく、誰がどのように若者を(巧妙に)抑圧し・画一化させたかを探るべきではないのかな。日本停滞の原因にするとは笑止。
「選択と集中」などというのは本来的に必要な冗長が許されなくなった余裕のなさの中で編み出された、衰退を前向きに見せるための止むに止まれぬスローガンみたいなものだろう。