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ぶっちゃけ、読書家は人の文章を読んだり話を聞くと、その人の教養レベルが一瞬で分かるんだわ(と、ワイの友だちが言うとった)。 わずか数センテンスであってさえ、その人の全体の知的水準をおおむね察することができるという、冷厳な現実。 その上でお互いが認め合う仲になると、互いにこの程度の水準の知識や教養や経験が共有されていると分かるから、そこを前提としての、ガチンコ殴り合いトークができるようになる。要するに気を遣わなくても済むようになるんだわ。 そこでは、わざわざ具象の世界に降りていったり、あまり使われない諺や故事成語の説明、多様な分野におけるテクニカルタームの解説なんかも一切不要になり、メタファーの含意も瞬時に理解できる上に、高度な諧謔も安心して口にできるから、リラックスできる安心感の中で本気でバトれる、めちゃエキサイティングな会話を楽しめるんよ。 一定量(幼少の頃から合算して最低でも数千冊以上)の読書量、ならびに同じ背景を共有している友だち、という2つの要素を揃えなければ、こんな楽しい知的遊戯の土俵に乗れないけど、この遊びを楽しめない時点で人生の愉悦の結構な部分を捨てているのではないかと思ってみたりもする。 ちなみに何でこんな話をしているかというと、ワイの垢のフォロワー分析を見てみると、2〜30代の比率が想像以上に多かったのよ。 であればまだまだ本を読む時間は残されてるわけで、すでにガチンコトークバトルの喜びを知っている人はいいけど、まだの人はこれから積み重ねていけば間に合うので、読書のススメポストとして、今回の文章を投稿しておこうと思ったの。 大量の文章を読んでいるうちに、頭の中が整理され、さらには精緻な認知体系の構造が生まれ、やがて文章を読んだり、書いたりするだけで、幸せを感じられるようになってくる。 そこまで行けば、ほとんど金もかからんし、居ながらにして、満たされた気持ちになれるんやから、やらない手はないと思っているのよね。 『失われた時を求めて』のプルーストも、 「ほんとうの発見とは、新しい土地を発見することではなく、新しい目で見ることだ」 と言ってたよ。旅行に行かなくてすら、旅ができるようになる。エコ過ぎるで。 その副産物として、なぜか金や自由がついてくるんだわ。普通の人の見えない世界が見えるようになるから当然といえば当然なんやけどな。 ただ正直、個人的には特に金は主産物として目指すもんではない、くらいに思ってる。 こんな知的生活を死ぬまで、心置きなく楽しむためには一定のカネがいる、ただそれだけの話よ。 一定以上の金は有形無形の装飾物に使うくらいしか使い道がないし、人間どうせ死ぬんだわ。ならば言葉と共に生き、遊ぶのも一興じゃないかと思うこともある。
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