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 さて・・・・前回の卍会なるものですが・・・・

そこには数々のビッグネーム様が登場してきました。


そこで、一番私が言いたい事がとても現れていた方がいましたので彼の概要に迫りたいと思います。


なおこの話はウィキペディアをそのまま引用し、難しい部分には私が青で注釈をつけています。


それでは行きましょうヽ(*´∀`)ノ目からウロコの世界へようこそ


【中丸薫さんは知る人ぞ知る存在】

陰謀論に興味が有る方なら彼女の名前は知らない人は居ないと思います。

彼女って何でしたっけ?そうです裏天皇のお子様との設定でした。

今回は、お父さんの堀川 辰吉郎さんの素顔に迫ります

ウィキペディアより参照

堀川 辰吉郎(ほりかわ たつきちろう:1891年 9月3日 - 1966年12月19日)は「昭和天一坊」と呼ばれた詐欺師。

※えっ(;゚Д゚)!詐欺師?なんじゃそりゃ?詐欺師が裏天皇?

大アジア主義者と称する怪シナ浪人 

※シナ浪人とは?大陸浪人の事

大陸浪人(たいりくろうにん)とは、明治初期から第二次世界大戦終結までの時期に中国大陸やユーラシア大陸・シベリア・東南アジアを中心とした地域に居住・放浪して各種の政治活動を行っていた日本人の一群を指す。内田 良平氏も大陸浪人の一人。


世界救世教 元最高顧問 

※後ほど解説しますが、この顧問になる手腕がねぇ凄いというか何というか目が点になります。


善隣会最高顧問で、出口王仁三郎 の黒幕とも呼ばれた 

※王 仁三郎の黒幕と言うことは・・・・世界統一の立役者ですね


松本清張 『深層海流』に登場する、M資金をめぐるフィクサー 「桜尾良明」 のモデルと目されている。

※ここに何気に出てくるM資金とは何か見ていきましょう。

M資金(エムしきん)とは、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領下の日本で接収した財産などを基に、現在も極秘に運用されていると噂される秘密資金である。

Mは、GHQ経済科学局の第2代局長であったウィリアム・フレデリック・マーカット(William Frederick Murcutt)少佐(後に少将)の頭文字とするのが定説となっている。その他にマッカーサー、MSA協定、フリーメーソン (Freemason) などの頭文字とする説などがある


このM資金ですが、世界には300人委員会というのが、有ってその決済権を握っているのが、とある家系ですが、それが裏天皇なのでそういう事は有ると思っています。

戦利品というのは良いとか悪いとかという前に侵略等をしたら普通に略奪したりしますからね・・・。まぁ時代の遺物とかそんな感じでしょうか?


【頭山 満氏との繋がり】

当然ですが、彼らの仲間は皆つながっています。

その事は各自が自分で調べてみてください。それがそのまま今の日本の姿ですから。


以下はウィペディアより参照

明治天皇 の落とし子」、「井上馨 の手で、臣籍降下 され、頭山満玄洋社 に入れられる」と伝える資料もある。

【凄いΣ(゚д゚lll)子供時代】

 福岡の鉱山王井上重蒼の妾腹の子として生まれ学習院に入学したが17歳の時同級生を殴打して退学させられる


郷里で妻をめとったが落ちつかず」、「25歳の時満洲に渡り上海、支那を数年来放浪して内地へ戻り活動の弁士等をやつてゐる内に写真の撮影を覚え」、やがて写真撮影の仕事を通じて児玉秀雄(政治家の事です) などの名士たちに取り入って20万~30万円の資産を蓄え、これを資金として詐欺を繰り返し、西園寺公望 の落胤と称して帝国ホテル に泊まりこみ豪遊しているところを警視庁に連行された、とする新聞報道もある。


この報道によると、堀川は齋藤実首相や小山松吉法相など名士の名を利用して内地や朝鮮半島や満州で詐欺を働いていた「昭和の天一坊」である、という 

~以上~


その様な彼ですが、自分ではどのように自分を定義しているのか見ていきましょう。

なおウィキペディアによりますと・・・・

以下は自称などに基づく矛盾の多い情報を含んでおり、信頼性に留保が必要との事ですが。



【堀川氏自身が語る自分の来歴】

京都堀川(旧皇居 の所在地)の生まれと自称。戸籍上は1891年 生まれとされるが、当人は1884年 生まれと自称しており、1879年 8月31日大正天皇 と1分違いで生まれたとの設定も作られている 


宮中に仕えていた母から「お前は高貴な生まれだから自分を大事にするように」と口癖のように言われていた、と堀川は語る。

生後まもなく福岡 の堀川家に預けられ、頭山満井上馨の庇護を受けて育ったと伝える資料もある 

生れて間もなく九州へやられました。西郷南洲のことをうろ覚えに記憶しております」と堀川は回想しているが、西郷隆盛1877年に亡くなっているので堀川は会えるはずがないと週刊誌記者から指摘されている。

※嘘を付くと必然的に矛盾が生じてしまうものです


【本人も語る凄すぎる小学生時代

校長への暴行や動物虐待 、さらにはヤクザ を相手取っての放火 事件など腕白が過ぎて福岡の小学校 を大名校、住吉、春吉、警固、大浜、堅粕とたらい回しにされ

※何かこの時点で頭がクラクラしてくるのは、たかちほだけではあるまいW


堅粕では松本治一郎と出会い、

※松本 治一郎氏は日本の政治家、実業家。部落解放運動を草創期から指導し、部落解放同盟からは「部落解放の父」と呼ばれる。堂々たる顎髭の風貌から「オヤジ」と呼ばれ親しまれた。

水平社が有名。

この部落解放運動って一見良さげですが、驚くような秘密が隠されていました。たかちほの、今後のレポをご覧下さい。

生涯変わらぬ盟友関係にあったと自称するが 、松本治一郎は豊平尋常小学校を経て住吉高等小学校に学んでおり、堅粕小学校に在籍していたことはない。

※何だかホラ吹き男爵みたいな人ですね(;・ω・)


やがて10歳のころに東京へ連れて来られ 学習院中等科 に入れられたが、ここでも

女学生の前での公然猥褻事件

※英雄色を好むってかW?

皇族 への暴行 傷害事件

※皇族をを殴るのをやめて下さい。可哀想です

など問題行動を繰り返して放校処分を受けたと自称 


堀川によると、学習院中等科入学時と放校時の学習院院長は乃木希典だったというが、乃木希典が学習院院長を務めたのは1907年から1912年のことであり 、堀川が1891年生まれを名乗って入学したとすると計算が合わない。

1884年生まれ、1879年生まれを名乗って入学したとすると、なおさら計算が合わない。

※明らかに嘘をついているとしか思えませんね


折あたかも、頭山を頼って日本に亡命していた孫文が帰国の途につこうとしていた際であった。

堀川は日本の学校にいられなくなったため、13歳のある日 、頭山の依頼で孫文に托されて中国 に渡ることとなったという。

一方、森川哲郎の筆記による「不思議な人物」では「明治39年(1906年)、私の15歳の春だった」と述べており 、『週刊現代』1959年9月27日号における発言と矛盾している。

以後、1912年 まで孫文と生死を共にして辛亥革命の成功に尽力した。

※前に出てきた大谷さん覚えてますか?彼もこの革命に明らかに関わっていますよね?違う国なのにどうして?って普通に思いませんかね?


このとき孫文が周囲に対して堀川を「日本の若宮」と紹介し、「日本が我らに若宮を托したことは、わが革命軍に対する日本の賛意の証」と主張して政治宣伝に利用したことが、堀川をして明治天皇 の落胤とする風説の根拠の一つとなっている。ただし、孫文の評伝に堀川辰吉郎の名前は確認できない 

※読んできて気が付いた事がありませんでしょうか?これだけ出自も良くわからず、そしてしている行動も・・・・・

一般なら許されないはず・・・・。しかし例のごとく大出世をします。


その後、奉天世界紅卍字会の会長に推され、日本の軍閥と争いつつ日中平和に貢献。帰国後、1935年大木遠吉 や鈴木三郎(関東都督府外事総長・久邇宮御用掛。鈴木貫太郎三男)のあとを受けて大日本国粋会 第3代総裁に就任。

※凄いですねぇ。大出世です!

反軍閥運動のため東條 内閣と対立し、ふたたび中国に渡った。

敗戦と共に帰国。国粋会総裁という経歴が災いして戦犯 容疑でGHQに逮捕 されたが無罪放免となった、と中丸薫は伝えている 

~以上~



彼の戦前の動きも破天荒すぎて驚きますが、戦後の動きも

『驚きの玉手箱』です。

興味深いので是非次回もご覧下さいませ。


そしてこれが、たかちほが言っている雛形

逮捕されても元に戻れるどころか大出世をする法則をご覧下さい。


彼らの周辺の人物全てに共通項なんです


続きは→その5



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