老人は当たり屋
道を歩いていたら、女子小学生の自転車が歩行者を轢き逃げした事故とか、そんな立て看板を見つけた。逃げた女子小学生について、目撃者は警察にご連絡を、というものだった。轢かれた歩行者がどんな属性なのか書かれてないのは不思議だが、たぶん老人だろう。警察が看板を出すからには大怪我だと思われる。損害賠償目当てで血眼な様子がうかがえるが、女子小学生の自転車にぶつけられて大怪我するのもかなり難易度が高い。国民皆保険という悪夢において、無定見な延命が蔓延しており、本来なら死んでいるはずの人間が、生きる屍として徘徊している。子どもが遊んでいて、死にかけの老人に怪我をさせて裁判というのは、わりとよく見かける。なぜ無理して延命するのか、たぶん日本特有の現象だが、国民皆保険に幕引きする「物語」を欠いているのだろう。「物語」であるからには感動が必要だが、老人の延命を打ち切るというサバサバした判断が感動を呼ぶことはなさそうだ。「物語」が無理なら「理屈」ということになるが、理屈だと人は動かないし、腰が重い。一昔前なら親の介護を自分でしていたから、「ようやく死んでくれた」という現実もあったが、今は他人任せであるから延命に歯止めが効かない。介護保険という制度も悪い。ツイッターで見かけた意見だが、保険とは、確率が低いリスクに備えるためのものであり、確率が高いリスクに備えるものではない。介護のような確率が高いリスクに備えるための保険は、実は保険ではないし、リスクの分散にならない。負担額をそのまま支払っているだけである。ともかくこれだけ老人が多いと、小学生が加害者になる危険性もあるので、これこそ保険加入が必要だと思われる。普通であれば、小学生がぶつかってきて大怪我するのは本当に難しいと思うので、加害者になる可能性は無視して良かったが、これからはそういうわけにはいかない。死にかけの怪しい老人が路上にあふれる現代だからこそ、リスクを分散する保険の役割である。