不屈の、しかしどこまでも優しい男だった。
筆者は震災直後、彼に産経新聞紙上での連載を依頼した。被災地の内部からだれかが書くことが必要では、と説得した。
医師として全力で働くべきではないかと悩みながらも、彼は連載を引き受けてくれた。
約1年続いた連載は大震災の翌年に単行本化され、サントリー学芸賞を受賞した。彼は被災地を象徴する医師となり、多忙な日が続いた。
◆早い死
平成12年、肝細胞がんのため39歳で彼は亡くなった。3人目の子供が生まれた直後だった。
病が末期の状態で見つかっても彼は極力、入院を避け、身ごもった妻と小さい子供のもとにたたずもうとした。被災者に対して、そうしてきたように。
陣痛が始まった妻を産院に送ると、自らもタクシーで闘病していた病院に向かった。赤ちゃんは無事に生まれた。
翌日、妻は意識をなくした夫の手を取り、赤ちゃんの顔をなでさせた。次の日の早朝、彼は生涯を終えた。
死別という傷つきを抱えることになる家族の傍らに、彼はできる限り立とうとした。そうすることで傷を癒やすきっかけを残そうとしたのだと、筆者は思っている。
安克昌(あん・かつまさ)さんという。震災時、神戸大学医学部精神神経科の助手だった。本の題名は『心の傷を癒すということ』という。
本が文庫化される際、解説を添えさせていただいた。この仕事について「生涯の誇りであるとともに生涯の咎(とが)めである」と書いた。今もその気持ちに変わりはない。