山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

今の私ならもっと上手く答えられる

この文章に情報はほぼなく、他人が読んで面白いものでもないのだが、糸柳という知り合いがいた。彼は精神的な問題を抱えていた。高校を中退しラーメン屋(とんこつ?)で働きながらプログラマになった。

糸柳が清潔な布団に包まれて、静かな部屋で寝ているところを私は見たことがない。糸柳は爪切りを駆使して爪を切ることができるくらいには、まともな人間だ。しかし彼の周囲の人間の中には、爪切りを知らないんじゃないかと人に思わせるような、程度の低い人間もいた。程度の低い人間というものはうるさい。だから糸柳は常時うるさい場所にいて、ジャリまみれの床で仮眠を取るといった生活を送っていた……というのが私の糸柳像である。

2021年の夏の夜に自宅で酒を飲んでると、糸柳から今から会わないかと連絡があった。

ここ数年、私は他人と会話するコンテンツを持っていない。生活する以外の時間のほとんど全部を、国立国会図書館デジタルコレクションにある資料を読むことに使っているからだ。だから糸柳とも、話すことがない。ただし糸柳には金がなく……あるいは金はあるけど優先順位が狂っているからか……布団を持ってない。糸柳のズボンや服は汚い。布団を使わず、汚い床や、コンクリート、押入の中などで寝るため、服が汚れるのだろうと私は確信していた。服が汚くても問題はないが、そんな生活を続けていたら、長生きは出来ない。だから余ってる夏用のナンガのシュラフをあげることにした。

これはもともと布団として使っていたのだが、チャックとかが邪魔くさくなって使わなくなったものである。私が邪魔くさいものを人にあげるというのはどうかと思ったが、糸柳は布団を軽んじて生きており、布団の素晴しさを知らない可能性がある。私が布団として使っていたシュラフを使うことで布団に開眼し、普通の布団を買うかもしれない。私が邪魔くさいと思ったシュラフには、そのような期待と希望が託されていた。会ったところで特に話すことはないが、ビール飲みながらヘーとかフーンと相槌をうっていれば時間はたつのだから、布団を渡せばなんでもいいだろうという判断であった。

一応は書いておくと、私は普通の人にこういったことはしない。しかし糸柳がゴミ捨て場に置いてあった鍋だかマットレスだか忘れたが、なにか汚いものを持って帰るかどうか迷っていた記憶がある。それなら布団もありがたがって、持って帰るのではないかと考えた。書きながら不安になってきたのだが、私の考えている糸柳と、一般的に糸柳とされている人物は、同じ糸柳なのか。実は違う人間なのかもしれないが、とにかく私の考える糸柳はそういう人物であった。

夜の11時に京都駅裏のローソンに行くと、白髪で長髪になった糸柳がいた。私はすでに酒を飲んでいたが、ビール飲みながらヘーとかフーンみたいな相槌をうつために、ビールを4本くらい買った。狭いホテルの部屋で話した。用事は早く済ませたいので、布団のかわりになるシュラフをあげようとしたら、俺は冒険家だから6枚くらいもっと良いのがあるからいらないとのことであった。私にとってシュラフは布団である。私は清潔な布団に包まれて、静かな部屋で寝る話をしているのだが、糸柳は冒険がどうのこうのと繰り返している。安眠と冒険はかけ離れたものなのに混ぜて話しているので、こいつは頭がおかしいんだろうと思った。

糸柳は色々と話していた。途中で面倒くさくなりちゃんと聞いてないので詳細は不明だが、かなり難しい山に登っていたらしい。そんなことよりも服が綺麗になっていて、布団を買ったのかなと思ったが、今はCT?(CTO? に似てた。よく分からなかったが、興味がないので質問しなかった)をしていて、身形を綺麗にすることが求められているとのことであった。一般論だが汚い格好をしていた人間が、スーツなどを着ると面倒くさくて不快な気分になる。糸柳はそんな不快と向き合い、すごい苦労してるんだなと思ったが、日常的に面倒くさいことしているのに、さらに山に行って面倒くさいことをするのは正気の沙汰ではない。仕事も仕事以外も面倒くさいことをしてたら疲れて寿命が減ってしまう。なので CT? してるんなら山に登る必要なくないかみたいな話をしたものの、話は通じていなかった。馬鹿は話しが通じなくて困るが、必要なくても本人がしたいと思うのであればしたら良いかと思い直し CT になったんなら良かったねぇみたいなことを繰り返しながらビールを飲んだ。私は他人が出世した話が好きなので、穏やかな顔で話を聞いていたと思う。

お前は今なにをしているのかと聞かれたので、戦前の無銭旅行をする苦学生について調べているが、今のところどうやら実在はしたらしいくらいのことしか分からない。だから自分でも、なにを調べているのか分からないみたいな話をした。糸柳によると先鋭化していくとどんどん意味が分かる人が少なくなり、やってる本人の人間の見た目が若くなっていくらしい。見た目の若さは遺伝子によるものなんじゃないかと思ったが、私は遺伝子に詳しいわけでもない。だから、そういうものなのかなと、思っておいた。見た目の話題から、髪の毛の話になった。私は昔から髪の毛が減ったり増えたりを繰り返している。糸柳も最近は髪が薄くなっていて、治療しているそうだ。効く薬について教えてもらったが、もちろん話はきちんと聞いてない。髪の毛ごときで病院に行くのは面倒くさいからだ。髪の毛を気にして病院に行く糸柳は、立派な男になったのだと思った。

ビールも飲み終わったので、私は帰ることにした。ホテルには布団があるため床で寝る可能性は低く安心できたが、ひとつ疑問が残っていた。私の糸柳のイメージは、汚い頃で止っている。しかし今は CT? だ。日常的に布団を使っている可能性が高い。それなら私が持っていった布団(シュラフ)も、必要ないと納得できるから聞いてみても良いかなと思ったが、その話題からまたシュラフがどうのこうのと言い出して、安眠と冒険を混ぜて話す異常者が誕生すると面倒くさいのでそのまま帰った。翌日にかき氷を食いにいかないかと誘われたが、わざわざクソ暑い日に外に出て、かき氷を食べるのは意味不明な上に面倒くさいので断わった。

昔から糸柳は変った所があって、長生きしない雰囲気があった。布団と冒険を混ぜて話していたのは異常者丸出しであったが、それ以外は正常で、私よりもずっと身形が整っており、CT になって収入も増えた。問題が解消した糸柳は立派な人間になり、死にそうな雰囲気も消えた。良かった良かったといった感想だったのだが、2022年の10月くらいに糸柳は亡くなってしまった。

糸柳と私に利害関係はない。興味の対象も違う。お互いになにしてるのかも知らない。すぐに話すことはなくなる。糸柳に限ったことではないのだが、基本的に私から人に連絡することもない。諸事情があって迷惑がかかる可能性があったので、糸柳について言及することも避けていた。それでも、二回か三回くらい、いきなり遊びに来たことがあった。彼がなにを考えてたのかは分からないが、自宅に来たときは、糸柳が靴下を洗ってるイメージが浮かばず苦悩した。最後に会った時は、ホテルだから助かった。そういった関係でしかない。悲しいことは悲しいが、遠いところで起きた出来事で、私の話ではない。死ぬと知っていたらかき氷を食べに行ったのかなと少し考えたが、面倒くさい上にかき氷は好きではないから行かなかったと思う。

それでも死んだと知って、強烈に思い出したことがあった。こういう話は糸柳が嫌がりそうなので書いたことはないと記憶しているが、死んだら嫌がるも糞もないので書くわけだが、いつのことかは忘れたが、体系的な文学の知識がないことにコンプレックスを持ってるというような話になったことがある。その時点での私は、このようなことを話した。青空文庫で1000作品くらい読む。これでたいていの人間よりは、文学作品を読んでいる状態になれる。楽だがどのような形の知識になるのかは、博打の要素がある。もう少し確実に身に付けたいなら、古書店で解説が充実している日本文学全集的なもの……できれば月報がついてるもの……を買って全部読む。こういう本の値段は安い。手元に置いておくことが大事で、暇な時に読んでたらいつか読み終るが、重くて持つと疲れるため読むのは遅くなる。これらの方法で体系的な知識になるのかといえば、そういうわけではないのだが、普通の人からすると体系的に学んだように見えるようになる……といったことを、もうちょっと雑に話した。そこそこの水準で実用的な内容だと思う。私は糸柳の話を概ね聞いてないが、糸柳も普通は私の話を聞いてない。しかしこの時は、糸柳がヘーみたいな顔をしていたのが印象的だった。

なんでこんなことを思い出したのかといえば、糸柳に話したように、戦前の苦学生が無銭旅行していた事実について調べ、まとめようとしているからだ。このエピソードにまつわる、無銭旅行をする苦学生に関することがふたつある。

ひとつは、たまたま私が、体系的な知識を理解してしまったことだ。私は私が困らなければいいといった考え方で学習している。基本的にこのような方法では、体系的な知識は身に付かない。私は自分が必要な自転車を、組むことができる。ただし強度計算などはできない。ギア比の計算くらいはできるが、それをすることはない。私の利用目的だと、感覚に決定しても問題ないからだ。このようなやり方では、100年たっても体系的な知識が身に付くことはない。

私は自転車と同じような態度で、昔のことを調べている。だから体系的な知識は身に付かないと自覚しており、それで問題ないという判断をしていた。ところが不思議なことに、得られてしまった。情報量が異常に多い場所に身を置いて、自分の欠落している知見を把握した上で、必要なものを学ぶということを長く繰り返すと、結果的にそうなるらしい。その他、必要ないと判断したものに関しては、絶対に学ばないといった覚悟なども必要となるが、多くの人にはよく分からない話だと思う。そしてこの話を長くすると、マジギレする人間が出てくるはずなのでもう止めるが、とにかく私は、私に必要な体系を得ることができた。だから今なら糸柳に、もう少し上手く答えることができるな、などと思ってしまう。しかし私が考えたいのは、戦前の無銭旅行をする苦学生たちだ。今はそういうことを考えたくない。

もうひとつ、戦前の正規の教育を受けていない人の中には、極々僅かながら、体系的な学問を修めたいと考える者がいた。糸柳も彼らと同じようなことを、たまには考えたのではないかと、私は思っている。彼らの中には憧れの学者に相談し、妙なことになってしまった人がいた。妙なことになった人が世に出てしまうと、大抵は犯罪者になる。社会の仕組みが、そうなっていたからだ。こういった人々と、無銭旅行をする苦学生とは微妙にズレがあるため、今回は扱う必要がない。しかし個人的には、色々と考えるところが多く、油断をすると糸柳に私が語ったことに意味はないが、ダメージもなかったはずだなどと考えてしまうのだが、こちらも戦前の苦学生とは無関係だ。

色々なことは思ったものの、私はなるべく引きずられないように調べ物を続けていた。2025年になり糸柳に言及する文章がいくつか書かれ、私はそれらを読んだ。彼は彼なりに弱くて貧しい人を助けようとしていたと知った。滅茶苦茶な行動で、一時的ながら職や地位や安心を得たということも知った。そして糸柳は、移動することが好きだった。これらの性質は、戦前の苦学生たちと、かなり似ている。ますます戦前の無銭旅行をする苦学生に、糸柳が混ざりそうで嫌だなと思った。

私は無銭旅行をする苦学生を調べる際に、裕福な学生の側に立つように心掛けていた。若い人間は基本的に頭が悪い。だから苦学生も裕福な学生も馬鹿である。これが正しい評価だ。しかし個人的な感覚から判断すると、苦学生の馬鹿さは好ましく思える。こういった話を長くすると確実にマジギレする人間が出てくるのでもう止めるが、どちからといえば、私は苦学生の側に近い人間でもあるため、裕福な学生に荷担するくらいでバランスが取れるだろうといった判断で、今のところは客観的に考えられているとは思う。しかしここに糸柳の断片のようなものが加わると、バランスを保つことが難しくなる。

私は生きているため、ディスカウントスーパーサンディに行くのだが、たまに大音量で独り言を話しているまともなオッさんがいる。なぜまともだと分かるのかといえば、独り言の内容が「しめじを二回に分けて使うから今回は乾麺を買って……」といったまともな内容だからで、私も頭の中でそういったことを考えている。そのうち私も老化によって大音量で独り言を話し出すはずなので仲間意識があり、オッさんとはたまに目礼を交すのだが、このように私は限られたリソースの中で、作業環境の構築に勤しみながら生活を続けてきた。食事に気を使い、なるべく静かな部屋でなるべく良い椅子に座り、一人で作業する。静かな部屋で普通に寝る。うるさい場所には行かない。他人からの評価をできるかぎり無視し、ずっと同じことをする。お正月はきちんと祝う。疲れたら収入が減ってもいいから仕事は休むが、収入を減らしすぎない。三十を越えてから、自分は移動することも頻繁に人と会うことも好きではないことに気付き、ほとんどのことはどうでもいいと考えていると自認したので、そのように行動するようになった。

私は運が良かったので、なるべく長生きしたいと思えるような生活を作り上げることができた。人生の全ては運ではあり、孤独が好きかどうかでも難易度が大きく変化するが、とりあえず布団がない生活を送っている人間は布団を手に入れるべきで、冒頭に書いたように、これは情報量のない文章だ。どちからといえば、書く必要もなく、書きたくもないような文章で、彼が亡くなったことについて、言及する気も一切なかった。しかし今の私は、ものすごく難しいことを考えている。

これまで私は、考えたいことについて考えるのに、苦労したことがない。一時的に完全に禁酒していた時期があって脳の働きは良くなり、使用しているツールも見直した。体系的に考えることもできるようになり、資料を読むために活用している国立国会図書館デジタルコレクション自体も進化した。引越して部屋の気密性も上った。確実に環境は良くなっている。それでも今回の題材は、考えるのがものすごく難しく、脳のリソースがあまりない。

私が思い出したくなれば、勝手に思い出して一人で懐しむが、今は糸柳のことを考えたくない。これはうっかり考えてしまうようなことを、一度書き出してしまうために書かれた文章で、他人にとって意味のあるものではない。だからこの話はこれで終りである。