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- 木下美穂里「世界に誇る日本のネイル」
木下美穂里「世界に誇る日本のネイル」
日本ネイリスト協会 理事 木下 美穂里
こんにちは、木下美穂里です。
この度、2024年11月にネイリストとして初めて、「現代の名工」と言う素晴らしい賞を厚労省よりいただきました。
この度の受賞によって、日本の「ネイリスト」というお仕事が高い技術力を誇る技能職であると認めて頂けたことに、感謝と共に改めて身の引き締まる思いです。
私の経歴は、母であり師匠でもあるメイクアップアーティスト、木下ユミ先生に始まります。
ユミ先生のキャリアは戦後、NHK開局のための実験放送期から。以来70年に渡って放送、広告、ファッションの世界に多くの足跡を残しました.
ネイルの始まりは古代エジプトの化粧法、体の様々な部位に施される彩色の一つとして行われるようになったものといわれています。当時の美しさは祭祀や呪術的な特別な意味合いの強いものでした。
その後栄えた古代ギリシャ・ローマ文明では、生活文化として「マヌスキュア」が生まれ、影響の及ぶ各地へと波及します。「マヌス」は手を、「キュア」はお手入れをそれぞれ意味し、古代ギリシャでは健康的な美が理想とされていたことから、ネイルも健やかに保つためのケアが生活に根付いていたことがうかがえます。
実は、この古代ギリシャの価値観は、現代日本において私たちが追求している根源的な美的価値に通じています。
時代を経てルネッサンスになると様々な芸術が開花しますが、中でも舞台芸術の発展が大きな影響を及ぼしました。
手の表現は舞台芸術において重要な意味を表わす手段として用いられていましたが、生身の俳優が舞台で演じる際の表現のための演出として求められたのです。
その後、19世紀になると専門職としての「マニキュアリスト」が登場します。(日本では「ネイリスト」ですが、実はこれは日本で生まれた造語です)
20世紀、工業の時代には化学技術の発達により、爪に塗ることで輝きを付加する「ネイルラッカー」が登場します。いわゆる「マニキュア」と呼ばれる化粧品群の始まりです。
1932年、最初のネイルラッカーが発売されると、輝きだけでなく、ネイルを保護し、より美しい形状を楽しむための素材の工夫や加工技術が考案されるようになりました。
そして、大きな進化を遂げたのが1970年代、ハリウッドの映画業界で高度な特殊メイクの技術が磨かれ、そこで用いられる素材や技術がネイルも飛躍的に進化させたのです。
その代表が「アクリルスカルプチュアネイル」です。アクリルスカルプチュアネイルとはアクリルパウダーとアクリルリキッドを筆で混合させ、自爪の上にのせて美しいネイルのフォルムを突くと共に、長さを成型する技術です。
この歯科材料のネイルへの転用により、精巧で安全な加工施術が可能になりました。かつて日本の大手歯科材料メーカーでは「アメリカ市場で急激に伸びた商材があり、販売先を確認したらなんとネイル業界だった」ということがあったそうです。
1970年代当時のロサンゼルス文化の影響力の波にのって、このネイル技術の情報はすぐに日本に及び、ロサンゼルスからネイル専門サロンの情報がもたらされました。
そして1986年、日本の美容業界のオピニオンリーダー達が「ネイリスト協会」の設立を果たします。その一人が私の父でした。
安全な技術の提供、健全な業界の発展とアーティストの職場環境を守るために、協会の設立は重要な意義を持っていました。
メイクアップアーティストとして特殊メイクも修得していた私は、すぐに最新のネイル技術を修得し、若いアーティスト仲間とともに、協会設立のアシストを行う為に教育委員に就任し日本の市場に合わせたネイルの構築に取り掛かりました。
ネイリスト協会の教育委員として最初に取り組んだのは、テキストの作成でした。
そのテキストを元にネイルをビジネスとして定着させる為に、日本中に講習を行う活動が開始されました。
テキストは「ベーシック(ネイルケア)」「ネイルイクステンション」「ネイルアート」の3部作でした。もちろん、戦後海外から導入されたマニキュアの技術は美容業界にはベーシックなテクニックとして存在はしていましたが、我々はより進化した健康で丈夫で美しい爪を育成するためのマニキュア技術と、お悩みに対応するためのリアペア技術、アメリカからもたらされたネイルイクステンション(つけ爪)の技術を日本の生活スタイルや日本の文化に合わせてシステムを構築しました。
余談ですがこの時、私が、ネイルアートの中の技術の1つで、海外では「ファンタジーネイルアート」と呼ばれていた施術を、日本で理解しやすい様に「3Dネイルアート」と名付けました。この事が、日本のみならず世界に広げる為に一役買った事が評価され「東京マイスター」に表彰されました。
日本のネイルはサービス業としてのネイル施術であり、日本人特有の細やかな配慮と、繊細な指使いによるネイル施術です。今現在も日式と呼ばれ、世界中から注目を受け広がっています。
1990年代は、雑誌の特集や、映画やファッションショーでもネイルは注目をされ、それはまさに、咲き誇るような日本のネイルブームを彷彿とさせるものでした。
アジア各国、欧州、そして、かつて私たちが学んだアメリカ、LAやNYからも、様々な地域から出演や講演のオファーを受けています。高い品質を兼ね備えた私たちの誇れるネイル文化が、ついに世界を牽引する立場になったのです。日本から技術が伝わった多くの地域では、マニキュアリストではなくネイリストという名称で認知されていることがそのあかしでもあります。
2000年、私たちは木下ユミ先生の活動50周年を記念して次世代育成を掲げ「木下ユミ杯」という記念コンテストを開催しました。
約20年間に渡り、このコンテストを通じ素晴らしいアーティスト達を数多く世に送り出してきました。
そこからの約20年間は、日本国内でジェルネイルの普及や、その進化、コロナ後のネイルケアが注目され、再び注目されている事等、メディアにも多く取り上げられ美容の職業としても、皆様の周知の状態となって参りました。ネイルは表面の飾りや見た目だけを装う事だけではなく、年齢やジェンダーに関係なく、多くの方々の心の癒しにも成ってきています。
また更には、それだけではなく、介護の世界、スポーツの世界、年齢によるお悩みや、疾病が完治した後に爪に現れた悩みなど、我々のなすべき職務は様々な場面に広がっています。
ネイリストはお医者様ではありません。
ただ、ネイリストと言うプロだから出来る施術が有ります。
我々だから改善できる事、お悩みを手助けする事が、この先の私たちの更なる使命と成るでしょう。それ故、技術者としての学びに終わりは無く、ネイル業界全体の学びと進化も求められてきています。
皆様がネイルをより身近に感じて頂けることを願います。