社伝『筑波山縁起』によると、『古事記』にある伊弉諾尊・伊弉冊尊による国産みで産み出された「おのころ島」が筑波山にあたる。
南北朝時代に著された『詞林采葉抄』では、筑波山は天照大神が降臨した神山であると記され、文化年間(1804年-1818年)の『筑波山私記』でも天照大神が筑波から伊勢へ遷座した事を伝えている。
『常陸国風土記』によると、祭祀氏族は筑箪命(つくばのみこと・筑波命)が初代筑波国造に任じられて以来、筑波国造が祭政一致で奉仕しつつ政を行い治めた。
筑波山麓には多くの古墳が残っており、八幡塚古墳(つくば市沼田)は筑波国造の墓とされる。
『万葉集』には筑波の歌25首が載せられており、古来、筑波山が常陸国を代表する山であった事を示している。
奈良時代末から平安時代初め頃には、法相宗僧の徳一が筑波山寺、後の筑波山知足院中禅寺を開いた事を契機に神仏習合が進み、筑波山は有数の修験道の道場として発展していく。
幕末には、元治元年(1864)に天狗党が挙兵した天狗党の乱の舞台ともなった。
明治維新後、神仏分離によって中禅寺は廃寺とされ筑波山神社が復興し、その主要部は中禅寺の跡地を踏襲しつつ現在に至る。
室町幕府軍との戦いで千早城落城後、この戦いで足に怪我を負い、武人としての務めを諦めざるを得なかった楠木正勝は出家し「傑堂能勝」と称し各地を巡礼、現在の新潟県南魚沼市・霊樹山耕雲寺を本山として東日本各地を巡り仏法の敷衍に努めた。
今回は、我が祖・楠木正成の家臣団の一人・富田七郎正武(湊川合戦後変名し半田淡路正久)の末裔で、群馬県館林市・楠木神社の更なる興隆を目指されている半田晶さん始め同志と楠公研究会賛助会員・守谷さん皆さんと共に参拝。
これより楠木神社にて天狗面奉納祭を斎行したが、この後ご報告する。
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