第5話

文字数 2,232文字

第五章 三度目のうつは嫌だよ

何をしていても、受けてきた誹謗中傷がちらつく。
気分が落ち込んで、胃が縮む。
食事の量が減って、睡眠に入りにくくなる。
そういった症状の行きつく果てを、私はよく知っていた。

過去二回、嫌というほど時間を費やして、ようやく落ち着いたのに。
特に社会人なりたてほやほやの時に発症した時は、週末に片道一時間、朝もはよからバスに揺られて通院の日々だった。 それを一年間続けた。
正直、もう二度と経験したくない。

(うつになんて、二度も三度もなるものじゃないのに)

人生で初めてうつになった時のことは、正直よく覚えていない。
二回目のうつの時は、社会人になりたてで馴染むのに苦労して、病院選びから通院まで全て自分の判断と財布で治療に臨んだ。 仕事に響いてはいけないから、通院は必ず週末に。
仕事にもすっかり慣れた頃、ちょうどお医者様の見立てぴったりの一年後、二度目のうつと自然に別れられたというのに!

(今うつになっても、昔みたいに治療できないぞ。 堪えろ、私!)

何故治療できないかって? 
両足の筋力が落ちて、バスに乗るのも難しくなったから。
そして、週末に習い事の予定を入れてしまっているから。
なにより今の私には、片道一時間バスの中で過ごすだけの体力がない。

一言でうつと言っても、症状は人それぞれだと思う。
私の場合は、何をしていてもひどく憂うつで、全身がまるで鉛のように重く感じられた。治療期間中は病院で処方された漢方薬を飲みながら、仕事とのバランスをとっていたのを覚えている。

今はまだ、買ったゲームに以前ほど熱心になれない程度で済んでいる。
これ以上深刻な状態にならないために、どうしても堪えなければならないのに。
Zに潜んでいる数多の匿名達は、こちらの忍耐を平気を踏みにじる。

Mによるセクハラ投稿を擁護する反応を示しておいて、それがバレたら被害者仕草でこちらに責任転嫁して悪びれないもの。 最初にセクハラ投稿を実行したMではなく、被害者である私にこそ責任があると、Mと親しげにしながら主張して憚らないもの。 セクハラ投稿がされたその日から、毎日死にもの狂いで抵抗する私を「面倒臭い奴」とせせら笑うもの。 言葉の表面だけをわざと剝ぎ取って、不良だの、人間としてなってないだの言いたい放題のもの。

そういう人間達だから、障がいや信仰のような繊細な領域にも、土足でずけずけと侵入できるのだろう。先祖代々引き継いできた私の信仰を、M達によるセクハラや誹謗中傷で辛い日々の支えである私の信仰を、自分の都合のいい妄想を振りかざして酷く歪めても、自分に被害さえなければいいと言い切ってしまえるのだろう。

どうしてこんな人間達に、当たり前のように健康な体が与えられているのだろう。

職場では何事もないかのように、普段どおりに働いて。
インターネット上では、無数の誹謗中傷に死にもの狂いで抵抗する。

本来、自分の将来や大切な人達のために使われるべきエネルギーが、匿名で他人を傷つけることこそが勲章と言わんばかりのくだらない人間達に吸い取られていく。
学歴、趣味、私にまつわるありとあらゆるものが、誹謗中傷の道具に成り下がる。

生まれつき不自由な体だ、万が一にも間違えなど起こるはずがない。
すぐに疲れる。遠くには行けない。
生まれてから今まで、不便なことばかりだが、それだけはありがたかった。
だが、この体でどうやって無数の誹謗中傷犯を止めたものか。

(いっそ、この弱々しい命を道連れに、あいつらを正真正銘の人殺しにしてやろうか)

私は今まで、ずっと抵抗してきた。

本当は見たくもない証拠を、いつか役に立つこともあるからと自分を励ましながら、ずっと手元に残し続けてきた。誰に見られても構わない覚悟で、できる限りの証拠を揃えて、頭の中で文章を組み立てて、必死に抗ってきた。

嫌だと、叫び続けてきた。

だけど、あいつらは止まらなかった。
あいつらにとっては、その日その時の、自分達の快楽だけが全てなのだろう。
他人なんて所詮、自分達の退屈やストレスを解消するための、生きた玩具。

もし、そうでないと言うのなら。
何故、私の何もかもを誹謗中傷の道具にできた?

私が死ねば、あいつらは全員人殺しになる。
私が死ねば、もう誹謗中傷されることもなくなる。
そこで、何もかも諦めて決断してしまえば、楽になれたのに。

どうしても、諦めきれなかった。
生きることを、生きて幸せになることを、諦めきれなかった。

考えてしまえば、おかしな話だ。
どうして、どこの馬の骨とも分からない人間達のために死ななきゃならない?
どうして、大切な家族を遺して逝きたくもないあの世に逝かなきゃならない?

もし仮に、誹謗中傷が原因で私が死んだとして。
Mをはじめとした誹謗中傷犯達は、私が死んだ直後だけは慌てるだろう。

自分のせいじゃない、自分よりもお前のほうが、なんて醜い責任の擦りつけあいをした末に、心当たりのある奴らは一人残らずアカウントを消去して逃亡することだろう。
もし訴えられたらどうしよう、という恐怖も時が経つごとに薄れて、またどこかで誰かを誹謗中傷することだろう。

そんな未来のために、命を費やすのはごめんだ。

どれだけ馬鹿にされようと、とりあえず生きていよう。
死んでしまえばそれまでだけど、生きていれば何かの足しにはなる。
私が生きている限り、あいつらがやった事をずっと覚えていよう。
あいつらが一人残らずインターネットから消えるまで、死んでなんか、やるもんか!
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