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【秋田市長選について】(長文です) 昨年10月来、私が今春の秋田市長選出馬に意欲を示している、または検討しているとの報道が一部なされており、少なからずの問い合わせをいただいておりましたが、この間熟考を重ね、出馬は断念することといたしましたので、改めてご報告させていただきます。 この間の経緯について少々補足しますと、きっかけは、昨年10月の衆院選で、維新の吉村洋文現代表(当時は共同代表)が、秋田1区から出馬予定だった松浦大悟さんの応援に来るということで、私も秋田市出身者として維新から長年秋田市で活動されている松浦さんと一度会ってお話ししたいという気持ちがあり、また吉村さんは東京や大阪で会おうと思ったら遠目からしか見られないだろうけれど、秋田だったら少人数でお話しする機会が得られるのではないか、また、苟も全国政党である維新が秋田でどれだけ浸透しているのか、どのような印象を持たれているのかを知るまたとない機会と思ったことから、2人の子を連れてこまちに飛び乗り、弾丸で秋田市で行われる吉村さんタウンミーティングに参加したのがきっかけでした。 故郷秋田を離れたのは今から20年前、私が18歳の頃ですが、私という1人の人間の人格形成に秋田というふるさとが果たした役割は計り知れません。 小学生の頃、雪の中、足先の感覚がなくなりながらも学校帰りの家路を急いだときの足の感覚。 家の屋根に雪玉を投げて取ったつららを掴んで遊んだときのつららの冷たさ。 今は亡き父の車で、イオン帰りの横山金足線でホワイトアウトの中立ち往生したときの恐ろしさ。 秋田高校まで家から片道徒歩40分の道のりを制服ミニスカート、革靴ローファー👞で雪の中を通ったこと。 記録的大雪の中、秋田大学で受けたセンター試験。成人式も雪でした。 吹奏楽と合唱のための組曲『大いなる秋田』第4楽章、秋田県民の歌の歌詞に「雪にきたえて すこやかに」とあるその意味を、身をもって知っている。それが秋田県民です。 それでも秋田市の雪は県内でも大したことない方ですが。 冬の雪や続く曇天の険しさだけではありません。 秋田という土地が、人が、私を含む秋田の子供たちを育んでくれているのを、私は中学生のときに「はばたけ秋田っ子」という郷土愛を学ぶような一連の授業を受け、生徒会役員の1人として、当時の市長石川練治郎氏と語る会に参加させていただいたりする中で、学んできていました。 そのような秋田の教育、そして自然の厳しさと豊かさは、私を含む秋田の子供たちに自然と、 この私たちを育んでくれた故郷秋田に貢献できる人材となれるように、秋田から日本に、世界に羽ばたく人材となれるように との価値観を刷り込んできていました。 母校秋田高校の校歌「天井遥かに」の一節 「人材あまねく育みなして 故郷のほまれを広げよよもに」 それを心に抱いて、18で上京し、大学や法科大学院での勉強、司法試験、弁護士業、その後の結婚、出産、子育てなども 自分で言うのもなんですが、困難なことに突き当たったとき、最後にそれを乗り越える力を与えてくれていたのは、秋田という故郷の存在だったと思います。 現在私は台東区議会議員を務めていますが、 そのきっかけは、東京で孤独を抱えながら地域コミュニティも希薄な中で、また実家の助けなどもない中で子育てする大変さを骨身に感じ、コロナ禍でそれがいよいよ限界を超えたことでした。 そんな中、今や台東区が故郷となった私の子供たちに、私が秋田に抱いているような誇りを東京に、台東区に抱いてもらえるような地域づくりをしていきたいと強く考え、 2023年の台東区議会議員選挙に立候補し、歴代最多得票の5031票を賜り、当選させていただきました。 今回私がそのような立場にある中で、今春の秋田市長選に出馬を(頭の中で)考えたこと、その上で、維新の若松市議をはじめ、秋田の一部関係者の方、また秋田に住む友人知人に相談や意見を求めたりしたことは、事実です。 今は台東区の仕事をしているけれど、台東区も東京も、地方とは比べ物にならないほど、財政が豊かで、また人の勢いもある。 それに引き換え、私を育んでくれた故郷秋田は、秋田県全体でも今や人口90万人を割り、消滅可能性自治体に名を連ね、危機的状況に陥っている。 東京の仕事は、私がいなくても、他にやりたい人も政治家になりたい人もたくさんいるだろうし、 そもそも台東区は上野も浅草も地元が元気で、行政が主導しなくても民間の活力でまちが成り立っていける。 維新のお家芸の「改革」も、国政レベルではともかく、地域レベルでは差し迫っていないのを正直感じる。 それに引き換え秋田は… 同じような人ばかり選挙に出るのではなくて、秋田を離れて都会で働いた元「秋田っ子」が、今こそ故郷にご恩返しをするときではないか? そのようなことを思っている人が県外にもいることを発信するだけで、秋田に何か変わることへの期待や希望を与えられないか? そのように前々から思っていたことは確かで、秋田市長選について、具体的に出馬のあてが政党の支援など含めてあったわけでも支持母体などあったわけでもないのですが、 「気持ちとしては出たいです」 ということを吉村さんタウンミーティングで発言したことが記事になり、一定のご注目をいただいた、 というのが長くなりましたが経緯です。 その後も今後の自分の政治家としての進退を、維新の離党含めて日夜悩み、周囲の皆さんに助言を仰ぎまくる、という日が昨年の年末は続きましたが、 最終的に今春の出馬を断念すると決断したのは、やはり、現在の自分と自分の家族の拠点がこの東京に、台東区にあり、今はまだここで根を張って頑張るべきことがあるとの初心に立ち返ったからでした。 維新の離党も昨年1年間、維新の掲げる理想像と現実のギャップに気づき、怒りすら感じ、今村充支部長に迷惑をかけてはいけないから衆院選が終わったら辞めようかとかも考えましたし、内外から散々叱咤激励も含めて色々なお言葉を頂戴しましたが 今は、色々問題はあるかもしれないけれども維新にご縁があって公認をいただき、またこの自分と自分の子供たちが住む台東区で5000票超もの信託をいただいて区議会議員の議席をお預かりしている以上 この今の立場を離れるというのはそうそうできることではない、 との結論に達しました。あくまで今の時点での結論ですか。 そんなわけで、長くなりまして、結局何が言いたいの?とかご不快にも思われてしまうかもしれないのですが、 この間、お騒がせし、また私の進退について色々な方からお問い合わせ、ご心配の声、激励の声など多数頂戴したこともあり 一つの区切りとして、今回の決断のご報告をさせていただく次第です。 台東区の皆様におかれましては、また維新の支持者の方(過去も含め)、区内に限らず(また党派に関わらず)政治家木村さちこを応援してくださっている皆々様 気持ちを一新し、初心に帰って一から活動し直すつもりでつとめてまいりますので、どうぞ今後とも叱咤激励のほどを、またご指導ご鞭撻のほどを、よろしくお願い申し上げます。 木村さちこ
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