第30話 鞍馬黒継
自動車が混雑していた。
「お昼まだー?」
「この渋滞抜けたら定食屋だから待ってなさい」
焜が優しく言ってやると、白奈は後部座席でお土産に買ってもらった扇子を広げてそこに書いてある未の絵を眺める。二〇二七年は未年だ。
そしてこれは余談だが、今年の元旦から溟月島は独自の元号を発令した。
それが
会計年度ではなく貿易年度を重んじた扱いで、溟月島の元号年は一月一日から十二月三十一日まで。つまり、元旦から大晦日の一年が、その元号の年である。
蛾王が言っていた日本からの独立の第一歩——なのだろうか。
実際、島の政権を——表向きに握っている座卓のハリボテ政治家だが——握る島庁評議会の評議長は、ここ数回の世代交代を見ても日本からの独立を謳っている。
日本にとっては溟月島は、ある意味では核を超える自衛装置であり、抑止力だった。軍事力の高い大国に囲まれたロケーションで対等以上にやりあえるのは何も技術立国であるからというだけではない。
特にここ最近は政権も治世も悪化し、パパ活ママ活といった買春行為、インターネットポルノ産業が趨勢を極め、性病の蔓延という新たな社会問題を迎えている。
経済的にも溟月島に依存している日本としては、どうにかして手綱を手放したくない状況だろう。
暁人にしてみれば身から出た錆を押し付けてくるな日本人ども、という感じだが、繊細で真面目な努力家のフリしかしていない、他人の給料袋に手を平気で突っ込む傲岸不遜で厚顔無恥なあいつらには何を言っても無駄だ。
純粋な溟月人は、とにかく日本人嫌いが多い。理由は単純で、多くの妖怪と術師はあの国で虐げられ、踏みつけられてきた歴史が連綿と刻まれているからだ。
臥龍家はもともと溟月の民であり、本当の意味で純粋な溟月人である。
だからこそマイノリティだった彼らは、法整備もままならない時代に勝手に上陸し、術師を無理矢理に拉致して己の武力に加えた大昔の日本人を恨んでいる。
それはもう、遺伝子に刻み込まれるレベルで。
その時、外からガタガタと激しい風が吹いた。海沿いだから海風だろうと暁人は思ったが、その風がやたらと暴力的な勢いでもって吹き荒れるので、妙な胸騒ぎを感じた。
「暁人、この風……」
「妖気属性が練り込まれてるな。焜、俺が時間を稼——」
次の瞬間、ワゴンの天井がひっぺがされた。バギョッと強引にひっぺがされた天井が弾け飛び、そこに天狗の男が立っている。
「なんだてめぇは!」
「白奈様! お救いに上がりました!」
こちらの声を聞き届けようともしないその男の顎に蹴りを見舞うが、天狗の男はひょいとそれを躱し暁人を掴むと、渋滞中の道路に投げ飛ばす。
歩道沿いの積み上げられた雪に突っ込み、暁人は口に入った雪を吐き出す。
「僕は大天狗、
「はあ? あいつは俺たちの——」
「俺たちの……? き、貴様、その方と姦通したのだな!?」
「何言ってんだてめえは」
焜は車の中で呆れがちに、
「ほら、天狗だから男同士の世界があんのよ」
「僕、あいつ嫌い」
白奈がはっきりとそう言った。耳のいい暁人にも聞こえていた。
暁人はそこでふと、鞍馬という名を聞いて六座五位の名も鞍馬だったことを思い出す。
無関係と見るには無理がある……。
次の瞬間、黒継が羽団扇を振るって暴風を巻き起こした。暁人は金属性の白龍龍殻を形成してガード。暴風があたりに撒き散らされ通行人が悲鳴をあげて逃げ惑う。
「てめえ、無関係な奴ら巻き込みやがって!」
「傷つけてはいないだろう」
「傷つけなきゃいいってもんじゃねえだろ……!」
黒継は平然とそう言ってのけ、油で固めた髪から一房垂らしたそれを指で弄ぶ。鼻から下には尖ったマスクを取り付け、素顔を半分隠している。
周りの住民は逃げ惑い、車がクラクションを鳴らして走り去っていった。傍目には呪術師の襲撃に見れたことだろう。
暁人は相手が木属性の術式と見做して金属製の白龍・涅を発動しているが、その属性相性を上回るダメージを受けていた。
どう考えても相手のほうが力量は上である。妖力の出力、精度、術式の理解も圧倒的だ。
「お前の術式は知ってるよ。父上から聞いているからね。〈
「知っててわざわざ教える必要があるか?」
「勿体ぶるなよ。ヤマタノオロチによる完全な調和と適応能力。相手のじゃんけんに対して常に後出しで勝ちの手を出せる最強の能力。とはいえそれは現状白龍、青龍、黒龍に限られる。そして完全適応するには真の力を出さざるを得ない」
「ああそうだよ。ゆくゆくは赤龍も黄龍も手に入れるし、上位三属性も手にするつもりだ」
「恐ろしいよ。五龍のみならず八の龍を手に入れるとはね。君は間違いなく特等級の器だ」
暁人はなぜ敵に賞賛されているのかわからなかったが、恐らくは煽りも兼ねているんだろうなと思った。
俺は特等級の器を圧倒しているんだぞ、という驕り——いや、現状それは事実であり、誇っていい現実だ。
暁人は
羽団扇を振るう。暴風の刃が吹き荒れ、街路樹がズタズタに引き裂かれ輪切りになる。暁人はすかさず飛んできた木片を盾にした左腕で防ぎ、至近距離に迫る相手の拳に額をぶつけていって相殺。加速し切る前に拳を受け止め威力を半減させるが、妖力で強化された腕力に頭蓋がぎち、と悲鳴を上げる。
すぐさま左の蹴り足が迫り、暁人は右肘でガード。右脇腹の肝臓を守りつつ、左脇腹を狙った左拳を半身になって避ける。
(殴り合いでもいけるクチか)
相手は余裕の表情。
暁人は腕を薙ぎ払い、相手を退けると左腕を青龍・涅に変えた。青黒い雷撃が迸り、暁人の体に纏わりつく。
「帯電による自己強化か。なるほど、そういう使い方もできるんだね」
暁人の姿が掻き消える。
背後——黒継の真後ろに回った暁人は右の白龍・涅の段平を振るう。妖怪なら死なない程度に斬る斬撃。だが、その加減が甘かった。
黒継は翼を羽毛硬化し、段平を防いだ。硬化術自体は属性を持たない「
段平が弾かれ、軌道が逸れる。黒継は翼をしならせて暁人をその翼部で殴り飛ばすと、バス停のステンレス棒に叩きつけた。
半ばからひしゃげたそれが金属音を立ててへし折れ、暁人は背中を苛む痛みに涎を垂らしながら立ち上がる。
「ガキだね。認識が甘い。大方僕が呪術師ではないとわかっているから殺せないんだろうけど、術師同士、妖怪同士の衝突はそのまま殺し合いを意味する。君のその甘い考えはいつか君を殺す」
「罪のない奴を殺して、美味い飯食って枕高くして寝れるかよ」
「ご立派。だけどそんなんじゃ陰陽師やっていけないよ」
図星を突かれ、暁人は
相手が溟人なら、呪術師なら——それはある意味では甘えでもあった。保険と言い換えてもいい。殺されて仕方なのないクズだから、こっちも容赦なく戦えるというある種のリミッター。
当然陰陽師を続けるなら同業同士で争うことも増えるだろうし、その際における死亡事故に関しては座卓は概ね関与しない。
それはつまり、術師同士の殺し合いを黙認しているということだ。それは仕方のないことだと決めて。
暁人だって馬鹿ではない。それくらい察していた。その上で目を背けてきたのだ。
そこを突かれ、暁人は動きが止まった。
そこを逃す敵ではない。
黒継はすかさず距離を詰めると右拳を鳩尾に打ち込み、左のアッパーカットをレバーに捩じ込む。すぐに足を踏み換え右足を振り上げると胃に向けてつま先を捻じ込み、暁人を昏倒させた。
必死に吐き気を堪えたが、我慢しきれず思い切り吐いてしまう。
黒継はつまらなさそうに鼻を鳴らし、「さて、白奈さまと姦通した罰を受けてもらおうか」と言い、羽団扇を黒い羽の剣に変形させる。
「そんな、事実は、ない」
「まだ言うか。お前にあのお方の苦しみがわかってなるものか。白奈様を救えるのは僕だけだ。断じてお前らのようなぽっと出の陰陽師共ではない。さらばだ、世紀の腰抜け陰陽師。才能をドブに捨て去った、愚か者」
剣を振り下ろす——その瞬間、
「暁人は何もしてないよ!」
少年の声が響き渡り、黒継は咄嗟に剣を止めた。暁人の首筋ギリギリで剣が止まり、黒継は声の主を見る。
「白奈様……」
「暁人と焜は依頼を受けて僕を守ってくれているんだ。依頼主は父上だよ。決して誘拐犯でもければ、悪いことをしてるわけでもない」
「それは……本当ですか」
「本当だ。六座の蛾王様に直接依頼された。なんなら本人に確認を取ってみろよ」
「黙れ、お前には聞いていない!」
「それ以上やるなら、僕は本当にお前を大嫌いになるぞ!」
白奈のその脅しは、黒継には
途端に羽団扇に戻ったそれを慌てて振って、必死に弁明し始める。
「いや、それは……しかしまさか、蛾王様が部外者に護衛依頼を出すなどとは思えず……いえ、すみません僕の落ち度なのですが、白奈様、どうかお怒りをお鎮めください。白奈様に嫌われたら私は何を希望に生きれば良いと言うのですか」
「そんなの僕は知らないよ。とにかく暁人も焜も悪い奴じゃない。むしろ、冷静に見るならお前の方が悪い奴だ」
もっともなことを白奈は言った。
現状のこの惨状を目の当たりにすれば、どちらに非があるのかは一目瞭然である。
黒継は顔を覆って、「すみません、頭を冷やします」と言った。それから暁人にカードを渡し、「諸々の請求はここにしろ」と言った。
「とはいえ暁人、とか言ったか。お前の甘い考えを許したわけじゃないし、認めたわけじゃない。その認識がいずれお前を殺すと言うのは、揺るがぬ事実だ」
そう言って黒継は翼を羽ばたかせて飛び上がると、東の方へ飛び去って行った。
暁人は試合に勝って喧嘩に負けた気分を味わいながら、吐瀉物に汚れた口元をティッシュで拭い、立ち上がる。
奴は敵なのか味方なのか——現状敵と言う認識だが、決して呪術師ではないし、仮にも六座の息子だ。事情がわかれば二度と馬鹿な理由で突っかかってきたりもしないだろう。
「大丈夫、暁人」
白奈が聞いてきた。暁人はなんとか笑みを浮かべて、「こういうのは慣れてる」と痛みを堪え、彼の頭を撫でてやった。
やがて遠くから座卓の黒塗りの
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